30代でがんを経験 「何か意味があると信じたい」 皮膚がんの一種、有棘細胞がんを経験したアカペラグループ「INSPi」の奥村伸二さん(36歳)
懸念された声への影響
手術は予定通り6月初旬に行われた。ただ、当初予定された3時間では終わらず、5時間を要した。
「手術中に切除した部分を迅速病理診断に出したところ、まだがんの取り残しがあるということがわかり、再度切除範囲を広げて、切除し直したと聞いています」
手術では、右の鼻翼の皮膚にできたがんを含めて4~5cmほど切除され、その後は腹部の皮膚の一部が切り取られ、仮の皮膚として移植された。
術後、当初予想していたのと大きく違っていたことは、手術跡の状態だったという。
「手術前に医師から、切除したところにお腹の皮膚を移植すると説明があったので、不格好でも鼻っぽい感じになっていると思っていたんです。しかし術後5日目位に初めてガーゼを取ってみたら、鼻の膨らんでいる部分がえぐられたままになっていて、お腹から移植された皮膚は、本当にただ表面を覆うために貼ってある感じでした」
痛みはどうだったのだろう?
「全くありませんでした。担当医から『術後はお風呂で、石鹸でちゃんと傷口を洗ってくださいね』と言われたので、そんなことをしたらすごく痛いんじゃないかと思いつつやってみたのですが、全然しみなくて、痛みもありませんでした」
そして術後、最も心配だったのは声への影響だ。鼻が半分なくなったことで歌にも影響が出るのではないかと思ったが、そこら辺はどうだったのだろう。
「歌いにくくなるのではないかと思っていたのですが、結果は逆でした。今は鼻が半分ない状態なので、歌う際に声帯を通った空気がそのまま上に抜けてくれるので、逆にすごく歌いやすいんです。むしろ、高い音が出やすくなったほどです」
7カ月間の休養を経て復帰

10日間ほど入院して、奥村さんは無事退院。退院後は、しばらくステージには上がらず裏方の仕事に回り、復帰は1月にリリースしたシングル『エンターテイナー』のレコーディングからだった。その後12月24日には、生放送されたテレビ番組にも出演し、これまでと変わらぬ歌声を披露。翌25日には、TOKYO FMホールで開催されたワンマンライブにも出演し、元気な姿を見せてファンの人たちを安心させた。
「久しぶりにメンバー6人で集まってハーモニーを奏でたとき、アカペラってすごいなと改めて実感しました。7カ月間ほどお休みをいただいたのですが、他の5人のメンバーが仕事を1本も飛ばさずにやり通してくれたので、本当にありがたかったです。
今年でデビュー15周年。これまで色々な局面があったので、今回のように自分が病気で休養となっても、それを乗り越える地力が、グループとしてあったのだと思います」
人生に対してすごく積極的に
病気を経験して、自分の生き方のスタンスが確立したと奥村さんは話す。
「がんになって、自分が死ぬことまで想像して……『人は必ず死ぬ』ということを、身をもって実感しました。そうであるのなら、本当にやりたいことをやろう、迷っている時間はないと痛感しましたね。人生に対してすごく積極的になりました」
今年4月からは、新たに管理栄養士の資格をとるため、学校にも通い始めたという。
「もともと、自分自身すごく小食で、ただ仕事柄、風邪は引けないので、どうしたらきちんと栄養を摂れるか独学で勉強していました。そういったこともあって、前々から栄養に関してきちんと勉強したいなという思いがあったのですが、ただ歌手としての本業もあるので、両立するのは無理かなとあきらめていたんです」
その心境に変化をもたらしたのが、昨年患った〝がん〟だった。
「1回自分の死を想定したとき、『自分1人のために使う人生は十分に生きたので、これからは誰かのために時間を使いたい』と思うようになりました。歌を誰かのために歌ったり、栄養面で誰かを支えたり、と。『食事で体を癒やして、歌で心を癒やす』。これって、完璧じゃないですか?(笑)」
そう冗談めかしに話してくれた奥村さん。
現在は3カ月に1度大学病院を訪れ、経過観察を続けている状態。再発の恐れがあるので、術後2年間は様子を見て、その後鼻の再建手術を行う予定だ。
「どんなことでも、良い面と悪い面がある。がんになったことは決して悪いことだけではないと思うし、30代でがんになったことに、何か意味があるのだろうと信じたい、と思っています」
「病気をして、人が変わったと言われるようになりました」と話す奥村さん。がんをきっかけに、まさしく奥村さんの新たな人生が始まろうとしている。
同じカテゴリーの最新記事
- 人生、悩み過ぎるには短すぎてもったいない 〝違いがわかる男〟宮本亞門が前立腺がんになって
- がん患者や家族に「マギーズ東京」のような施設を神奈川・藤沢に 乳がん発覚の恩人は健康バラエティTV番組 歌手・麻倉未希さん
- がん告知や余命を伝える運動をやってきたが、余命告知にいまは反対です がん教育の先頭に立ってきたがん専門医が膀胱がんになったとき 東京大学医学部附属病院放射線治療部門長・中川恵一さん
- 誰の命でもない自分の命だから、納得いく治療を受けたい 私はこうして中咽頭がんステージⅣから生還した 俳優・村野武範さん
- 死からの生還に感謝感謝の毎日です。 オプジーボと樹状細胞ワクチン併用で前立腺PSA値が劇的に下がる・富田秀夫さん(元・宮城リコー/山形リコー社長)
- がんと闘っていくには何かアクションを起こすこと 35歳で胆管がんステージⅣ、5年生存率3%の現実を突きつけられた男の逆転の発想・西口洋平さん
- 治療する側とされる側の懸け橋の役割を果たしたい 下行結腸がんⅢA期、上部直腸、肝転移を乗り越え走るオストメイト口腔外科医・山本悦秀さん
- 胃がんになったことで世界にチャレンジしたいと思うようになった 妻からのプレゼントでスキルス性胃がんが発見されたプロダーツプレイヤー・山田勇樹さん
- 大腸がんを患って、酒と恋愛を止めました 多彩な才能の持ち主の異色漫画家・内田春菊さんが大腸がんで人工肛門(ストーマ)になってわかったこと