わが健康哲学は「備えあれば嬉しい」 大腸がんを克服したエレキの神様・寺内タケシさん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2011年10月
更新:2018年9月

タバコを吸っているのがバレてしまって……

ハイスクールコンサートの様子

ハイスクールコンサートの様子。エレキギター禁止令をきっかけに、若者とエレキを引き離そうとする動きが日本中に広がったことを受け、寺内さんは1974年から全国の高校を訪れてコンサートを開く「ハイスクールコンサート」を行っている

がんが治った気分になった寺内さんは、退院を間近に控えたある日、大舞台でのコンサートが終わったときのように、やれやれという感じでタバコに火をつけ、うまそうに吸っていた。

個室なのでバレる心配はないと思っていたら、そこに、ひょっこり消化器内科の責任者であるK教授が姿を見せた。

病院内はもちろん完全禁煙である。ましてや、寺内さんはがんの手術を受けて間もない患者である。教授から渋い顔で「ここで、タバコは」と、たしなめられた。

とっさに言い訳を考えた寺内さんは、慌ててタバコを消しながら「たくさん管が入っていたし、水分補給もできなかったんで、喉のあたりがどうも変なんですよ。タバコを吸えばどこがおかしいかわかるんじゃないかと思いまして」と言いつくろった。

すると1時間くらいして看護師さんが車椅子を押して寺内さんの部屋に来た。

「K先生から寺内さんを車椅子に乗せて耳鼻咽喉科にお連れするように言われたんで、乗ってください」

このような展開になっては、寺内さんも、あれは苦し紛れの言い訳だったとは言えない。素直に車椅子に乗り、耳鼻咽喉科に行くしかなかった。

「混んでいたので、待合室ではけっこう待たされたんですが、その間、顔を知られたくないので、頭からすっぽり毛布をかぶっていたんですよ。1つのウソから、バカなことになったと思いました(笑)」

500パーセント転移の可能性ない

このようなハプニングもあったが、その後の健康チェックでも何の異常も見られなかったため、寺内さんは術後15日目に退院の運びとなり、主治医のA医師から「病気は完全に治りました。500パーセント転移の可能性はありません」と太鼓判を押されて群馬大学医学部付属病院から横浜の自宅に戻った。

大腸がんでは、寺内さんのようにポリープが悪性であり、がんと診断される場合もあるが、早期のうちに切除してしまえば、完治する確率は高い。しかも、念を入れてまわりのリンパ節も切除しているので、完全に治ったという言い方になったようだ。そのため退院後の検診も1年後に受ければいいと言われていた。

仕事に復帰したのは退院後20日目に地元横浜の神奈川県民ホールで開かれたコンサートからで、その後は現在に至るまで、現役バリバリでステージに立ち続けている。

恒例になった家族、親戚引き連れての人間ドック

寺内さんはまめに人間ドックを受けていたことで、早期発見が可能になった。それだけに同年代の親しくしていた人や、関係が深かった人が手遅れの状態でがんが見つかって命を亡くした話を聞くと、いたたまれない思いに駆られるという。その1人にいかりや長介さんがいた。

「長さんは本名を碇谷長一といって、ドリフターズでコメディをやる前は、ベースを弾いていて、同じバンドでやってたことがあるんです。年は長さんが少し上なので年齢的には兄でしたが、音楽のほうでは弟のような存在でした。彼は俳優としていい味を出すようになったさなかに、原発不明のがんが頸部リンパ節に転移しているのが見つかり、1年もしないうちに亡くなりました。まめに検査をしていれば、原発不明などということにはならなかったと思うので、本当に残念なことをしたと思います。それと同時に、改めて健診の価値というものを再認識させられましたね」

人間ドックをきっかけに大腸がんを早期発見できたという思いが強い寺内さんは、退院後、半年に1度、家族、親戚に声をかけ、大人数で毎年群馬のS病院に行き、人間ドックを受けるようになった。

「それをやるようになって、重度の糖尿病が見つかった者や、胃潰瘍と便潜血が見つかった者がいます。僕はおせっかいな性格なので、見つかった家族や親戚には、こうしろ、ああしろという指示まで与えています。これを指示医と言います(笑)」

特筆すべき点は、目線が身内のほうにばかり向いているわけではないことだ。早期発見の価値を身をもって知っている寺内さんは、がんの啓発活動にも積極的に参画しており、病室での喫煙をたしなめたK教授が中心となって04年に発足した「群馬がんアカデミー」では、理事に就任して、患者目線でさまざまな提言をする一方で、講演なども行い、会の活動をサポートしている。

備えていれば早めに対処できる

寺内タケシさん

大腸がんを経験したあと、寺内さんは半年ごとに人間ドックを受けるだけでなく、血液検査と腸の検査を3カ月おきに受けている。それによって、早い段階で肺気腫、うっ血性心不全がわかり、その都度短期間入院して適切な治療を受け、すぐに演奏活動に復帰している。

最後に、がんになって学んだことは何かと問うと、歯切れのいい答えが帰ってきた。

「学んだことはとくにないけど、人の体について考えるようになりましたね。ギターは奥が深い。だから理想のギターを作るのに、僕は設計や素材をあれこれ試行錯誤しながらやって30年もかかった。人の体も同じように奥が深い。だからギターと同様に、自分の体を1つの作品と考えて、検査のデータなどを見ながら病気にならない体を設計していきたいと思うようになりました」

そして、話を聞いている我々に、タイトルのプレゼントも。「『備えあれば嬉しい』でどう? きちんと備えていれば、『がんサポート』っていう雑誌自体いらなくなっちゃうかもしれない(笑)。俺はそう思うよ」

病気になったら治せばいい。そのためにも、早期に見つける手段として、「しつこすぎるぐらい検査を受けるべきだ」と話す寺内さん。まさにその言葉を地で行く寺内さんだからこそ、誰もが納得するのではないだろうか。


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