弟・進の盲腸がん、兄・孝の脳溢血を乗り越えたビリー・バンバン 私と兄がほぼ同時に大病になったおかげで『本物の兄弟』になれました
リハビリを続ければ必ず歌えるようになるよ
退院後、数日自宅で静養したあと、進さんは仕事を再開した。手術で管が入ったためしばらく声の調子がおかしかったが、日が経つにつれて本来の声に戻り、翌月に迫った45周年ライブで歌える目途も付いた。
しかし、このライブは延期になった。
デュオを組む兄・孝さんが脳出血で倒れ、左半身がマヒしてしまったのだ。
孝さんは左足が動かないため車イスの生活になり、言葉も不明瞭で弱々しい声しか出なかった。それを目の当たりにしていた進さんは、もう2度とビリー・バンバンとして歌える日は来ないのではないかと思った。
「でも、ここで僕が希望を失ったら、すべてが終わると思って、お兄さんを励まし続けました。『リハビリを続ければ必ず歌えるようになるよ』って。自分でがんを経験し、気持ちを前向きに保つことがどれだけ大事かわかっていたので、ネガティブなことは絶対に言わないようにしていました」
そんな気遣いもあって兄・孝さんは、積極的にリハビリに取り組むようになった。
リハビリは左半身の関節の機能回復がメインだったが、孝さんは自分自身で声のリハビリにも取り組み、2つの病院で計8カ月に及んだ入院生活を終えて家に戻ったころにはかなり大きな声を出せるようになっていた。
「まだ言葉はちょっと不明瞭で、抑えた声もうまく出せなかったけど、大きな声は無理なく出るようになったので、ビリー・バンバンとして再び兄弟で歌える可能性が出てきたと思いました」
リハビリ・バンバンが功を奏し最短で復活
それでも進さんはビリー・バンバンが復活するまで2年くらいかかるのではないかと思っていた。あるラジオ番組に出演した際も、「お兄さんが立って歌えるようになるには2年くらいかかりそうです。僕もお兄さんを応援するから皆さんも待っていてください。それまでは、ビリー・バンバンじゃなく、リハビリ・バンバンで頑張ります」と語っていた。
しかし、孝さんは、歌うほうのリハビリはすこぶる順調だったので、立って歌うことにこだわらなければ、復帰の時期をずっと早めることができる。
進さんが、車イスの兄・孝さんとステージに立ったのは2015年6月のことだ。進さんが盲腸がんの手術を受けてから13カ月後、兄の孝さんが脳出血で倒れてから11カ月後のことである。

「BS朝日が河口湖で行った『集え!富士山麓。歌え!青春フォーク』と銘打った企画の公開収録に森山良子さん、かまやつひろしさんなんかと出演したんです。『白いブランコ』など3曲を歌ったんですが、問題なくやり通すことができたので、大きな自信になりました。1年でここまで来たんだから、これからはもっともっと良くなると思い、希望が湧いてきました」
復活を遂げたビリー・バンバンはその後、徐々に活動の幅を広げ、2016年には〝いいちこ〟の新CMソングを含むマキシイングル「さよなら涙」を発売。今年(17年)3月には、3年越しの45周年ライブを開催し完全復活をアピールした。奇跡の復活を遂げたビリー・バンバンはファンが急増しており、秋から年末にかけてビリー・バンバン単独のコンサートが名古屋と富山県で計3回あるほか、全国27か所で、昼と夜の部に分けて開催される「夢のスター歌謡祭」にフル出演して毎回3曲歌う予定だ。
それ以外にもテレビ、ラジオ番組への出演が多数組まれているが、進さんは、定期検査を欠かさずに受けている。
「今年7月に術後3年が経過したので、このまま再発がみられないまま5年が経過するんじゃないかという気持ちはあります。でも、同じ今年7月に盲腸がんの手術の後遺症である腸閉塞が起きて猛烈な痛みに襲われ七転八倒したので、改めて油断できない病気だと思いました」
がんに対する警戒は怠らないが、その一方で、がんを経験したことで得たものも大きいという思いもある。
「がんを経験したことで得たものはいろいろあるけど、1番大きいのは以前よりも人を思いやれるようになったことです。僕たち兄弟はほぼ同時に大病を経験したことで、お互いを思いやれるようになり、初めて本当の兄弟になった気がします。それまではデュオを組んでいても、兄弟なんて仲が悪くて当たり前だと思って、争ってばかりいましたが、大病したおかげで人間的にも成長できたんです」
彼らは大病を患ったことで、経験した者にしかわからない感情を詞に込めて歌うようになった。「さよなら涙」の歌詞には〝さよなら涙 この先へ行こう〟というフレーズがあり、そのほかの曲にも、2人の思いが伝わってくる箇所が随所にある。新たなファンが急増しているのは、闘病中の人や病気で苦しんだ経験のある人がそこに共感し、心を動かされるからだろう。
ビリー・バンバンは復活しただけでなく、まったく新しい顔を持つようになったようだ。
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