骨肉腫で手術、抗がん薬治療を行ったアメフト元日本代表の大森優斗さん(25歳) 「前を向く。それを発信していきたい」

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年4月
更新:2017年4月


手術後に待っていた現実

手術後は、つらい日々が待っていた。

まず、6月から術後補助化学療法が始まった。「術前」はシスプラチンとアドリアシンが使用されたが「術後」はメソトレキセートが追加された。そのため副作用はさらに強くなった。しかも「術前」はがんを小さくするというハッキリとした目的があり、効果も実感できたのでつらい副作用も耐えられたが、「術後」は、再発を予防することが目的なので、効果は実感できない。その上期間は「術前」の倍の6カ月に及ぶので、「段々、しんどくなり、嫌気がさしてくるような感じ」だったという。

そしてもう1つ、気持ちを落ち込ませるような現実が待っていた。手術後に直面した自身の右脚の状態だ。

「手術後に右脚に触ってみると、手が触れているな、ぐらいの感覚はあるのですが、指が何本あたっているという感覚まではありません。人工関節に慣れるまで時間がかかり、最初は違和感と同時に、おもりを付けられているような感覚でした」

すぐに右脚の機能を回復するためにリハビリを始めたが、思うようにならない日々が続いた。

「なかなか右脚の機能が回復しなくて……。大学時代に前十字靭帯断裂の手術を受けた時は、術後3カ月が経過した時点で、ジョギングを始めることができたんですが、今回の手術は、術後3カ月が経過しても、ジョギングどころか、歩くことさえできなかった。何かそこで、もとのようにスポーツを行うのは難しいかなと実感したというか……。もうちょっと、アメフトみたいな瞬発力のいるスポーツができるようになるとは思えないな、と」

本当の意味で、選手生活への思いに区切りがついた瞬間だったのかもしれない。

メソトレキセート=一般名メトトレキサート

自分が前を向く、意味

こうしたつらい闘病生活の日々――。大森さんを支えてくれたのは、何だったのだろう?

「まずは、家族の支えですね。退院して1人でいると、マイナスなことばかり考えて、どんどん元気がなくなっていってしまうんですが、父や母などが隣にいてくれることで、考え方も前向きになれたので、本当にありがたかったです」

そして、友人の励ましも大きな力となった。

実は、大森さんは2月末に骨肉腫と診断されたあと、チームと会社のほうにはそのことを伝えていたが、高校、大学時代のアメフト仲間には伏せていた。ところが、5月下旬に人工関節置換術の手術を受けた際、父親のフェイスブックをきっかけに、多くの人が病気について知るところとなり、励ましのメッセージがひっきりなしに届くようになった。

「最初は、病気のことを公表するのは��だったんですけど、ひょんなことからみんなに知れ渡るようになってしまい……(苦笑)。でも、色々な人からメッセージをいただいて、素直に嬉しかったです。自分の中で〝友達〟と思っている枠よりもはるかに多くの人からメールをいただいて、『自分の身近な人以外にも、多くの人に支えてもらっている』と、実感しました」

当初は病気のことを公表することに抵抗があった大森さんだが、今は自ら発信したいという思いが強くなっている。

「最初はある新聞社からの取材がきっかけだったんですけれど、こうして自分から発信することによって、それを見てくれた人から『自分も、もう少し頑張ろうと思います』とメールをいただくことがあったんです。自分が前を向く、発信することによって、同じ病気で憂鬱になっている人が、少しでも前を向いてくれるかもしれない――。そうであるなら、自ら病気のことを公表して、前を向いてステップアップしていこう、と。そう思うようになりました」

手術から6カ月後、平坦な所であれば杖をつかず、普通に歩けるようになるまで大森さんは回復した。そして今年(2017年)に入り、職場にも復帰。これまで以上に仕事にも励むと同時に、アメフトに関しては、トップ選手として培った経験と頭脳を活かし、コーチングスタッフとなってシルバースターに貢献する考えだ。すでに今年2月からディフェンシブバック担当コーチとして活動を始めており、「シルバースターとして色々支えてもらった分、恩返ししたい」と話す。

そして、今後についてもビジョンがある。「将来的には、障害者スポーツなどにも関わっていければいいなと考えています」と話す大森さん。前を見据えたその姿に、もう迷いは見られなかった。

闘病中に病院スタッフと一緒に

アメフトの仲間が開いてくれた快気祝いで。「闘病中にたくさんの友達に支えてもらったことは本当に大きかったです」と大森さん
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