がんを経験したことで、死に対する度胸がつきました ステージ3の大腸がんを克服した女優・中原ひとみさん
10カ月後に腸閉塞で緊急入院

退院後18日間自宅で過ごした中原さんは、1月15日の「おもいッきりテレビ」から仕事に復帰。しばらくして、大腸がんの手術を受けたことが知られるようになった。
「別に隠すつもりはなかったので、何人かでレストランに行ったとき手術を受けたことを話したんです。そしたら、その場にいた方から、すぐにテレビ局に伝わり自宅にインタビューに来たので、ワーッと広まっちゃいました。自分から言うも言わないもないという感じでしたね(笑)」
大腸がんの開腹手術を受けたあとは腸閉塞が生じやすくなるが、中原さんも手術から10カ月が経過したころ、それが起きてつらい経験をしている。
「家にいるときにお腹が痛くなったんです。最初は温まると治るかなと思ってお風呂に入ったんですが、痛みが増すばかりで、夜中に救急車で手術を受けた大学病院に担ぎ込まれました。即、入院です。すぐに管を通して処置を受けたんですが、それもつらかったし、痛みも激しかったので、結構大変でした」
しかもこのときは2日後に山形で講演の仕事が入っていた。芸能界は親の死に目にあえなくても仕事に穴をあけないのが常識である。中原さんも自分の都合でキャンセルはできないという気持ちが強く、気力を振り絞って、入院中の病院から山形に向かった。
頼りは出発前に打ってもらった痛み止めだった。

「強い痛み止めを打つと意識がもうろうとして話せなくなるので、軽い痛み止めを打ってもらって出かけたんです。途中で切れるのではないかと気が気ではなかったんですが、そのようなことはなく、山形では1時間半ちゃんと話せました。終わったあとで、実はこうなんですと話したら、みんな驚いていました。このときはつくづく精神力というのはすごいものだと思いました」
山形から帰京すると中原さんは病院に戻って入院生活を続けたが、数日で落ち着いたため、退院することができた。
その後、腸閉塞に悩まされることはなかったが、1度、内視鏡検査の際に大量に下血して、入院したことがあった。
「術後は年に1度くらいのペースで内視鏡検査を受け、ポリープがあったらその場で取ってもらっていたんですが、そのときにバーッと出血したんです。このときもすぐに適切な処置を受けたので大事には至りませんでした」
悩んでもしょうがない
5年生存率──がん患者なら誰もが耳にする言葉だが、中原さんの場合、その言葉の意味をどのようにとらえたのだろう。
「『5年生存率』という言葉を聞いたとき、最初は5年しかもう生きられないのだと思いました。ただ、先生に聞いたら、治療して5年間何にもなかったら、病気が治ったという1つの目安になるものだとお聞きしました。再発や転移への不安? もちろん多少はありました。先生に、『もし転移したらどこの臓器ですか?』ってお聞きしたら、『大腸がんの場合、肝臓に転移することが多い』と言われたんです。ただ、今から肝臓に転移するといっても何年もかかるのだし、もう年もとっているから大丈夫だわっと言って、先生に話したのを覚えています」
がんになったからといって、落ち込んだり、悩んだりしてもしょうがない。暗くなったって、病気自体はよくはならないのだから──そんな中原さんの前向きな姿勢がよかったのだろう。再発・転移は起きないまま5年が経過し、15年が過ぎた今もその兆候は見られない。
定期的に検査を
大腸がんを経験後、体の状態としてはむしろ太ったという中原さん。現在はなるべく動くように気をつけているという。
「とくに、ジムに行って運動するわけではないのですが、散歩や腹式呼吸、家でできる自転車こぎなどを使って、なるべく体を動かすようにしています」
そして、ご自身はもちろん、旦那さんである江原さんの健康管理にも気を付けたいところだが……。
「がんになってからは、安心のために2~3年に1度でもいいから夫婦で検診に行くべきだと思うようなったので、主人を何度も誘ったんですが、全然その気になってくれないんです。私がケロッとしているから、自分に置きかえないのかもしれません……。主人は、病気らしい病気をしたことがない人で、生活も規則正しいし、散歩も運動もよくして、今のところは大丈夫ですが……、やはり検査は受けてほしいですね」
とくに大腸がんの場合、症状に気がつきにくく、見つかったときにはすでにがんが進行していたというケースも多い。だからこそ、「お誕生日とか結婚記念日など日にちを決めて、定期的に検査を受けたほうがいいのでは」と中原さんは話している。
2度死ぬわけではない

最後に、がんになって思ったことは何かと尋ねると、女優である前に1人の母親であることを感じさせる答えが返ってきた。
「がんになる原因はいろいろあるようですが、ストレスや心の傷も大きな原因になるといわれています。私の場合、がんになる9年前に息子(俳優の土家歩さん)を交通事故で亡くしているんですが、そのころは本当につらくて、精神的に落ち込んだ状態が続きました。それが、がんができる原因になり、年を経るごとに少しずつ大きくなったのではないかと自分では思っています」
その一方で、リンパ節転移が見つかりながら大腸がんを克服できたのは、がんを苦にせず、ポジティブな精神状態を保ったことが良かったという思いもある。
「『がんにならなくても、遅かれ早かれ人は死ぬんだ』『再発は、したらしたらで、そのときに考えよう』と割り切って、落ち込んだり、心配したりしなかったことがいい結果につながったように思います。今思えば、がんは、死に対する度胸をつけてくれました。いくら心配しても、人は2度死ぬわけではないんですから」
そう言って中原さんは締めくくった。
その衰えを知らない張りのある声には、内に秘めた芯の強さがうかがえる。病気がわかっても、それを受け入れ、動じない──中原さんの病気に向き合う姿がそこにあった。
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