2度の乳がん再発から乳房全摘同時再建術を受けた生稲晃子さん(48歳) 「普通に生きることが、いかに大切かを実感しました」
言わないという選択、家族の支え

再建手術を終えるまでの5年弱、この間、生稲さんは変わらぬ笑顔で仕事を続け、家族とほんの数人以外には、病気を一切明かさず過ごした。
「2007年からレギュラーをしていた『ちい散歩』が健康番組だったので、私の病気は番組にそぐわない、という思いがありました。できるところまで言わずにいこう、と決めて走り続けましたが……、出演者もスタッフも、長年一緒にやってきた仲間です。隠し事をしているのが、本当につらくてたまらなかった。手術翌日に出演したときは右手が上がらず、『四十肩なんです~』とごまかしたりして。あのときは、家に帰って本当に落ち込みました」
その半面、仕事に助けられた日々でもあった。
「仕事しているときは、つらいことも不安も痛みも忘れて、笑っている私がいました。仕事をしていたから、ちゃんと自分の足で立っていられた。『いつも元気だね』と言ってもらえて、『私は大丈夫だ』と思えました」
そして、何より生稲さんを支えたのは、家族。初めてがんを告知された2011年、子どもはまだ5歳だった。
「母親のことをちゃんと知って欲しいと思い、当時5歳の娘に、私ががんという病気だということ、入院して手術を受けなければならないこと、だから一緒にいられない日もあることを、1つずつ話しました。娘は5歳なりに事実を受け止め、理解していたんだと思います。
今振り返ると、『私が娘を支えなくては』と思っていましたが、実は私が娘に支えられていたのだと思います。5歳から10歳までの5年間、娘は私の病気のことを誰にも言いませんでした。その5年間を彼女がどんな思いで過ごしていたのだろう……と考えることがあります。実際に聞いてみましたが、あの子は何も答えませんでした。『忘れた、覚えてない』って。いつか話してくれる日が来たらいいな、と思っています」
夫の存在も大きかった。奇しくも、生稲さんの闘病と同時期に、自身の父親をがんで亡くした夫が1度だけ、「俺が悪いのかな……」と呟いたことがあったという。
「なんとも悲しい響きでした。そんなはずないのに。でも、泣き言はあの1度だけ。それからは、一切言わなかった。逆に、『大丈夫?』とか『休めよ』というような優しい言葉も、1度もありませんでした。それを不満に思うこともありましたが(笑)。ただ、今思うと、彼はそうすることで私を家で普通に過ごさせてくれていたんですね。病気を話題にすることもなく、私も家では、掃除して、洗��して、お料理して、子どもの世話をしたりして、普通に生活していました。その最中は、がんのことを忘れて動いていた。夫は、敢えてそういう時間を作ってくれていたのだと、今はわかります。ある意味、私以上に不安だったはず。万一のことを考えると、子どもも小さいし、1人でどうしたらいいのだろうと何度考えたことでしょう。そこを敢えて、普通を保ってくれていた。感謝しかありません」
乳房再建を終え、がんとの闘いが一区切りついた2015年11月、それまでの5年弱にわたる闘病を公表した。「せっかくこんな思いをしたのだから、私が話すことで、同じように苦しんでいる人が少しでも勇気を持ってくれたらいいなと思って」と生稲さん。これまで生稲さん自身も、同じ病気を患っている人のブログなどを見ることで、励まされたことが何度もあった。だからこそ、公表しようと決意した。
「でも実は公表して、私自身が1番ラクになれたのかもしれません。つらいときにつらいと言えるようになって、肩の力が抜けた気がします。正直に生きる、これは身体にもいいんじゃないかと思います」
これからも、ホルモン療法は続く。がんとの闘いも終わったわけではない。けれど、治療を続けながら、これまで同様、笑顔で仕事をし、家族との時間を積み重ねて生きていく。普通に生きることが、本当に大切――。生稲さんの変わらぬ笑顔がそう語っていた。
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