直腸がんを経験し、人工肛門にとことん悩まされた作家のC.W.ニコルさん(76歳) 「がんだと聞いて、1度は死を覚悟しました」
人工肛門は制御不能な化け物

手術を受けるに当たり、事前に主治医から詳しい説明があり、まず直腸にできたがんを切除したあと、引き続いて一時的に人工肛門を造設することが告げられた。
自分の体に人工肛門が造られることを、ニコルさんはどのように考えていたのだろう。
「最初に人工肛門の話が出たときは、すごく嫌でした。でも説明を聞くうちに、永久に人工肛門になるわけではなく、一時的なもので、手術で切除した部分が完全に縫合(ほうごう)されれば、元に戻すということだったので、我慢するしかないと思いました」
11月7日、ニコルさんは病院に入院、8日に手術を受けた。
手術は開腹で行われ、まず直腸がんの切除が行われ、採取されたリンパ節と周辺組織の細胞が病理検査に回された。
幸い転移はどこにも見られず、ニコルさんの直腸がんはステージ(病期)Ⅱと確定した。
そのあと引き続いて人工肛門を造設する手術に入り、人工肛門が臍(へそ)の右側に造られた。
14時間に及ぶ手術は無事終了したが、麻酔から覚めたニコルさんを待ち受けていたのは、四六時中、人工肛門に翻弄されるつらい日々だった。
「術後は、手術の痛みよりも人工肛門のほうがストレスで本当にきつかったです。腹圧がかかって、人工肛門を造った場所がとにかく痛くて……。何より、人工肛門そのものが、意識がなくてもずっと動いている化け物みたいで、本当に嫌でした。人工肛門から出る排泄物の臭いも強烈で、便の臭いではなく、食べ物の腐ったような臭いがいつもするんです。そのせいで、食欲は全くわかず、107㎏あった体重は83㎏まで落ちました」
人工肛門は取り扱いに慣れないうちは苦労の連続になる。日本人の場合、人工肛門も小ぶりなことが多いが、ニコルさんの場合、白人で腸が格段に太いため、普通サイズのストーマ袋だと間に合わないことがあり、自分に合ったものを入手するのにも大変な思いをした。皮膚がただれたり、またベッドを汚すことを心配して、夜も眠れない日々が続いたという。
人工肛門は外れたものの……
人工肛門になって1週間が過ぎ、やがて2週間が経過した。人工肛門の苦労は絶えなかったが、直腸がんのほうは回復が順調で、合併症も起きなかったため、術後3週間で退院の運びとなった。
とはいえ、人工肛門に四苦八苦する日々は続いた。人工肛門では、自分の大腸や回腸(かいちょう:小腸の一部)を用いて便の排泄口が造ら���るが、「自分のものが外に出ていることへの恐怖は相当なものでした」とニコルさんは振り返る。
こうした様子を見かねた主治医は、人工肛門を取り外す手術を予定よりも早めて行うよう取り計らってくれたという。人工肛門が嫌で嫌でたまらなかったニコルさんにとって、この上ない朗報だった。
年が明けた今年(2017年)1月末、ニコルさんは再入院して人工肛門を閉鎖する手術を受けた。これによって、以前のように再び肛門から便ができるようになり、悩まされていた人工肛門からも解放されることとなった。
だが、これですぐに元の生活に戻れるわけではない。直腸を失い、便を貯めておく機能を失ったため、人工肛門の閉鎖手術を受けた患者は、しばらくの間、頻便に悩まされることになる。ニコルさんも例外ではなく、講演会や取材があるときは、途中で便意が起きないよう、食事をある程度制限する必要がある。
「いつ便意を催すか分からないから、今はトイレから5秒以内にいないとダメですね。食事に関してもコントロールが必要で、今日みたいに取材や講演会がある日は、朝から何も食べません。先生からは排便の感覚を掴むまでに1年位はかかるだろうと言われています。しばらくの辛抱ですね」
治療に関してはこれで一区切りとなり、現在は定期的に通院して再発がないかなどをチェックする日々が続いているという。
今後も森の再生、心の再生プロジェクトを
最初にがんだと言われたときは、〝死〟をも覚悟したニコルさんだが、ここまでの経過を「こんなに順調にいくとは思わなかった」と振り返る。
「人工肛門を閉鎖する2回目の手術が終わって、先生から『ニコルさん、順調ですよ』と言われたときは、本当に嬉しかったですね。まだ少し痛みがあったんだけれど、その言葉を聞いて、あれもしたい、これもしたいと、やりたいことが次々と頭に浮かんできました。それで『じゃあ、やれる!』と。そう思ったのを覚えています」
現在ニコルさんは、「C.W.ニコル・アファンの森財団」を設立し、長野県黒姫を拠点として森を蘇(よみがえ)らせるプロジェクトを行ったり、虐待や障害を持つ子どもたちを受け入れ、心の再生を応援する活動を行っている。また、「震災復興プロジェクト」として、宮城県東松島市では、東日本大震災による津波の被害にあった地域の復興に向けて、森づくりや、震災で失われた学校を子どもたちのために再生する「森の学校」プロジェクトを推し進めている。
「森は癒しの場所であり、人の心や体、そしてその人本来の自分を取り戻せる力というものを持っています。会社勤めで、精神的に追い詰められてしまった人、虐待や障害を持ち心に傷を負っている子ども、そういった人たちに対して森のような豊かな自然は、間違いなく効果があります。今後もこうしたプログラムを続けていきたいですね」
今年の夏には喜寿(きじゅ)を迎える年齢となるが、「やりたいことは一杯あります」と笑顔で答えるニコルさん。森から日本の未来を創る――。ニコルさんたちの活動は、今後もますます広がりを見せてくれるだろう。

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