がん告知や余命を伝える運動をやってきたが、余命告知にいまは反対です がん教育の先頭に立ってきたがん専門医が膀胱がんになったとき 東京大学医学部附属病院放射線治療部門長・中川恵一さん
がん細胞を見落としていた悔恨

手術の結果、中川さんの膀胱がんはステージ0期に近い早期だが、がん細胞の悪性度は3段階の真ん中の2で、2の中でもハイグレードだった。
「悪性度が高いということは見た目にはきれいに取れているがどこに残っているかわからないので、再発の可能性があるということです。ですからこれから3カ月ごとに内視鏡を使った検査を受けなければいけません。少し気が重いですね」
手術が終わってからも血尿が続き、血の塊のようなものも出てきた。
「いまは肉眼的にはほとんどわからなくなりました。しかし、検尿テープなどで検査するとまだわずかですが出ています。まぁ徐々にですがなくなると思います。なくならないとまだがん細胞があるということになりますからね」
膀胱がんは早期の場合でも、だいたい8割ぐらいが血尿が出て発見されることが多いが、肉眼的血尿だけでなく顕微鏡的血尿もなかった中川さん。もし、超音波エコーをやっていなかったらしばらく発見されることはなく、がんはさらに進行し膀胱全摘をしなくてはならなくなっていたかもしれない。その意味では、自らのがんを早期発見した中川さんはラッキーと言える。
しかし、実は2017年の6月に今回と同じように超音波エコーの画像で自分の膀胱を検査していたのだ。
「そのときも膀胱の内壁に小さな影が映っているのですね。そこで内視鏡の検査をするべきだったのです。なんでそうしなかったのか。1年半も忙しさにかまけてほったらかしにしていたのは、がん専門医としてミスというしかありません」
余命告知は本当に必要か?
大晦日に退院し、1月4日から通常勤務に戻ったが、自身ががんになったことで改めてわかったことがあるという。
「それは、数字とか論理は相手には通じないものだということです。『私が3人に2人はがんになり3人に1人はがんで亡くなる』と言ったとしても、人はその2人の中に自分が入るとは思っていない。生物としての人間は、自分ががんになるとはさらさら考えていないのです。事実、私自身がそうでしたから」
そういった意味で、「がん患者さんへの余命告知は必要なのか」と中川さんはいま考えている。
「以前は余命告知をすることに賛成だったのですが、いまは反対の立場です。それは自分が歳を取ったのと今回の経験もそうです。自分がどのくらい生きるのかということは、生き物としての人間はそういうことは考えないで、ずっと生きていくつもりで生きているのだと思います。生きている時間を限られるということは、人としてはすごく負担になるのだと思います。仮に余命告知をうまく活用できる人がいるなら、それはプラスになると思いますよ。しかし、それが出来る人は非常に少ないのではないか、と今いまは思うのですよ。一生懸命いまを生きることと、残り時間を生きることとは若干違うような気がしています」
中川さんが医師になった35年前はがん告知や、まして余命告知などは全くなされてはいなかった。
例えば、東大病院ではルールを作り、肺がんは肺真菌腫という嘘の病名を患者や家族に言ってきた。しかしそれは「患者さんや家族にとってプラスにはならない」として、「告知や余命を患者さんや家族に伝えるべきだ」という運動を中川さんたちはやってきた。
その結果、現在ほとんどの病院でがん告知と余命告知をするようになってきた。
「思うのですが、患者さんにとって医師は神のような存在なのです。事実、今回の手術では後輩ではあるけど、主治医は神のような存在になりました。だからその主治医に『あなたはあと何年生きられます』と言われることは、多くの患者さんにとってそう宣告されることがプラスにできるかというと、懐疑的にならざるを得ません。患者さんの中にはできる人もいるでしょうが、そう簡単なことではないな、と思うようになりました」
がんを恐れないためにもヘルスリテラシーの向上を
中川さんが議長を務めている「がん対策企業推進アクション」は今年で10年目になる。
恒久予算がついているわけでもない事業が10年続くというのは非常に珍しいことで、企業の中でのがん対策が非常に重要だとの認識が国にあるからだ。
「事実、サラリーマンの死因の半分以上ががん死なのです。伊藤忠商事のデータでは病気による死亡の9割が、がんが原因です。ではがんに負けないためにはどうすればいいか、簡単に言えばがんを知るということです。そのためには〝ヘルスリテラシー〟を高めることが重要だと思いますが、日本は調査対象15カ国中最下位というデータがあります」
ヘルスリテラシーとは健康な生活を送るため情報を入手・理解して活用できる能力のこと。
「例えば、がんと診断されると1年以内の自殺率は20倍にもなります。それはがんという病気に対する思い込みがあるということです。就労についてもサラリーマンだと3人に1人が離職するとか、自営業者では17%が廃業するというデータがあります」
中川さんは言う。
「がんはリスクをある程度コントロールできる病気であって、煙草を吸わなければリスクは下がります。確かに運の要素もありますが、生活習慣と早期発見で早期がんならほとんど治ります。だから『がんでも辞めない、辞めさせない』をがん対策企業推進アクションのキャッチフレーズの1つにしています」
「中学校では一昨年の3月、高校では昨年の3月から学習指導要領にがん教育が入りました。これから子どもたちはがんのことを学んでいきますが、大人たちはこのままではこれから益々世代間格差が出てきます。ですから職場でのヘルスリテラシーをいかに高めるかがこれから重要になってくるのです」
最後に、中川さんに自身ががんになって良かったかを訊ねてみた。
「自分が実はがんにならないと思っていたことに気づいたこと。ある種、他人ごとだと思っていた私の話にリアリティが伴ってきたというのは、まったくそうだと思うのですね。そこは良かったと思います。がんは症状が出にくい病いです。早期ではほとんどの場合、何も感じません。私の場合は早期で発見することができたので、こうして皆さんの前で話をすることができているのです。だから、少しでも早く発見するためにもセルフチェックを怠らないでください。そして、少しでも異常があったら病院で検査を受けてください」
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