大腸がんを経験した市民ランナーのカリスマコーチ・金哲彦さん 再発への不安はフルマラソンを走ることで乗り越えました
退院後数日で北海道マラソンの実況解説
開腹手術は、術後しばらく激痛があり、2、3年鈍痛が残ることが多い。金さんもこのような経過を辿った。
「1番痛かったのは排尿ですね。膀胱が縮むと、それを動かす筋肉も動くので、なかの縫合部分に激痛が走るんです。術後2、3カ月は、トイレに行くのが恐怖でした。お腹に衝撃を与えると猛烈に痛むので、しばらくはジョギングもできませんでした。痛みは徐々に和らいでいきましたが、2、3年は消えませんでした」
痛みには苦しんだものの、術後の経過はすこぶる順調で、排便障害や術後合併症も出なかったため、金さんは12日間入院しただけで退院の運びとなり、その後は半年に1度、内視鏡検査を行いながら経過をみていくことになった。
退院後、金さんは自宅でゆっくり休む間もなく札幌に飛んだ。北海道マラソンの実況中継で解説をすることになっていたからである。
まだ、ゆっくり歩くのが精一杯で、点滴栄養が続いたため体重も7㎏落ちていた。それに加え、解説の仕事は選手と併走する中継車のブースに入って行うため、車体が揺れるたびにお腹に痛みが走った。それでも誰にもがんの手術を受けたことを話していないので、金さんは顔色1つ変えず、いつもの温かみのある爽やかな口調で淡々と解説を続けながら、無事に役目を果たした。
「レース前日にはアナウンサーやスタッフの方たちと、打ち合わせを兼ねた会食があるんですが、札幌での大会なので出されたのはジンギスカンでした。大腸がんの手術をしたあとは腸管の働きが悪くなるので、消化吸収の悪い油っぽいものは避けないといけません。困ったな、どうしようかと思いましたが、『実は、がんなので』と言うわけにはいかないので、よく噛んで、我慢して食べました(笑)」
9月と10月、金さんはハードな仕事はなるべく避け、ファミリーレストランにパソコンを持ち込んで、本の執筆に多くの時間を費やした。
「常に再発の不安があったので、いつ死んでもいいように、自分の持っているノウハウを残しておきたかったんです」
湧き上がるフルマラソンを完走したいという欲求

再発の不安があると、病気のことを考えまいとしても、つい考えてしまい、悲観的な想像をしがちだ。そうなると精神的なストレスがたまり、免疫力も低下する。そうした状況を乗り越えるにはどうしたらいいか?
切り札が金さんにはあった。フルマラソンを走ることであ���。
金さんは早稲田大学時代、木下哲彦として1年生のときから4年連続で箱根駅伝の第5区間を走り、山登りのスペシャリストとして勇名を馳せた。
リクルート入社後は、在日であることをカミングアウトし、金哲彦となってトップ・マラソンランナーの1人として活躍。
現役引退後も、実業団チームの監督となり、選手育成に励んでいた。
その後、会社の方針で実業団チームは休部、金さんは市民ランナーの指導者に転じ、自らも市民ランナーの1人として走るようになる。
「ほとんど走らない期間が6年もあったので、はじめは市民ランナーにさえついていくことができなくなっていました(笑)」
そこで金さんは、まず、フルマラソンを3時間以内で走る、いわゆる"サブスリー"にチャレンジ。それを達成したあとは、さまざまなマラソンレースに参加して、ランニングライフを楽しむようになった。
その矢先に大腸にがんが見つかり、走りたくても走れなくなったのである。
それだけに春になって、だんだん走れるようになると、フルマラソンを完走したいという欲求が湧き上がってきた。2月に行われた術後初めての検診で、何の問題もなかったこともあり、金さんはフルマラソンにトライすることを具体化させようと思った。
完走したことでがん患者からマラソン走者に戻った

それは7月にオーストラリアで行われたゴールドコーストマラソンで、早くも実現した。
術後の痛みが消えないため、本番前にできた練習は、週に1度か2度のジョギング程度だったが、金さんは途中で歩いてもいいと思って参加した。
「レースでは20㎞を過ぎたあたりから腸脛靭帯(ひざの外側にある靭帯)が痛み出し、我慢できなくなってラストの12㎞は歩いてしまいました。タイムは5時間42分。ただ、完走したことで、がん患者からマラソンランナーに戻った感じがしたんです。自信がついたので、これからは、どんどん出ようと思いました」
再発や死への恐怖が全くなくなったわけではない。ただ、フルマラソンを完走できたことで、1つの大きな踏ん切りがついたことは確かだった。
がんになっても"サブスリー"

自信を取り戻した金さんは、ある大きな目標を立てる。それは、フルマラソンを3時間で走り切る"サブスリー"の達成だった。がんから復活するため、そして自分の人生と向き合うため──そんな思いから立てた目標だった。
そして、その目標はついに達成される。手術から3年が経過した2009年11月。「つくばマラソン」に参加した金さんのタイムは、2時間56分10秒だった。
「残り5㎞の時点で、達成できるかどうかだいたいわかるので、達成できるとわかった瞬間、そのときは本当に嬉しかったです。自分自身の喜びでもあり、周りに対してもがんからの完全復活を印象づけられる。あまりにも嬉しくて、このままずっと走っていたい気分でした(笑)」
「がんになってから、走ることが純粋に楽しい」と話す金さん。選手時代は記録との勝負、コーチ時代は仕事の1つとしてとらえていた走ることが、病気を経て、生きていることへの実感に変わっていったという。
「『走る』ことは『生』を実感させてくれます。だから、走る意味は生きる意味にも通じるのだと思います」
金さんの走る姿が周囲への生きる希望につながっていく──。だから、今日も金さんの周りには、ランナーたちが集まってくるのだろう。

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