膀胱がんと肺がんを乗り越え、今も講談の可能性に挑み続ける人間国宝の講談師、一龍斎貞水さん がんは特別の病気じゃない。だから怖がらなかったのが復活の秘訣

取材・文:吉田健城
撮影:向井渉
発行:2011年2月
更新:2013年8月

人間をやっていればいつかはがんができる

肺がんにもいくつか種類があるが、貞水さんの場合はどの種類だったのか。

「バルチック艦隊の話以外はよく覚えていないんですよ(笑)。先生はざっくばらんな方で、『年寄りのがんなんて白髪と同じです。長年人間をやっていれば、いつかはできるもんなんですよ。切れば治りますから』って言うんですよ。まあ、素人の僕があれこれ気にかけても、仕方がないと思っていたんです」

手術が行われたのは2010年6月1日。手術では左肺葉切除とリンパ節郭清が行われた。結局、バイパスは使わず、3時間ほどで終了した。がんは左肺に限局しており、幸い、リンパ節への転移もなかった。それで、喉への悪影響も考慮して、放射線治療は受けなかった。

術後の痛みはどうだったのだろう?

「2カ所にメスを入れて、前のほうの切開部は12センチくらいあったんですが、こちらのほうの痛みはほとんどなかったです。ドレーンを通す穴のところが痛かった記憶がありますが、それも看護師さんを呼ぶほどではなかったです。チャーミングな看護師さんが何人もいたんで、残念なことをしました(笑)」

声量や声の張りは変わらなかった

写真:貞水さんの朗々とした語り口に観客は知らずしらず引き込まれる

貞水さんの朗々とした語り口に観客は知らずしらず引き込まれる

術後は翌日から歩き始め、その後の経過も順調だったため、予定通り10日ほどで退院できた。その後、しばらく自宅で静養したあと、貞水さんは、7月上旬から高座に復帰することになった。ただ、貞水さんは71歳という高齢のうえ、前月に肺の3分の1を取ったばかりである。体力も肺活量もすぐには戻らないので、その影響が懸念された。しかし、7月21日にさいたま市で開かれた独演会では、貞水さんの語りが始まったとたん、会場の誰もがそれが杞憂であることを知った。

演目は得意の「江島屋怪談」だった。

「江戸の芝日陰町に江島屋治右衛門という古着屋がございました。その番頭、金兵衛が年の暮れ、下総八幡に用事で出かけた。雪ヶ谷新田というところで大雪の中、道に迷いました。転がり込んだ一軒のあばら家。
その真夜中です。きな臭いにおいがする。ふっと目覚めると隣の部屋から煙が入ってくる。この家の老婆、髪はモズの巣のよう。目は落ち窪み、頬骨はこう張って、頬の肉は削いだよう。はだけた胸に見えるあばら骨。
その老婆、囲炉裏の中にピッと布を裂いてはくべ、しばし灰の中に字を書いて、それを火箸でピシッと突いて、そろそろと立ち上がると、柱に打ち付けた藁人形、五寸釘で石を持ってカチッ、カチッ。
見ましたね、見ましたね。見たら見たでいいから、こっちにおいでなさいまし……」

この物語は三遊亭圓朝(初代)が創作した名作。名主の倅から見初められた下総(現在の千葉県北部)在の美しい娘が、江戸で田舎から出てくる客を食い物にしている古着屋、江島屋から糊で張り合わせたイカモノ(偽物)の花嫁衣裳を買ったばかりに、婚礼の日、折からの雨で腰から下の衣裳が落ちてしまい、それを恥じて利根川に身を投げた。その恨みを晴らすため、老いた母が江島屋を呪い殺すという話である。

背景にあしらわれた破れ障子とあばら家。鳥肌が立つような不気味な効果音。暗闇の中で、貞水さんの苦悶の表情を浮かび上がらせる巧みなライティング――詰めかけた観客が古典の世界に引きこまれていく。ホールの中で響き渡るのは、貞水さんの張りのある、凄みの効いた声だ。韻を踏んだ独特のリズムで語られる言葉はいささかの淀みもなく、さまざまな色合いを帯びながら物語は進んでいく。

驚くのは、声量も、声の張りも最後まで落ちないことだ。肺を部分切除すると、程度の差こそあれ呼吸機能の低下は避けられないといわれるが、貞水さんはどうして元の声を保てたのか。

「それがわからないんですよ。呼吸機能をチェックする機械(スパイロメーター)でもうまく測定できません。看護師さんに『息、吸って、吸って、吐いて!』って言われても、こっちは腹式呼吸で息を吸う訓練ができているんで、言われたとおりにできないんですよ」

そう言って、貞水さんはよく響く声で笑った。

医師を信頼してがんを怖がらなかった

写真:「がんになった後のほうが体調がいい」と元気に答える一龍斎貞水さん

「がんになった後のほうが体調がいい」と元気に答える一龍斎貞水さん

貞水さんが膀胱がん、肺がんと2度のがん闘病を乗り切れた秘訣は何か。

「幸い、いい先生に巡り会えたっていうのもありますが、お医者さんを信頼して、がんを変に怖がらなかったことでしょうか。それに、がんになったら無理をしなくなるんで、病気をする前よりかえって体調がよくなった。一病息災ってやつですかね」

がんになって教えられたことは何かと尋ねると、講談師らしい答えが返ってきた。

「医学の進歩のありがたみですかね。江戸時代にもがんで死ぬ人はいたはずだけど、疝気、癪、といった病名で片付けられていたわけです。講談でも病気になると、みんな死んでしまいます。江戸時代だけじゃなく、戦後になっても、うちの親父はがんを怖がって苦い漢方薬を毎日飲んでいましたよ。それがどうです、今は。がんは特別な病気じゃない。もちろん、発見が遅れると命取りになるし、中には難しいがんもある。でも、命に別条がない人も多いわけです。こんないい世の中に生まれたんだから、もっと命をよく使わないと」

貞水さんには、まだまだ抱負が多いようだ。

「元気なうちに先人から受け継いだ芸を若い世代に伝えたいですね。がんから復活できたのは、そういう神様からの言いつけのような気がしています。それに、僕自身も原点に返ってもう1度芸に磨きをかけたい。僕の講談が今以上によくなっていけば、講談界のためにもなるので、新しい試み、チャレンジをやっていくつもりです」

人間国宝には”芸を極めた人”というイメージがある。しかし、貞水さんの場合、芸の道は決して過去完了形ではなく、生き生きとした現在進行形である。これからどんな新趣向の講談が生まれるか楽しみだ。


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