がんになったことで幸福度がアップしました 濾胞性リンパ腫と闘う元プロレスラー垣原賢人さん(43歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2016年4月
更新:2019年8月


プロレス界からの熱い応援

化学療法の最終クールが終了すると、垣原さんのがんは画像上見えなくなるほど縮小していた。主治医は垣原さんに「いい状態になっています」と伝えた上で、今後の治療方針について説明した。

主治医からは再発のリスクを減らすため、リツキサン単剤の維持療法をあと1~2年行うことを勧められた。

垣原さんはもともと薬嫌いで、最初は維持療法を行うことにあまり乗り気ではなかった。しかし、「主治医の先生と色々話し合った上で、リツキサンによる維持療法を行うことを決めました」と垣原さん。自分の闘病を応援してくれるプロレス時代の仲間が大勢いる以上、自分も最善を尽くさないとダメだと思ったのだ。

昨年1月、垣原さんが悪性リンパ腫になったことを知ると、プロレスラーや格闘家の間でカッキー(垣原さんのニックネーム)を助けようという動きが広まった。UWF時代の先輩である山崎一夫さんは後援者の会社経営者と一緒になって「カッキー応援隊」というサイトを起ち上げ、特製の応援Tシャツを作って販売を開始。それが呼び水になって、その後は次々に募金活動やチャリティ・グッズの販売が行われるようになった。それだけでも垣原さんは身に余る光栄だと思っていたが、R-CHOP療法が終了した7月上旬には、「カッキー・エイド」と銘打ったプロレス・イベントの開催も本決まりになっていた。

「これは新日本プロレス時代の仲間である田中稔選手の音頭取りで、行うことになったイベントなんですが、初め彼から話があったときは『申し訳ないので、いいですよ』って断ったんです。ただ、彼は本当に色々考えてくれまして……、結局はお願いすることにしました」

心に響いた大先輩の言葉

「Moving on~カッキー・エイド~」は昨年8月に後楽園ホールで開催された。このイベントには様々な団体から20人を超す選手が参加し熱戦を繰り広げた。この日はパフォーマンスゲストとして、垣原さんの長女・綾乃さんが所属するアイドルユニット「バクステ外神田1丁目」もリングに上がり、ミニコンサートを行った。

会場には前田日明さんも姿を見せ、リングに上がって観客に挨拶した。「わが愛する後輩・垣原賢人のために、こんなにたくさんお集まりいただき、誠にありがとうございます」

お礼を述べたあと、前田さんは垣原さんが新人時代こつこつ努力する練習の虫だったことを話題にしてから、現在、悪性リンパ腫になって思うように仕事ができなくなっていることを率直に話し、支援を訴えた。そして最後に絶妙の捻りを加えた。

「でもみんな心配しないでください。レスラーはがんなんかじゃ死にません。垣原がリングに出てきたらみんなで言ってやってください。『がんぐらいでオタオタするんじゃない!』って」

それを聞いた垣��さんは最高のメッセージだと思った。

「私は攻めに出ると強いけど、受けに回ると弱いところがあって、考え込んじゃうようなところがあるんです。前田さんは僕のそういうところをよく知っていて、『オタオタするんじゃない』と言ってくださったんだと思います。今も咳が止まらなかったりすると不安になって悪いほうに考えたりするのですが、『いつも平常心』『一喜一憂するな』といった、前田さんから頂いた細かなアドバイスがすごく力になっています」

感謝の気持ちが高まり、幸福度アップ

 現在、キャンピングカーに乗って湯治の旅に出かけているという

最後にがんを経験したことで、考え方が変わったかどうか尋ねると、間髪を入れず明快な答えが返ってきた。

「感謝する気持ちがすごく強くなって、幸福度が上がりました」と垣原さん。

「がんになったことで、中には『かわいそう』と思われる方もいるかもしれません。ただ、この病気になって色々な人に助けてもらい、逆に周囲に対する感謝の念が強くなって、自分の中で幸せを感じることが多くなりました」

残念ながら濾胞性リンパ腫はやっかいな病気だ。しかし、垣原さんが見据えているのはあくまでも〝今〟だ。

「今後、リツキサンが効かなくなることもあり得ると思います。ただ、『この先、病状が悪くなったらどうしよう』など、先のことはあまり考えないようにしています。今の積み重ねが未来なので、今全力で治療をしていれば、もし悪くなったとしても、そのときはそのときで助け舟が出てくると思っています」

〝今〟と向き合って、全力を尽くす。そうすれば必ず悪い結果にはならないことが経験上わかっている──。垣原さんのぶれない考え方は、がん闘病を支える強さになっている。

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