膀胱がんと肺がんを乗り越え、今も講談の可能性に挑み続ける人間国宝の講談師、一龍斎貞水さん がんは特別の病気じゃない。だから怖がらなかったのが復活の秘訣
人間をやっていればいつかはがんができる
肺がんにもいくつか種類があるが、貞水さんの場合はどの種類だったのか。
「バルチック艦隊の話以外はよく覚えていないんですよ(笑)。先生はざっくばらんな方で、『年寄りのがんなんて白髪と同じです。長年人間をやっていれば、いつかはできるもんなんですよ。切れば治りますから』って言うんですよ。まあ、素人の僕があれこれ気にかけても、仕方がないと思っていたんです」
手術が行われたのは2010年6月1日。手術では左肺葉切除とリンパ節郭清が行われた。結局、バイパスは使わず、3時間ほどで終了した。がんは左肺に限局しており、幸い、リンパ節への転移もなかった。それで、喉への悪影響も考慮して、放射線治療は受けなかった。
術後の痛みはどうだったのだろう?
「2カ所にメスを入れて、前のほうの切開部は12センチくらいあったんですが、こちらのほうの痛みはほとんどなかったです。ドレーンを通す穴のところが痛かった記憶がありますが、それも看護師さんを呼ぶほどではなかったです。チャーミングな看護師さんが何人もいたんで、残念なことをしました(笑)」
声量や声の張りは変わらなかった

術後は翌日から歩き始め、その後の経過も順調だったため、予定通り10日ほどで退院できた。その後、しばらく自宅で静養したあと、貞水さんは、7月上旬から高座に復帰することになった。ただ、貞水さんは71歳という高齢のうえ、前月に肺の3分の1を取ったばかりである。体力も肺活量もすぐには戻らないので、その影響が懸念された。しかし、7月21日にさいたま市で開かれた独演会では、貞水さんの語りが始まったとたん、会場の誰もがそれが杞憂であることを知った。
演目は得意の「江島屋怪談」だった。
「江戸の芝日陰町に江島屋治右衛門という古着屋がございました。その番頭、金兵衛が年の暮れ、下総八幡に用事で出かけた。雪ヶ谷新田というところで大雪の中、道に迷いました。転がり込んだ一軒のあばら家。
その真夜中です。きな臭いにおいがする。ふっと目覚めると隣の部屋から煙が入ってくる。この家の老婆、髪はモズの巣のよう。目は落ち窪み、頬骨はこう張って、頬の肉は削いだよう。はだけた胸に見えるあばら骨。
その老婆、囲炉裏の中にピッと布を裂いてはくべ、しばし灰の中に字を書いて、それを火箸でピシッと突いて、そろそろと立ち上がると、柱に打ち付けた藁人形、五寸釘で石を持ってカチッ、カチッ。
見ましたね、見ましたね。見たら見たでいいから、こっちにおいでなさいまし……」
この物語は三遊亭圓朝(初代)が創作した名作。名主の倅から見初められた下総(現在の千葉県北部)在の美しい娘が、江戸で田舎から出てくる客を食い物にしている古着屋、江島屋から糊で張り合わせたイカモノ(偽物)の花嫁衣裳を買ったばかりに、婚礼の日、折からの雨で腰から下の衣裳が落ちてしまい、それを恥じて利根川に身を投げた。その恨みを晴らすため、老いた母が江島屋を呪い殺すという話である。
背景にあしらわれた破れ障子とあばら家。鳥肌が立つような不気味な効果音。暗闇の中で、貞水さんの苦悶の表情を浮かび上がらせる巧みなライティング――詰めかけた観客が古典の世界に引きこまれていく。ホールの中で響き渡るのは、貞水さんの張りのある、凄みの効いた声だ。韻を踏んだ独特のリズムで語られる言葉はいささかの淀みもなく、さまざまな色合いを帯びながら物語は進んでいく。
