16歳で急性リンパ性白血病(ALL)と診断され、壮絶な抗がん薬治療を受けたタレント・友寄蓮さん(22歳) 「過去は変えられなくても、未来は自分で作れる気がします」

取材・文●菊池亜希子
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年8月
更新:2017年8月


忘れられない友との出会い

「小児病棟に入院していたので、節分、七夕、クリスマスと、季節ごとに色んな行事があって、学校みたいな雰囲気でした」と、写真を見ながら語る友寄さん

副作用に苦しみ続けた1年4カ月。それでも、入院生活はつらいことだけではなかった。

「小児病棟に入院していたので、節分、七夕、クリスマスと、季節ごとに色んな行事があるんです。私が最年長だったから、みんな弟や妹みたいだった。病院で迎えた17歳の誕生日には、病棟のみんなが素敵なバースデーカードを作ってくれたんですよ。入院というと重苦しいイメージがあるかもしれませんが、小児病棟だったから、異年齢の子供たちが一緒に過ごす縦割りの学校みたいな雰囲気でした」

そんな中、友寄さんは同じ病棟の3歳下の女の子と出会った。彼女は脳腫瘍を患い、治療を受けていた。

「こんなにつらい思いを自分の大切な人にはさせられない。病気になったのが家族じゃなくて私でよかった」

彼女は、友寄さんにそう言ったという。自分の境遇を恨み、母親に苛立ちをぶつけていたばかりだった友寄さんは言葉を失った。

「そんな考え方があるんだ……」

気持ちが大きく舵を切った瞬間だった。それからは、不思議なほどに、苛立ちや怒り、恨みといった感情が遠のき、それまでとは違った景色が見えるようになった。命を大切にしたいと思うようになったのもそのころだったという。

「将来はリハビリの先生になって、色々な人たちを助けたい」と言っていた彼女は、その後退院して、月に1度の外来診察のたびに友寄さんを訪ね、外での出来事を色々話して聞かせてくれたという。友寄さんも、外の世界で彼女と会う日を楽しみに、自身の治療に専念した。ところが数カ月後、彼女は再入院してきた。友寄さん自身の副作用がきつい時期だったこともあり、お互い行き来できないまま数カ月が過ぎたある日、彼女が亡くなったことを知らされた。

「自分をすごく責めました。気になりながらも彼女の容体を聞けなかったことを。そして、私だけが生き残ってしまったことを。彼女にお礼を言いたかった。あなたに出会えて幸せだったと伝えたかった。だから私、それからは、人には思ったときには『ありがとう』といった感謝の気持ちを後回しにせず、その場その場でちゃんと伝えようと思うようになりました。いつ、その人に会えなくなるかわから��いですから」

病院で迎えた17歳の誕生日。病棟のみんなが素敵なバースデーカードを作ってくれたという

退院後も試練は続く

友寄さんの地固め療法が終了して退院したのは、2013年3月。退院してからも、ロイケリンという経口の抗がん薬を1年間服用し(維持療法)、全ての抗がん薬治療が終了したのが2014年3月だった。

「ただ、退院してからも、抗がん薬の影響からか肺炎になったり、総胆管結石を来し救急車で運ばれて緊急手術で胆のうを摘出したり、腸炎になって入院したり、決して良好な経過ではありませんでした。1カ月に1回の定期検診は、再発という言葉がちらついて、毎回恐怖でした」

退院した友寄さんには、再発の不安と同時に、今後の生き方という課題がのしかかってきた。友寄さん自身の希望と学校の計らいで、同級生と一緒に高校を卒業することはできたものの、卒業後の進路など何も決まっていない。久しぶりの外の世界、しかも〝学校〟というレールすらない世界に、当時の友寄さんはどう関わっていけば良いのか途方にくれた。

「とりあえずアルバイトの面接をいくつも受けましたが、病歴で落とされました。やっと受かったイタリアンレストランのアルバイトも、始めてみたらコーヒーカップが重く感じてしまって……。案の定、スパゲッティを運ぼうと思ったら持てずにひっくり返してしまい、お店からもちょっと働くのは難しいのでは、ということですぐに辞めてしまいました。しかも同じころ肺炎で倒れてしまったこともあり……、しばらく家から出られなくなりました」

引きこもっていた間、友寄さんは出口の見えないトンネルの中で、自身にできることを懸命に考え続けた。「自分と同じ状況で苦しんでいる人がたくさんいるに違いない。そういう人たちに私ができることはないだろうか」と。中学3年生でタレント養成所に所属し、エキストラなどでドラマにも何度か出演していた友寄さんは、闘病前とは全く違う意識で、タレント活動に再チャレンジすることを心に決めた。

当時、タレント募集していた杉本彩さんの事務所に応募して合格。杉本さんが動物愛護活動をしていたことに縁を感じたという。その後、2014年1月に産経新聞で初めて白血病との闘いを告白。その記事を見たプロデューサーから連絡が来て、同年秋の舞台「友情」に出演することになったのだ。

「白血病の話で、実際に頭を丸めなくちゃならない役。経口の抗がん薬治療が終わって間もないころでしたし、稽古が始まる1カ月前に総胆管結石で胆のう摘出手術を受けたばかりでしたが、どうしてもやりたい! と思いました」

自分と同じように苦しんでいる人に、自分が元気に活動している姿を発信することで、生きることへの励みにつなげてもらいたい――そのためにも、この舞台にどうしても出演したかった。人一倍、体調に気づかい、全神経を舞台に集中させた友寄さん。共演者の温かい支えもあって、無事、3カ月の公演をやり切った。そして、彼女の中に確固たる自信、そして覚悟が生まれた。自身の経験を語り、多くの人に知ってもらいたい、と。そして、白血病は死の病ではない、ちゃんと生きていけるのだと伝えたい、と。

2013年3月に退院した後も、何度か入退院を繰り返し、再発を覚悟した局面も数回あった。が、そのたびに耐えて復調し、再発することなく4年が過ぎた。現在は体調も安定し、今年からは定期検診も3カ月に1度になった。あと1年、今の状態が続けば、ほぼ完治だろうと、医師から言われているそうだ。

「あのときの苦しみが薄れていくのが、今、少し怖いんです。あんなに苦しかった病院での1年4カ月。副作用で毎日違う苦しみが襲ってきて、その瞬間をやり過ごすのが精いっぱいだった日々を、私、ふと気づくと忘れているんです。忘れることができるから人間は生きていけるのでしょうが、それでもやっぱり忘れちゃいけない、忘れたくない、と思っています」

朝、心地よく目覚められること、ご飯を食べておいしいと思えること、道端に咲いた花をきれいと感じること――、日常生活に実は奇跡が詰まっていると友寄さんは言う。当たり前に生きていること自体が奇跡。その奇跡に感謝できる自分でいたいから、病の日々を忘れたくない、ということか。

「過去は変えられないけど、感謝の心を持っていれば、未来は自分で作れる――。病気を経験して良かったとは思っていません。でも、そこに気づけただけでも、これからの人生、変わっていくと思っています」

ロイケリン=一般名メルカプトプリン

2014年には、白血病の少女とクラスメイトとの心温まる友情を描いた舞台「友情~秋桜のバラード」に出演した友寄さん(左)。実際に頭を丸めて出演した
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