またステージに立つという自分の夢もあきらめない 急性骨髄性白血病を乗り越えた岡村孝子さん

取材・文●髙橋良典
発行:2020年11月
更新:2020年11月


もう一度ステージに立って歌いたい

18枚目のオリジナルアルバム「fierte」

白血病の治療では患者は通常クリーンルーム(無菌室)で過ごさなくてはならない。そんな季節の移り変わりもわからない病室に1人でいると、閉塞感に囚(とら)われ気分がどんどん落ち込んでいった。いつ退院ができるのか、この状態がいつまで続くのかわからないことがその思いに拍車をかけた。

「白血球の数値が低下したときなど、気持ちが落ち込み、本当にライブはできるのだろうか、復帰はできるのだろうかと思ったりして、世の中から自分だけ取り残されているような気持ちになったりもしました」

「もうどうでもいいや」と思ったりした岡村さんに、娘のある一言が落ち込んだ気持ちを立ち直らせてくれた。

「娘はそんな私の気持ちを察したのか、私のニューアルバムを買って来てくれ、『復帰後のコンサートで歌う曲を決めたら』と言ってくれたのです」

実は岡村さんは5月22日に6年ぶりとなる18枚目のオリジナルアルバム「fierte」をリリースしていた。しかし、そのアルバムの中の曲をまだ一度もステージでは歌ってはいなかった。

「私はステージでアルバムの曲を歌うことでその曲が完結すると思っているので、どうしてもファンの皆さんとコンサート会場でお会いして歌いたいという気持ちが娘の一言で湧き上がってきました。そして自分をこんなに心配してくれる娘を遺しては死ねない。そう思うようになりました」

また音楽仲間やフアンの方々が闘病中の岡村さんを励ますために千羽鶴を贈ってくれ、その数は万羽にもなった。

そんなもう一度ステージに立つんだという岡村さんの気合いと、応援してくれる音楽仲間やファンの思いが天に通じたのか当初の予定より早い9月20日に退院できることになった。

「先生からは、『いままでの移植を受けた患者さんの中で、ベスト10に入るくらい移植後の経過が良かったので、予定より早く退院できそうです』と言われました」

4月18日に入院してから、約5カ月に及ぶ闘病生活だった。

音楽仲間やフアンが贈ってくれた千羽鶴

応援していただいた皆さんに恩返しできたら嬉しい

私の眼に映ったことをメロディや言の葉に代えて、皆さんに恩返しをしたいと語る岡村さん

入院生活が約5カ月と長期に渡ったことで、全身の筋力がかなり落ち退院当初は自宅前の数段ある階段さえも登れなかった。

さらに移植後の治療で大���のステロイド剤を使用したため、その副作用で骨がもろくなって知らないうちに骨折する危険性があった。そこで骨折防止のため、最近まで腰にコルセットを巻いていた。

「病院では入院当初から自転車を漕いだりして、筋力が衰えないように運動をしていたつもりなんですが、自分が思っていた以上に衰えていたのには驚きました。散歩も最初はいつものコースの半分ぐらいしかできませんでしたが、いまでは毎日5,000歩ぐらいの散歩もできるようになりました。ただコンサートで20曲歌う体力までには回復してはいませんけど」

食事も病気の性質上、入院中から生野菜や果物、刺身などの生もの、ヨーグルトや味噌、納豆、漬物などの発酵食品、生クリームやハチミツなどは禁止された。

「退院して7月で1年経ったので食事などは、ほとんど全て大丈夫にはなりました。ただハチミツと生卵だけはまだダメですね。元気は元気なんですけど、普通の方に比べると免疫力は低いのでこのコロナ禍ではあまり外には出ないでと周りから言われています。それでも入院中クリーンルームの中にいたことを思えば、今は天国みたいなものです」

岡村さんは現在、月に1度検診を受けている。

「血液検査の結果は毎月良くなってきていて、血小板の数値は普通の人よりいいぐらいですが、毎月検査結果が怖いことには変わりありません」

急性骨髄性白血病を発症したことで、岡村さんにそれまでの生き方に変化はあったのだろうか。

「今日の日が昨日と変わらず健康で生活できていること、昨日と変わらない日常が続くことは改めてすごいことなんだと気づかされました。東日本大震災のときも同じように感じさせられたのですが、今回病気になって改めて本当にすごいことなんだな、ということに気づきました。臍帯血移植で新しい命をいただいたので、毎日毎日を本当に楽しみながら大切に生きていこうと思っています」

そしてこう続けてくれた。

「ソロデビューして35周年のアルバムを制作しようと思っています。振り返ってみて35年は決して短い時間ではありませんでした。その間、音楽仲間の人たちや応援してくださるファンの方々と共に歩いてこられたのは、今思っても本当に幸せなことだったと思っています。だからその思いを証(あかし)にできるようなアルバムを皆さんと共に作りたい。

私の眼に映ったことをメロディや言の葉(ことのは)に代えて、皆さんに恩返しをしていけたらいいかなと思っています。そしてそれらの曲をコンサート会場で歌って35年長く一緒に歩いて来たね、という思いをみんなと噛みしめたいと思います。

〝あみん〟から入れればデビューして38年になります。迷ったり楽しかったりしたことをそのまま音楽にして皆さんと共に歩いて来たので、これからも変わらず共に歩いて行けたら嬉しいかなと思っています」

これからの岡村さんの活躍を祈りたい。

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