がんが歌手になりたいという夢を実現させてくれた 甲状腺がんを経て、大きく人生が動き出した 歌手・木山裕策さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2012年2月
更新:2018年9月

地道な努力と歌える喜び

「いつまで待っても、自然と歌える日がやってくるとは思えない。ならば練習するしかない」

次の日から、木山さんの歌への地道な努力が始まった。

まず行ったのは喉の筋肉を鍛えることだった。うまく歌えない最大の要因は、高音域になると声がかすれ、伸ばそうと思ってもすぐ声が切れてしまうことにあった。それだけでなく音程も不安定で、高音域は声にも厚みがなかった。

少しずつやるしかないと覚悟を決めた木山さんは、低音域から発声練習を始め、少しずつ音域をあげていき、同時に負荷も増やした。手術の影響で、声を張り上げると切開部が突っ張ってうまく声を伸ばせなかったが、くり返しやっているうちにそれもなくなり、練習を始めて半年もすると、自然にビブラートもかかるようになった。

声が出るようになると、人前で歌いたくなってくるものだ。

「子どもがピアノを習っていたので発表会で子どものピアノとぼくの歌でデュオをしたり、地元の夏祭りのカラオケ・コンテストに出場したりしました」

そのコンテストでは2位で、1位の商品であるお米1袋は逃したが、会場の人たちがじっと聴き入ってくれたので、木山さんは再び人前で歌えるようになった幸せを噛みしめることができた。それと同時に、「もっと上の目標に向かってチャレンジしたい」という気持ちが心の中で膨らんでいった。

がんと子どもたちが与えてくれた37歳でのチャレンジ

その目標というのは『歌スタ!!』にチャレンジすることだった。

『歌スタ!!』は2005年~2010年の間、日本テレビ系列で月曜深夜に放送されていたオーディション番組である。歌唱力に自信のある素人が、プロの作曲家やレコード会社の重役の前で歌い、合格すれば、最終的にメジャーデビューも可能になるという番組だった。

もちろん、すぐにオーディションを受ける決断をしたわけではなかった。テレビで放映されるのは3次審査からで、その前に1次と2次の審査があった。その狭き門を勝ち抜いて、テレビ放映される3次審査に晴れて進むことができても、そこに待ち受けているのはありえないほど厳しい審査だ。大半は90秒で不合格になり、荷物のようにベルトコンベアで強制的に退場させられてしまうのだ。

合格すれば審査員を務めた作曲家にオリジナルの曲を作ってもらい、それを最終審査で歌ってメジャーデビューの可否を決められることになるが、木山さんがその番組を見た限りでは、そこまで進んだ人はほとんどいなかった。

それに出場者は大半が20代の若い人で、30代後半になった人間がトライするには場違いな感じもしていた。

ためらっていた木山さんの背中を押したのは、もう時間がないという気持ちだった。

「『歌スタ!!』は、審査員に厳しいことをいわれるし、大半がベルトコンベアで来て、ハイサヨナラですから、健康で普通の精神状態だったら出ようなんて思わなかったと思います。でも、そのときは、いつかがんが再発するんじゃないか? という不安があったから、何かやらなければというあせりみたいなものがあったんです。子どももいるし会社も続けないといけないけど、昔から、歌手になることは夢だったんだから、今やるしかないという気持ちでした」

がんと共に、自らの夢の後押しをしてくれた大切な4人の子どもたち

"がん"と共に、自らの夢の後押しをしてくれた大切な4人の子どもたち

もう1つ要因になったのが4人目の子どもの誕生だった。

「まさか病気の後に4人目が生まれるなんて思っていませんでしたから、不思議な感じでしたね。子どもたちに何かを残してあげたいという気持ちと同時に、この子のために歌手になるという夢を諦めてはいけないと思いました。それでグニャグニャ悩んでいた気持ちも吹っ切れました」

4人目の子が生まれて1カ月後、木山さんは帰宅途中にDAMステーションが設置されたカラオケボックスに立ち寄り、リモコンのエントリーボタンを押し、ルビコンを渡った。

家族と歩んだ『home』への道のり

ライブでは多くの人が甲状腺がんを克服した木山さんの美声に酔いしれる

ライブでは多くの人が甲状腺がんを克服した木山さんの美声に酔いしれる。現在は積極的に童謡のコンサートも行っている

もちろん、恥ずかしいので家族にはそのことは言ってなかった。

しかし2次審査を通過した時点で家族の知るところとなり、その後は、家族がスタジオに来て応援する中で熱唱を重ねていった。

紆余曲折を経てメジャーデビューを果たした木山さんは、デビュー曲『home』のヒットであちこちから出演以来が舞い込むようになり、現在は、平日の月曜日~金曜日は会社勤めで暮らしを支え、休日の土曜日、日曜日はプロの歌手として全国各地でマイクを握る生活を続けている。

「甲状腺がんになったのが36歳で、『歌スタ!!』のオーディションにエントリーしたのが37歳。テレビに出たのは38歳で、歌手デビューは39歳です」

と本人が語るように、若くしてがんになったことは木山さんのその後の人生を大きく変える起爆剤になった。

「もし甲状腺がんになっていなければ、人生に限りがあるものだという思いを抱くこともなかったでしょう。また、声を失うリスクに直面しなければ、自分にとって歌がどれほど大切なものなのか認識することもなかったと思います。その意味で、がんになったことは大きな意味を持っています。サラリーマン生活の上でも、病気になったことで仕事に対して深く悩まなくなりましたね。がんが見つかる前年に管理職になり、たくさんの部下を持つ身になったのですが、あまりにいい人で見られたい気持ちが強すぎたものですから、相手に気を使いすぎて、精神的に大きなストレスを抱えていたんです。でも病気を経験し、瞬間を大切にするようになってからは、シンプルに考えるようになり、ちゃんと自分の思っていることを伝えることが相手にとっても自分にとっても大事だと思うようになりました。そしたら細かいことに悩まなくなったんです」

若くしてがんになることはフィジカルな面では不幸なことに違いないが、メンタルな面では受け止め方によって、その後の人生に大きな違いが出る。木山さんの成功はそれを如実に示すものだ。今後も「がん経験者の星」「子沢山パパの星」として2束のわらじ人生をいつまでも続けていただきたい。


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