がんもキャリアの1つ。不運に思ったことは1度もありません 大腸がんの手術は1度ですんだものの、術後の後遺症に5年間も悩まされた 歌手・平山みきさん
腸閉塞を起こし、即入院へ

意識が変わったのは手術から1年が経過した96年8月のことだ。
「今度はトウモロコシを食べて詰まらせちゃったんです。このときはさすがに、繊維質を食べ過ぎると詰まることが身に沁みたので、その後はとりすぎに注意するようになりました」
その甲斐あって、腸閉塞はしばらく起きなかった。
しかし97年8月、手術からちょうど2年が経過したとき、耐え難い腹痛に襲われた。仕事で東京に来ていたときのことだった。
「このときは繊維質のものは食べていなかったので、はじめは風邪だろうと思って我慢していたんです。だけどどんどん痛みが増すので、大学病院の救急外来に行って診てもらいました。そしたら腸閉塞だって診断され、入院することになりました。すぐに鼻から管を入れられて2週間くらい入院しました。でもこのときは手術の必要はなく、毎日点滴による治療を受けていました。閉塞が起きると食べられなくなるので栄養補給は点滴でやるしかないんです」
そのあと、もう1度東京にいるときに腸閉塞が起き、入院する羽目になった。2週間の入院とはいえ、京都の家族と離れて入院生活を送ることは、何かと不便であり、精神的にも落ち着かない。彼女は次に東京で腸閉塞が起きても、入院は京都の病院でしようと思うようになった。
尋常ではない腸閉塞の苦しみ

3度目に東京で腸閉塞になったとき、平山さんは東京の大学病院で応急処置だけしてもらい、すぐに新幹線で京都に帰ることにした。
しかし、このときの苦しさは尋常ではなかった。
「チケットを買うとき、途中でしゃがみこんでしまうほどでした。何とかホームに上がって車内に入ったら今度は気持ちが悪くなってお手洗いに駆け込みました。いつまでもいられないので、自分の席に帰ることにしたのですが、苦しくて途中でうずくまっちゃったんです。そしたら車掌さんが『どうしたんですか』って来てくれて……。『気持ち悪くて』と伝えました」
それを聞いた車掌さんは新幹線の車内には横になって休むことができる部屋があるので、そこで休むように勧めてくれた。
しかし平山さんは躊躇した。嘔吐するかもしれないので、部屋を汚すことになれば迷惑をかけると思ったのだ。
「私が『戻しちゃうかもしれないから』って断ったら『袋を用意していますから大丈夫です』って言って、その部屋に連れて行ってくれました。すぐに、大きなビニール袋も持ってきてくれたので、安心して体を横たえることができました。ほんと、あのときは地獄に仏でしたね」
バリウムが詰まり開腹手術
こうして3度目の入院は京都ですることができた。
このときも最終的には薬が効いて腸が動くようになったので手術には至らなかった。しかし術後5年目の夏に入院した際、思わぬことから開腹手術を受けなければならなくなった。
「そのときは1週間くらい通院で点滴を受けたのですが、腸が動かないので、お医者さんから『このままだとほとんど食べられないし、回復する力がなくなってしまうから入院したほうがいい』と言われて入院しました。そしたら腸が動くようになって『やれやれ』という感じだったのですが、検査のときにバリウムを飲んだらそれが詰まっちゃって……。それで開腹手術するしかないということになったんです」
このように開腹手術は予期せぬ事態が生じた結果だった。平山さんはどんな気持ちでそれを受け入れたのだろう?
「バリウムが詰まったことに対しては、ただ、起きてしまったのだから仕方がないと思いました。開腹手術になったことについても、ショックはなかったですね。ずっと前から腸閉塞がひどくなったら手術だって言われていましたから。手術をすればこれ以上腸閉塞に苦しむことはなくなるという気持ちもあったので、手術をけっこうポジティブに捉えていました」
開腹手術は一時的なダメージは大きいが、得るものも大きい。
腸閉塞との長い闘いは、これで終止符が打たれた。このあと、腸閉塞は1度も起きていない。
ただ、1度も起きないのは手術だけで実現したものではなく、平山さんが食物繊維の摂取を極力抑えているからこそ成しえたものだ。京都という地野菜の宝庫に住みながら、それを極力控えなければならないことは、結構つらいことなのではないだろうか。
「たしかに京野菜の宝庫に住んでいながら、それを以前のようにたっぷり味わえなくなったことは残念です。1度東京のイタリア料理店に行ったとき『何か食べられないものは?』って聞かれたので『繊維質のものはちょっと……』と言ったんです。でもそこは京野菜を使うのを売り物にしているところだったので、ほぞを噛みました(笑)」
病気は自分のキャリアの1つ

2010年11月24日発売
1260円(税込)
平山さんの闘病の軌跡を振り返ってみると、大腸がんというメインの敵は1度の手術でケリがついたのに、腸閉塞という伏兵に運悪く遭遇し、5年間も悩まされたことになる。最後に、これを彼女自身はどう捉えているか尋ねたところ、ユニークな答えが返ってきた。
「こういう病気を神様が私に選んでくれたんだから、悪く思わずにキャリアの1つと考えて病気と付き合っていました。不運だ、不幸だと思ったことは1度もないです。腸閉塞になると点滴栄養になるので、落ち込む人もいるようですが、私は神様が与えてくれた格好のダイエットの機会だと思っていました。これは、強がりで言っているのではなく、私、太りやすい体質なので、寝ているだけで無理なくやせることができる、最高のダイエット法なんです(笑)」
人の体は、心に依存している面が強い。新薬の治験でプラセボ(偽薬)を与えられた人が、治ってしまうことがたまにあるが、これは薬を与えられたことで治るというポジティブマインドが生まれ、それが体に潜む自然治癒力を引き出すからだ。これは、墓場を見るより、お花畑を見て日々生きることの大切さを示すものとも言える。
点滴栄養の日々を、格好のダイエットと言ってのける平山さんには、どんなつらい状況も“お花畑”のような環境と捉え、前向きに進んでいく力強さが備わっているように見える。
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