骨肉腫で手術、抗がん薬治療を行ったアメフト元日本代表の大森優斗さん(25歳) 「前を向く。それを発信していきたい」
手術後に待っていた現実
手術後は、つらい日々が待っていた。
まず、6月から術後補助化学療法が始まった。「術前」はシスプラチンとアドリアシンが使用されたが「術後」は*メソトレキセートが追加された。そのため副作用はさらに強くなった。しかも「術前」はがんを小さくするというハッキリとした目的があり、効果も実感できたのでつらい副作用も耐えられたが、「術後」は、再発を予防することが目的なので、効果は実感できない。その上期間は「術前」の倍の6カ月に及ぶので、「段々、しんどくなり、嫌気がさしてくるような感じ」だったという。
そしてもう1つ、気持ちを落ち込ませるような現実が待っていた。手術後に直面した自身の右脚の状態だ。
「手術後に右脚に触ってみると、手が触れているな、ぐらいの感覚はあるのですが、指が何本あたっているという感覚まではありません。人工関節に慣れるまで時間がかかり、最初は違和感と同時に、おもりを付けられているような感覚でした」
すぐに右脚の機能を回復するためにリハビリを始めたが、思うようにならない日々が続いた。
「なかなか右脚の機能が回復しなくて……。大学時代に前十字靭帯断裂の手術を受けた時は、術後3カ月が経過した時点で、ジョギングを始めることができたんですが、今回の手術は、術後3カ月が経過しても、ジョギングどころか、歩くことさえできなかった。何かそこで、もとのようにスポーツを行うのは難しいかなと実感したというか……。もうちょっと、アメフトみたいな瞬発力のいるスポーツができるようになるとは思えないな、と」
本当の意味で、選手生活への思いに区切りがついた瞬間だったのかもしれない。
*メソトレキセート=一般名メトトレキサート
自分が前を向く、意味
こうしたつらい闘病生活の日々――。大森さんを支えてくれたのは、何だったのだろう?
「まずは、家族の支えですね。退院して1人でいると、マイナスなことばかり考えて、どんどん元気がなくなっていってしまうんですが、父や母などが隣にいてくれることで、考え方も前向きになれたので、本当にありがたかったです」
そして、友人の励ましも大きな力となった。
実は、大森さんは2月末に骨肉腫と診断されたあと、チームと会社のほうにはそのことを伝えていたが、高校、大学時代のアメフト仲間には伏せていた。ところが、5月下旬に人工関節置換術の手術を受けた際、父親のフェイスブックをきっかけに、多くの人が病気について知るところとなり、励ましのメッセージがひっきりなしに届くようになった。
「最初は、病気のことを公表するのは��だったんですけど、ひょんなことからみんなに知れ渡るようになってしまい……(苦笑)。でも、色々な人からメッセージをいただいて、素直に嬉しかったです。自分の中で〝友達〟と思っている枠よりもはるかに多くの人からメールをいただいて、『自分の身近な人以外にも、多くの人に支えてもらっている』と、実感しました」
当初は病気のことを公表することに抵抗があった大森さんだが、今は自ら発信したいという思いが強くなっている。
「最初はある新聞社からの取材がきっかけだったんですけれど、こうして自分から発信することによって、それを見てくれた人から『自分も、もう少し頑張ろうと思います』とメールをいただくことがあったんです。自分が前を向く、発信することによって、同じ病気で憂鬱になっている人が、少しでも前を向いてくれるかもしれない――。そうであるなら、自ら病気のことを公表して、前を向いてステップアップしていこう、と。そう思うようになりました」
手術から6カ月後、平坦な所であれば杖をつかず、普通に歩けるようになるまで大森さんは回復した。そして今年(2017年)に入り、職場にも復帰。これまで以上に仕事にも励むと同時に、アメフトに関しては、トップ選手として培った経験と頭脳を活かし、コーチングスタッフとなってシルバースターに貢献する考えだ。すでに今年2月からディフェンシブバック担当コーチとして活動を始めており、「シルバースターとして色々支えてもらった分、恩返ししたい」と話す。
そして、今後についてもビジョンがある。「将来的には、障害者スポーツなどにも関わっていければいいなと考えています」と話す大森さん。前を見据えたその姿に、もう迷いは見られなかった。


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