多重がんを乗り切るコツはモグラ叩きに徹すること 幾度ものがんに負けずに女優生活を続ける大空眞弓さん
胃の粘膜層にとどまっていた15㎜のがん
乳がんとの闘いを第1幕とすれば、第2幕は胃がんとの闘いである。告知されたのは01年1月のことで、定期的に受けていた人間ドックの内視鏡検査で、胃にがんらしき病変が見つかり、細胞診の結果、早期のがんであることがわかったのだ。
大空さんは一瞬、乳がんが転移したのではないかと思った。人間ドックを受けるたびに、乳がんは転移しやすいので、野菜の多い食生活を心がけるなど、ライフスタイルの面でも注意が必要だと言われていたからだ。
しかしそれは杞憂だった。胃にできたがんは乳房にできたものとはまったく異なる性質をしており、胃を原発とするがんだった。幸いだったのは大きさが15㎜程度で、胃の粘膜層にとどまっているため、開腹手術ではなく内視鏡による手術で対処できる点だった。
そのときは舞台と舞台の合間でスケジュールがあいていたため、大空さんは人間ドックを受けた東京女子医大青山病院に1週間の予定で入院し、がんのある部分を内視鏡切除術で取り去ってもらった。
この切除術は局所麻酔で行われるため、患者は何が行われているか、すべてわかる。大空さんはどんな思いでそれを見ていたのだろう?
「今の時代だったら、姉も29歳の若さで命を落とすこともなかったのにな、と思いました。姉は私よりずっと背が高くて、容姿にも恵まれたブリジット・バルドー的な美人だったんです。ただ、20代半ばで胃がんになり、最期は骨と皮ばかりになって亡くなってしまいました。その記憶が脳裏に強く焼きついているので、姉のことばかり考えていました」
内視鏡切除術は無事終了した。しかし、このときは思わぬ事態が生じたため、1週間のはずだった入院が延びている。粘膜切除した部分は一時的に潰瘍になるが、その治りが遅く、栄養補給をしばらく点滴に頼らざるを得なかったからだ。
自力で栄養を摂れなくなると落ち込む人が少なくないが、大空さんはその逆だった。
「私はもともと食が細いので、食べられないことが苦にならないんです。これは痩せるいい機会だと思いました。でも、結果的には痩せませんでしたけどね(笑)。今の栄養点滴は養分がいっぱい入っているんです」
潰瘍が治癒すると大空さんはすぐに退院した。そして福岡・博多座で行われる3月の「おはん」の舞台稽古に入り、いつもの生活に戻った。
胃がんとの闘いはこれで終わらず、翌02年3月にも人間ドックの胃の内視鏡検査で、小さな腫瘍らしきものが見つかった。これはがんの芽のようなものだったので、大空さんは、東京と名古屋の舞台公演を優先させ、それが終わってから内視鏡による切除術を受けている。
5回に分けて行われた内視鏡による食道がん手術

第3幕は食道がんとの闘いである。
食道がんを告知されたのは03年7月のこと。このときも東京女子医大青山病院で受けた人間ドックの内視鏡検査で食道に病変があることがわかり、細胞診で食道がんであることが判明した。
その年は舞台のスケジュールが立て込んでいたため、治療は12月になってから開始されたが、食道がんとの闘いは、これまでで最もつらいものになった。
内視鏡を使った手術が行われたが、切除は1回で済まず、取り残しがないよう、大空さんは5回も手術を受けたのだ。
手術後は切除したあとにまた潰瘍ができたため、退院が遅れただけでなく、食事を摂れない状態が長く続いた。そのため、点滴で栄養補給を受けなければならず、1日中ベッドから離れられない日もあった。
口のまわりにできた湿疹にも悩まされた。
「内視鏡検査のときに使うルゴール液にかぶれてしまったんです。ひどい湿疹が、なかなか治らなかったので、口もとにアザが残らないか心配でした。お医者さんや看護師さんも、女優さんの肌なので、何とかしなくてはと大騒ぎでした。もとはといえば、私自身アレルギー体質で、それが原因だったので申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
この5回にも及ぶ内視鏡手術は功を奏し、大空さんはしばらくがんとは無縁の生活を送ることができた。ただ、これで終わったわけではなかった……。
中途半端に飲むくらいならやめたほうがいい
検診の内視鏡検査で再度食道にがんが見つかったのは09年のことだ。再発ではなく、食道を原発とする新たながんだった。大空さんは09年5月にNTT関東病院に入院し、内視鏡による切除術を受けた。このときは術後に主治医のO医師から放射線治療を勧められたため、同病院に入院したまま25回の放射線照射を受けている。
「通常、放射線は退院後、しばらくあいだを置いてから毎日病院に通って照射を受けるようですが、舞台の関係で7月中には治療を終わらせたかったので、『今やってください』ってお願いしたんです。副作用は疲れるのがイヤでしたね」
この2度目の食道がんを契機に、大空さんは大好きだったお酒をまったく飲まなくなった。お酒は食道がんの危険因子の1つではあるが、たしなむ程度であれば問題ないとされている。どのような心境の変化があったのだろう?
