TPP担当閣僚在任中、舌がんが見つかった甘利 明さん(67歳) 自分が成し遂げるべきことを強く意識するようになりました

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年1月
更新:2019年8月


手術後2週間で公務に復帰

手術は全身麻酔で行われ、舌の腫瘍がある部分を5~10mm幅で切除した後、入念に縫合された。

「術後2、3日は舌が腫れ上がってほとんど動かせないので、唾を飲み込むことも、喉につかえた痰を吐き出すこともできません。これが1番つらかったですね。痛みは薬でうまくコントロールしてくれていたので、のたうち回るような痛みは経験していません。ただ、入院中、食事は基本的にお粥だったのですが、飲み込もうとして無意識のうちに舌を動かしてしまい激痛が走ったことがありました」

話すほうも、最初はしゃべりづらかったという。

「術後すぐは、タ行とラ行が話しづらく、相手にも聞き取りづらいと言われました。ただし、これも次第に時間が解決してくれました」

術後、舌のメスが入った部分が固くなるため、話しづらい感じが常にあったが、1つひとつ言葉を区切って話していると聞き返されることもなくなり、甘利さんは、これなら公務に復帰しても周りに迷惑をかけることはなさそうだと思った。

入院中1番元気を与えてくれたのは、TPP閣僚会合に代理で出席していた西村副大臣が、各国の担当閣僚から託されたお見舞いのメッセージだった。それには手書きで「必ず復帰して欲しい」「あなた抜きの閣僚会合は考えられない」といったことが記されていた。

「交渉の場で激しくやり合うこともあったので、皆さん、戦友のように思ってくれているんです。有難かったですね」

甘利さんは、術後2週間ほど経った12月26日の閣議から公務に復帰した。

完全復活を印象付けたのは、年明けの通常国会で経済演説だった。

毎年1月に召集される通常国会では、衆参両院で冒頭、政府四演説が行われるのが慣例になっている。初めは内閣総理大臣の所信表明演説で、そのあと外務大臣による外交演説、財務大臣による財政演説、経済財政政策担当大臣による経済演説と続く。

当初、うまく話せるかどうか不安だったが、いざ演壇に立って演説を始めると、スムーズに声が出て発音が怪しくなったり、言葉を噛んだりする場面は1度もなかった。

「終了後、親しい議員たちから『前よりも滑舌が良くなったじゃないか』と冷やかされました(笑)」

周囲も認める完全復活だった。

政治家としての使命を強く意識

術後3カ月が過ぎたころ、舌に水疱のようなものができて再発の懸念が頭をよぎったが、結局は「唾液腺の出口が塞がった影響で、水疱ができてしまっていたようです。何回か繰り返しそうした症状が起きたため、その部分を切除しました」と甘利さん。とくにその後異常は見られず、昨年(2016年)12月で手術から3年が経過。再発の疑いは見られない。

甘利さんにとって、���わば青天の霹靂(せいてんのへきれき)とも言うべきだった〝がん〟。ただ、がんを経験することで見えてきたものもあった。

「がんを経験して一時は政治家を辞める覚悟をしました。ですから、元気なうちにやるべきことは全部やってしまわないといけない、政治家として健康である間に、やるべき使命は全部やっておこうと思いました。同時に、自分は何のために政治家をやっているのか、自分が成し遂げなければいけない使命は何かということも、強く意識するようにもなりました」

病気に対しては、早期発見、早期治療はもちろんのこと、セカンドオピニオン、サードオピニオンの重要性も身を持って体験した。

「セカンドオピニオン、サードオピニオンを求めて、専門家の見識を複数求めるということも、重要な決断を下すときには非常に大切だと思いました」

治療方針によっては、その後の人生を大きく左右することにもつながりかねない。甘利さんはまさにその良い例と言えるだろう。

今、反グローバリズムの波が世界的に高まっているが、このような時代に日本が必要とするのは、国益を背負って世界と渡り合える存在である。TPP交渉では「タフネゴシエーター」として知られた甘利さん。経済再生に向けて、国益のためにもうひと働きを期待したい。

昨年(2016年)11月に開かれた「産業労使秋祭り」で、重量挙げの三宅宏実選手と一緒に

昨年(2016年)12月に札幌で開かれた、若手経済人懇談会で講演する甘利さん
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