人生、悩み過ぎるには短すぎてもったいない 〝違いがわかる男〟宮本亞門が前立腺がんになって

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2021年1月
更新:2021年1月


術後の尿漏れも楽しむ

宮本さんは前立腺がんを宣告され、手術を決断するまで不安に襲われたことも一度や二度ではなかった。

「全摘手術することで勃起しなくなることも含めて、テレビで放送しているだけに、人に何と言われるんだろうとか、訳のわからないことを考えたりしました。僕は昔引き籠ったこともあって、また悪い癖が戻ってきたと思ったりもしました。

『不安になるな、不安になるな』と自分に言い聞かせて、『死ぬなら死んでもいいじゃないか、だから今を生きよう』と思うように自分を変えていきました」

宮本さんの受けたダヴィンチ手術は手術支援ロボットと呼ばれ、腹部に5カ所の小さな穴を開け、そこから手術用鉗子(かんし)を挿入し、サージョンコンソールと呼ばれる操作部に座った術者が3D画像を見ながら、遠隔操作で3本のアームを動かして手術を行うというもの。

この手術のメリットとしては出血量を極端に押さえ、術後の疼痛を軽減し、機能温存の向上や合併症リスクの回避などのメリットが謳(うた)われている。

午前10時から始まる手術の前に、若い看護師が手術前に流す音楽のメニューを持ってやって来た。宮本さんはリラックスするときはハワイアンか沖縄民謡を聴いているので、それらの曲を頼むと、さすがに「それはありません」と断られた。それでは何かクラッシックの曲をとお願いした。

手術室の中では1人センターベッドに寝かされた宮本さんの耳に流れてきたのは、なんとそれはあまりにもポピュラーなピアノ練習曲ベートーヴェンの「エリーゼのために」だった。「なんだ、もう少し高尚な曲を聞きたかったな……」と思う間もなく麻酔薬を吸入され意識が無くなった。

そして「亞門さん、亞門さん」と呼ぶ声が聞こえて意識が戻った。

「ダヴィンチ手術は本当に楽でした。手術時間は3~4時間と聞いています。お腹を触っても全然痛くはないんです。手術で開けた傷も1~2カ月で完全に塞がり、傷跡もほぼありません」

宮本さんは2週間で退院する。

術後の尿漏れはどうだったのだろうか。

「西川きよしさんが前立腺がん手術をしたあと『水道の蛇口が壊れたみたいや』、とインタヴューで答えていらしたのを拝見して、一応覚悟はしていました。西川さんのおっしゃる通り、自分の意志とは全く関係ないところで暖かいものが出てくるんです。そのときに『ああ、情けない』と思うのではなく、『暖かいじゃないか』と思ってゲラゲラ笑うようにしたんです。

どうせ誰しもが赤ちゃんのときに経験してたし、歳を重ねれば起こることです。そのときのための予行演習だと思えば、これはこれでいいじゃないか、と決めて1人笑って何回もトイレに行っていました。そう思うように決めてしまうとその状態が想像していた以上に楽しかったです」

最初の頃は尿漏れパッドの種類もよくわからなくて大きいのを買ってしまったこともあった。「自分にあったも��はないかとおむつ売り場で探していると、店員さんに写真を頼まれることもあったんです。写真を撮ると背景はおむつの山でした(笑い)」

生きてることの素晴らしさ

その尿漏れも、術後6カ月ぐらいから改善され、現在ではまったく症状はないという。

「ただ主治医から、『よく女性が笑ったり咳したりすると、尿漏れがあるということを聞いたことがありますか』、と尋ねられたことがあります。『うちのお袋がよく言っていたので、聞いたことがあります』と応えると、『前立腺を取ったことでそれと同じことが起こります』と。正直言えばいまも大笑いすると「あれ」って、数滴ですけど出ますね」

「個人的には勃起不全は悔しいと時々思いますね。女性から見るとおかしいかもしれませんが、自分に自信がなくなったときに、勃起は『俺は男だ、大丈夫だぞ』という自信回復効果もありましたし、正直悔しいです。

僕はどちらかといえば男性性とか女性性とかあんまり関係なくて人間として生きる、と思ってきた人間なのに、そんなことを思ってしまう自分も発見できて興味深かった」

がんを経験したことで何か変わりましたか、と質問してみた。

「そういう質問がよくありますが正直いって、清く正しい聖人にはなれず、それほど変わってはいません。ただ以前よりは死は突然訪れてくるものだと意識するようにはなりました。だからいちいち細かいことに目くじらを立てることが馬鹿馬鹿しくなりました。ネガティブなことよりも〝生きていることの素晴らしさ〟のほうに気持ちがシフトしてきています」

宮本さんは、黒澤明さんの名作『生きる』を2018年と2020年の2度ミュージカルとして演出している。

市役所勤めの主人公はすべてにわたり事なかれ主義で生きてきた。しかし、胃がんを宣告されたことで死期を悟り、初めて生きることに目覚め、市民のために障害を乗り越え空き地を整備し、そこに小さな公園をつくるという物語だ。

ミュージカル『生きる』を演出中の宮本さん

主人公とはがんの種類こそ違え、同じがんになった宮本さんの『生きる』の演出は、がんになる前となった後ではどうだったのだろうか。

「変わりました。自分ががんだと告知されて、『なんで自分が』、という気持ちが襲ってきて運命を呪いたくなります。そのときの混乱やいらだちは主人公のセリフでもあったりするんですが、そのいらだちや混乱はマイナスのことではなく、がんになったことの大切な要素だと思ったんです。人間みんな喜怒哀楽があって生きていますから。それを大変なときは表に出していい、ここでは怒りましょうよ、決してがん患者は聖人でもなんでもないんですからと言いました。

誰だってタイミングが悪く家族が自分の話を聞いてくれなかったり、気持ちを理解しようとしてくれなかったら、何でわかってくれない! と怒鳴りたくもなりますよ。それに後になって反省したり、どうして怒鳴ったのかいう気持ちも一段と強くなる、それこそが人間味溢れる主人公の良さであり、人間の愛おしさだと思うのです。ですから主人公を聖人にしないでください、とお願いしました」

人生、悩み過ぎるには短すぎる

あるとき、がん研究センターのイベントに呼ばれて出かけたときのことだ。宮本さんはがん患者さんの目が生き生きとして輝いていることに気づいた。

「死が近づいてきたとしてもまだ生きられるんだ、だから出会いも大切にしたい。これまで人生を生きてきて、自分の身に纏(まと)っていたものを捨ててその人本来の姿に近づいていってるのだな、それはすごく素敵なことだとそのとき気づきました」

このコロナ禍で病院に検査になかなか行けなかったが、少し前の検査結果ではPSA値は0.008だった。

「人生、悩み過ぎるには勿体ない、短すぎる」という父親の言葉が大好きと語る宮本さん

「94歳の親父がね、こう言うんですよ。『人生、悩み過ぎるには勿体ない、短すぎる』と。人生、生きてることを楽しもうというのが親父の考え方なんです。僕はこの言葉が大好きで、つい自分で答えの見えないことを悩んだりすることもありますが、この言葉を思い出して悩んでいる暇はないのだと思っています」

この度上梓された『上を向いて生きる』の「おわりに」で、宮本さんはこう綴っている。

「あなたがいつ死ぬかは、神のみぞ知る。誰でも、いつかは死ぬんです。どうせ同じように死ぬんだったら、ジタバタせず、大いに笑って、楽しんで、やりたいことをやって、徹底的に生きてみませんか?」

これが前立腺がんからの生還を果たした演出家宮本亞門流『上を向いて生きる』生き方である。

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