「主治医の先生が『お酒は少しぐらいだったらいいですよ』っておっしゃるんで『少しぐらいじゃイヤです』って言ってキッパリやめることにしたんです。1番飲んでいるときは焼酎なら1日8合、ブランデーならボトル1本空けていました。中途半端に飲むくらいだったら、やめたほうがいいと思ったんです」
ここにもあっけらかんとした大空さんの性格がよく出ている。
さらに昨年2月にも検診で食道が原発のがんが見つかり、大空さんはNTT関東病院に入院、内視鏡による手術を受けている。このときは術後の放射線治療を回避できたため、1週間ほどで退院。その後も半年に1度検診を受けながら、現在も女優業を続けている。
モグラ叩きに徹する!

大空さんが6度もがんが見つかりながら女優業を続けることができたのは、モグラ叩きに上手に徹してきたからだ。
モグラ叩きは、モグラが完全に頭を出した状態で強く叩くと、次々に現れるモグラに対処できなくなりお手上げになる。うまくやるコツは、肩に力をいれずに、動き出したところを素早く見つけ、軽く叩くこと。そしてそれを繰り返すことだ。大空さんのこれまでのがんとの闘い方は、まさにそれを地で行く方法だといえる。
「恐怖心から、医者に行かなくなるのが1番いけない」と話す大空さん。大空さんのように、早いうちから手を打つ──これこそが、がんと長く付き合うコツかもしれない。
同じカテゴリーの最新記事
- 人生、悩み過ぎるには短すぎてもったいない 〝違いがわかる男〟宮本亞門が前立腺がんになって
- がん患者や家族に「マギーズ東京」のような施設を神奈川・藤沢に 乳がん発覚の恩人は健康バラエティTV番組 歌手・麻倉未希さん
- がん告知や余命を伝える運動をやってきたが、余命告知にいまは反対です がん教育の先頭に立ってきたがん専門医が膀胱がんになったとき 東京大学医学部附属病院放射線治療部門長・中川恵一さん
- 誰の命でもない自分の命だから、納得いく治療を受けたい 私はこうして中咽頭がんステージⅣから生還した 俳優・村野武範さん
- 死からの生還に感謝感謝の毎日です。 オプジーボと樹状細胞ワクチン併用で前立腺PSA値が劇的に下がる・富田秀夫さん(元・宮城リコー/山形リコー社長)
- がんと闘っていくには何かアクションを起こすこと 35歳で胆管がんステージⅣ、5年生存率3%の現実を突きつけられた男の逆転の発想・西口洋平さん
- 治療する側とされる側の懸け橋の役割を果たしたい 下行結腸がんⅢA期、上部直腸、肝転移を乗り越え走るオストメイト口腔外科医・山本悦秀さん
- 胃がんになったことで世界にチャレンジしたいと思うようになった 妻からのプレゼントでスキルス性胃がんが発見されたプロダーツプレイヤー・山田勇樹さん
- 大腸がんを患って、酒と恋愛を止めました 多彩な才能の持ち主の異色漫画家・内田春菊さんが大腸がんで人工肛門(ストーマ)になってわかったこと