驚くのは、声量も、声の張りも最後まで落ちないことだ。肺を部分切除すると、程度の差こそあれ呼吸機能の低下は避けられないといわれるが、貞水さんはどうして元の声を保てたのか。
「それがわからないんですよ。呼吸機能をチェックする機械(スパイロメーター)でもうまく測定できません。看護師さんに『息、吸って、吸って、吐いて!』って言われても、こっちは腹式呼吸で息を吸う訓練ができているんで、言われたとおりにできないんですよ」
そう言って、貞水さんはよく響く声で笑った。
医師を信頼してがんを怖がらなかった

貞水さんが膀胱がん、肺がんと2度のがん闘病を乗り切れた秘訣は何か。
「幸い、いい先生に巡り会えたっていうのもありますが、お医者さんを信頼して、がんを変に怖がらなかったことでしょうか。それに、がんになったら無理をしなくなるんで、病気をする前よりかえって体調がよくなった。一病息災ってやつですかね」
がんになって教えられたことは何かと尋ねると、講談師らしい答えが返ってきた。
「医学の進歩のありがたみですかね。江戸時代にもがんで死ぬ人はいたはずだけど、疝気、癪、といった病名で片付けられていたわけです。講談でも病気になると、みんな死んでしまいます。江戸時代だけじゃなく、戦後になっても、うちの親父はがんを怖がって苦い漢方薬を毎日飲んでいましたよ。それがどうです、今は。がんは特別な病気じゃない。もちろん、発見が遅れると命取りになるし、中には難しいがんもある。でも、命に別条がない人も多いわけです。こんないい世の中に生まれたんだから、もっと命をよく使わないと」
貞水さんには、まだまだ抱負が多いようだ。
「元気なうちに先人から受け継いだ芸を若い世代に伝えたいですね。がんから復活できたのは、そういう神様からの言いつけのような気がしています。それに、僕自身も原点に返ってもう1度芸に磨きをかけたい。僕の講談が今以上によくなっていけば、講談界のためにもなるので、新しい試み、チャレンジをやっていくつもりです」
人間国宝には”芸を極めた人”というイメージがある。しかし、貞水さんの場合、芸の道は決して過去完了形ではなく、生き生きとした現在進行形である。これからどんな新趣向の講談が生まれるか楽しみだ。
同じカテゴリーの最新記事
- 人生、悩み過ぎるには短すぎてもったいない 〝違いがわかる男〟宮本亞門が前立腺がんになって
- がん患者や家族に「マギーズ東京」のような施設を神奈川・藤沢に 乳がん発覚の恩人は健康バラエティTV番組 歌手・麻倉未希さん
- がん告知や余命を伝える運動をやってきたが、余命告知にいまは反対です がん教育の先頭に立ってきたがん専門医が膀胱がんになったとき 東京大学医学部附属病院放射線治療部門長・中川恵一さん
- 誰の命でもない自分の命だから、納得いく治療を受けたい 私はこうして中咽頭がんステージⅣから生還した 俳優・村野武範さん
- 死からの生還に感謝感謝の毎日です。 オプジーボと樹状細胞ワクチン併用で前立腺PSA値が劇的に下がる・富田秀夫さん(元・宮城リコー/山形リコー社長)
- がんと闘っていくには何かアクションを起こすこと 35歳で胆管がんステージⅣ、5年生存率3%の現実を突きつけられた男の逆転の発想・西口洋平さん
- 治療する側とされる側の懸け橋の役割を果たしたい 下行結腸がんⅢA期、上部直腸、肝転移を乗り越え走るオストメイト口腔外科医・山本悦秀さん
- 胃がんになったことで世界にチャレンジしたいと思うようになった 妻からのプレゼントでスキルス性胃がんが発見されたプロダーツプレイヤー・山田勇樹さん
- 大腸がんを患って、酒と恋愛を止めました 多彩な才能の持ち主の異色漫画家・内田春菊さんが大腸がんで人工肛門(ストーマ)になってわかったこと