子宮頸がんで子宮全摘、抗がん薬治療を経て完全復帰した女性ドラマー小林香織さん(39歳) 自分と同じ思いをしないためにも「がん検診に行って欲しい」
初めてのベリーショート

抗がん薬による副作用は他にも現れた。それが脱毛。幸い、小林さんは髪の毛がゴッソリ抜けるタイプの抗がん薬ではなかったが、やはり長い髪が抜けていくのは気が滅入るだろうと、抗がん薬治療に入る前、生まれて初めてベリーショートにした。それでも、枕にパラパラ落ちてくる髪を見ているのは、切なかった。
他にも、手術の影響でリンパ液の流れが悪くなり、脚が浮腫(むく)むようにもなった。脚全体が重くてだるくて、ときにはパンパンに浮腫む。少しでも流れをよくしようと、脚を高く吊って眠ったこともあった。今でも足枕は欠かさない。
思えば、最初は「円錐切除で取り除きましょう」から始まった小林さんの子宮頸がん治療。その後一転、がん専門病院で「子宮全摘と骨盤リンパ節郭清」を提示され、悩みながらもその方法を選択した。
「正直、手術後の検査結果が出るまでは、心のどこかで、円錐切除でも良かったんじゃないの? という思いもありました。でも、結果としてリンパ節への転移もわずかながらあった。もしあのとき、前の病院で言われたまま円錐切除で終わらせていたら、がん細胞をたくさん体に残したままになって、今ごろはこうして元気にはいられなかったかもしれません……」
がん治療に一区切り
2012年1月、5カ月間にわたるつらい抗がん薬治療が終わった。1月27日、CT検査後、医師から「寛解(かんかい)状態に入りました」という言葉を受けた。病気そのものは完治してはいないものの、がんそのものは画像上確認できない状態になったのだ。
「ヤッター! という感じはなく、このときも淡々としていました。がんが体のどこにどう飛んでいるかわからないという不安がまだありましたし……」
寛解してからも検査は続いた。3カ月に1度の定期検診、半年に1度の胸部CT、1年に1度の体全体PET-CT。これを続けて、もうすぐ丸5年。次の検査で問題がなければ、定期的な検査は終了だ。
「この2月に最後の検査があって、そこで何もなければ、本当の意味で一区切りつける気がします。もちろん、これで絶対大丈夫というわけではないこともわかっています。そもそも、別のところに新しいがんができることだってあるかもしれない。そんなことを考えると、正直不安なので、定期検査だけは���けていたいくらいです(笑)」
必ず舞台に戻る!
足かけ5年半に及ぶ闘病期間、小林さんを心身ともに支えたのは何だったのだろう。
「家族や友人、そして、また舞台に立ちたい、という思いでしょうか。ライブの舞台に戻りたい。その思いがいつもありました。だからこそ、焦りも大きかった。誰かに自分の居場所を取られるんじゃないか、復帰しても私の戻るところはないんじゃないか……そんなこともたくさん考えてしまいました」
12歳でドラムに出会い、インディーズバンドを経て、ソロドラマーとしてはもちろん、E-girlsや相川七瀬さんや杏子さんらのサポートミュージシャンとして、さらにはミュージカルにも活躍の場を広げてきた。中でも2006年からは、TM NETWORKのヴォーカル・宇都宮隆さんがプロジェクトしたU_WAVEに参加。独自の音楽世界を表現し続けている。小林さんにとって、ドラムは人生そのもの。舞台は自分自身の確かな居場所なのだ。
とはいえ、若手新人がひっきりなしに出てくる音楽業界で、女性ドラマーとして生きていくことは相当のプレッシャーとストレスだろう。そんな小林さんを不意に襲った病と苦しい闘病。焦るな、と言っても無理かもしれない。
「闘病中、もちろん主人をはじめ、家族には支えられましたが、仕事の不安をわかってもらうのは、やっぱり無理な話。そこは、音楽を通じて繋がっている友人が力になってくれました。抗がん薬治療が始まる直前、先生に『少しなら飲んでもいいですよ』と言われて、音楽業界の親友3人と一緒に『最後の晩餐』と称して食事会をしたんです。これがほんとに楽しくて……」
当時記していた日記には、その時の様子がこう綴られている。
――劇的に話がとまらない。おもしろいのでお酒も進んでしまう。とても幸せだった。この幸せが来年また戻るといいな(原文ママ)――
「大声で笑って飲んで、久々に気持ちがフワッとしたのを覚えています。また必ずあの場所(舞台)に戻るんだ! と思いました」
2012年3月、寛解の2カ月後に完全復帰。ライブの舞台に立った。
「あのときは、本当に嬉しかった。やっぱり、ここが自分の居場所なんだな、と思いました」と振り返る小林さん。あれから5年、U_WAVEの活動はじめ、サポートミュージシャン、バンドマスターとして忙しい日々を送る中、ブログなどで「がん検診に行って欲しい」と呼びかけている。
「私と同じ思いを、誰にもして欲しくないんです。子宮頸がんは早く見つければ、子宮も失わずにすむし、子どもを授かることもできます。抗がん薬治療もする必要ありません。私自身、自分が病気になるまで知らないことばかりでした。もし知っていたら、もっと早く病院に行っていただろうし、こんなにつらい思いをせずに済んだかもしれません。だから、女性はもちろん、男性にもちゃんと知って欲しいのです。子宮頸がんの原因の1つとして、ウイルス感染があげられ、感染の多くは性交渉で起こります。だから、性交渉を1度でも経験していたら、年齢に関係なく誰でもなる可能性がある、ということを。性交渉を持った時点から、定期的な検診が必要であるということを。早期発見さえすれば、子宮を失うこともない、ましてや命を落とすこともないのですから」


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