乳がんで手術、抗がん薬治療を経てホルモン療法中のお笑い芸人だいたひかるさん(41歳) 「夫と2人、笑い合って生きていきます」

取材・文●菊池亜希子
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年3月
更新:2017年3月


手術直後に腕が使えず自信喪失

そんなだいたさんが、どうしようもなく落ち込んだことが1度だけあった。それは手術直後。胸を失ったからではない。右腕が使えなくなったときだ。

腋窩リンパ節を郭清したため、右腕が上がらなくなっていた。髪をクルッと丸めて〝お団子〟にすることができず、洋服を自分で着られず、体も自分で洗えなくて夫に拭いてもらったとき、私はもう普通の生活ができない……と目の前が真っ暗になったという。

しかし、手術翌日からリハビリが始まった。痛くて、腕が上がらなくて、一時は前チャックの服しか着られなくなることを覚悟した。けれど2週間ほど経ったある日、少し上がった。頭をかがめたら〝お団子〟ができた。その日の日記には「もし急に殴られたら、私、殴り返せる。もう大丈夫」と書いてある。術後1年を過ぎた今、だいたさんは何でもできる。「バタフライだって泳げそうよ」と笑う。

2時間近い取材の間、だいたさんが繰り返したのは、「大丈夫」という言葉だ。

「術後、腕が上がらなくて、もう自分で何もできないとまで思ったけれど、リハビリで少しずつできるようになって、自信がついた。今は何でもできます。抗がん薬治療も怖がらなくて大丈夫。テレビドラマなどでは壮絶なイメージがありますが、それは昔のこと。みんな普通に車を運転して病院に来て治療を受けているし、仕事にも行っている。あんまり大げさになることはないんだと、実感しました」

胸がなくても髪が抜けても大丈夫

とはいえ、抗がん薬による脱毛は、とくに女性にとってつらい副作用だろう。

「髪の毛が抜けていくのは、確かに切ない。でもね、毛なんかなくなっても大丈夫。また生えてきますし、ウィッグだって色々あって楽しめますから。ウィッグも医療用は高いけれど、私、普通に売っているもの買いましたよ。原宿で5000円でした。それにね、抗がん薬投与をすると肌が浅黒くなるって聞いて、私、これまでの人生で1番パックしてました。爪もガサガサになるから、普段はしないマニキュアしたりして。ちなみに、抗がん薬治療中は毛が抜けているから、化粧ノリが1番いいんですよ(笑)」

「髪が抜けても大丈夫、胸がなくても大丈夫」と笑うだいたさん。乳がん治療は日進月歩の進化を遂げ、現在、乳房を全摘した場合、同時再建、もしくは時間を置いての再建が行われることが多い。だが彼女は、今のところ再建の意思はないらしい。

「ビキニを着る予定もないし、別に不自由もないですから。グラビアアイドルってわけでもないしね。いつかビキニでも着たくなったら、しようかな(笑)」

右乳房を全摘しているので、ブラトップに何��入れていないと、洋服の上からでもへこんでしまうことがある。最初は、ストッキングを丸めて入れてみた。けれど、何かの拍子に転がり落ちてしまう気がして、今はお気に入りの肌触りよいハンドタオルを4つ折りに畳んで入れている。

「これが思いのほか、快適。肌触りいいし。それにね、これ、胸ポケットなんですよ。急に鼻水が出たりしたら、サッと出して拭けるでしょ(笑)。専用のパッドも売っているけど、高いんですよ。これだと家にあるタオルで代用できますから」

虫歯ができたら治せばいい

芸人になる前、だいたさんは美容師だった。毎日遅くまで仕事をしていた美容師時代、車のドアに親指を挟む怪我をし、3カ月ほど仕事を休んだ。そのとき暇を持て余し、カルチャーセンターの扉を叩いた。

「その日に見学できる講座が、お花、お琴、お笑い、の3つ。お笑いって何するんだろう? と興味本位で覗いてみたら、何かやってみて、と言われた。それで普段思っていたことをいくつか言ってみたんです。『私だけでしょうか、ワイドショーに出てくるデーブスペクターさんがお風呂上りに見えるのは……』とか。そしたら、生徒さんたちが笑ってくれたんです。それが無性に嬉しくて」

これがお笑い芸人だいたひかるの出発点だ。実は、人一倍おとなしい子どもだった。母親が付けたあだ名は「オキモノ」。ウンともスンとも反応しない子どもだったそうだ。そんな彼女がピン芸人コンクール「R-1ぐらんぷり」の初代チャンピオンになったのは2002年。これを機に活躍の場は広がり、「エンタの神様」「お笑いDynamite!」などで人気急上昇、お笑いブームの波に乗った。それから15年、スピート離婚や顔面麻痺など試練もあった。決して平坦な道を歩んできたわけではない彼女が、現在の夫、アートディレクターの小泉貴之氏と出会い、結婚したのは2013年。だいたさん38歳の誕生日だった。

「結婚してたった3年で私が病気になって、新婚早々看病させてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、いつも『僕がひかるちゃんを治すから』って言ってくれるんです。早く彼の役に立ちたいから、ちゃんと治して普通の生活をできるようになろうって闘病中ずっと思っていました」

がんになるまで、自分が死ぬことなんて考えたこともなかった、とだいたさんは言う。

「人間が死亡する確率は100%。余命200年なんて人はいません。最初と最後は自分で決められないけど、間はすべて自分のもの。それなら、どんなことがあっても、何か突破口を見つけて楽しんで生きよう! がんになって、そう思うようになりました」

すると、1日1日が愛おしくなった。「がんになってからのほうが生活を楽しめるようになった」そうだ。「いちいち喜べるんですよ。ご飯作って一緒に食べた。美味しかった。嬉しい!」と。

「普通に過ごせることが何より幸せなんだと気付くのに、私はどれだけ遠回りをしたんだろう、と思います。再発の心配ですか? ないと言えば嘘になるけど、夫に『虫歯だと思えばいい』と言われて気が楽になりました。虫歯ができたらどうしようって心配していても仕方ない。気を付けて生活して、それでもできたら、そのときは虫歯を治療すればいい。そういうふうに考え方を変えました」

彼女は今、3カ月に1回の血液検査、1年に1回の定期検診以外、夫とともに普通の生活を楽しんでいる。もうすぐ術後1年の定期検診の日を迎える。

「そのときだけは、がんのことを思い出しますが、あとは普通に冗談言って、笑って暮らします。これからもずっと」

抗がん薬治療中、少しでも関節痛を和らげるため、旦那さんがマッサージでほぐしてくれていたという

抗がん薬治療中の病室で。治療中は多少つらくても、なるべく歩くようにしていた、というだいたさん
1 2

同じカテゴリーの最新記事