「がん哲学外来」開設10年。「病気であっても病人でない」社会をめざして 順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授の樋野興夫さん
「がん哲学外来」を開設してわかったこと
2008年に1月に始まった「がん哲学外来」は無料で、面談時間はおよそ60分です。
「がん哲学外来」を始める際、僕は病気に関する不安や悩みが1番多いのでないかと思っていたんですが、実際にやってみると1番多いのは、心の悩みでした。とくに家族間の人間関係と職場での人間関係に悩む方が多くいました。
それから10年が経過しましたが、職場での人間関係に悩む方は2、3割減ったように思います。しかし、家族間の人間関係に悩む方は、一向に減る気配がありません。
家族間の人間関係のことで相談に来られた方は、片方の主張だけで物事を判断できないので、2回目は家族と一緒に来てもらうこともあります。
僕は家族間の人間関係に悩む人が多くなる根本的な原因は、家族の距離に問題があるんだと思っています。例えば、日本人は、家族のなかにがん患者を抱えた場合、だまってその患者に寄り添っていられる訓練ができていないように思われます。患者が自分の部屋に入ってしまうか、家族が自分の部屋に入ってしまうか、どちらかです。
最近、がん教育が授業で行われるようになったので、がんの先端知識を教えるのもいいけど、人間としての対話の重要性も教える必要があります。いろんな人間がいるので多様性のある方法でやらないといけませんが、そのことを考える時期に来ているように思います。
がん哲学は言葉による癒し

大まかにいうと、およそ60分の面談のうち、はじめの15分から30分はこちらは聞き役に徹し、相談や悩みのポイントを把握したら、頭の中に蓄えた言葉のストックから〝言葉の処方箋〟を用意し、一通り話を聞き終えたところで処方箋としての言葉、例えば「人生いばらの道にもかかわらず宴会」などの言葉を差し上げます。
その言葉はすべて*内村鑑三、*新渡戸稲造、*南原繁、*矢内原忠雄の4人の本に出ている金言です。僕は19歳の頃からこの4人の著作を読みふけり、これまで何度も繰り返し読んでいます。暗記した言葉やフレーズは無数にあります。
がん哲学はロゴセラピー、つまり言葉による癒しです。
僕がこの4人の先人から教えられたことは、突き詰めれば、「99人が必要ないと言っても、1人が困っていれば、その人のために行動しなさい」、ということです。僕は、それを自分自身の生きる基軸に据えてきました。それゆえ、相談者に対しても、生きる基軸になるような4人の先人の言葉を贈るのです。
*内村鑑三:1861~1930年。キリスト教思想家・文学者
*新渡戸稲造:1862~1933年。教育者・思想家
*南原 繁:1889~1974年。政治学者 東京���国大学総長(1945~1951年)
*矢内原忠雄:1893~1961年。経済学者 東京大学総長(1951~1957年)
日々全力を尽くして生きればいい
面談を行うとき心がけていることは、暇そうな雰囲気を醸し出すことです。忙しそうにしている者に人は心を開きませんが、暇そうで脇が甘い感じの人間にはガードが下がり、言葉が出やすくなります。暇そうなおやじに見せることで、教授の僕と相談者の目線を同じにすることもできます。がんカウンセリングや心療内科の医師は、「先生」の立ち位置から見下ろす形になりがちです。それでは見えない壁を作っているようなものなので、暇そうに見せる努力は大切なのです。
僕は、打てば響くような反応もしません。もともと僕はのろまなタイプで、子供の頃から何をやるのでも30秒遅いのです。どれが1番大切か、優先順位をつける癖があるのでそうなってしまうのです。
僕は相談者と向き合うとき、この少し遅れる30秒の間を大切にしています。人によって話すテンポは違います。話している間にちょっと間が空いたり、しばし沈黙が続く人もいます。そんなとき、不安になって話し出すのは賢明ではありません。沈黙を共有できることは、信頼関係があるからできるのです。話すことより、話さないことのほうがずっと価値あることを知るべきです。
がん哲学外来は医療ではなく人間学なのです。がん哲学の理念はがん患者その人の個性を引き出すこと。がん患者本人が変わらない限り何も変わらないからです。そのことに気づく手伝いをしているのです。
がん患者はいろいろな悩みに囚われています。なぜ私ががんになってしまったのかとか。
しかし、過去を悔んだり、先のことを思い煩っても仕方ないのです。その日その日を、全力を尽くして生きればいい。「人生いばらの道にもかかわらず宴会」ですよ。「病気であっても病人ではない」という社会を作らなければいけないと思いますね。
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