進行肺がんの手術後4カ月で現役復帰し、来年プロ生活50周年を迎える安田春雄さん がんになって、ギアチェンジする生き方をマスターした
息苦しさに耐え、復帰第1戦は22位タイ

このように体力づくりに励んだ結果、安田さんは手術から4カ月後に早くもトーナメント出場を果たす。
「自信? もちろんありました。もう40年以上やって技術の集積があります。がんで1カ月入院したぐらいで腕が狂うようでは、プロではないですから」
復帰第1戦となったのは、8月22日から3日間開催されたシニアツアーの「ファンケルクラシック」。久々の大会だったが、安田さんは初日からブランクを感じさせない安定したショットで、2日目を終わった時点で6オーバー。最終日は猛チャージを見せ、アウト34、イン36という見事なスコアで22位タイに食い込んだ。しかし、この健闘は息苦しさに耐え抜いて掴んだものだった。
「あのときは息をするのもきつかった。一般の方は、練習で何度もコースを回ってからトーナメントに出るんだから、18ホール回るくらいなんともないと思うかもしれないけど、練習と本番は全然別物なんです。練習ラウンドは気楽にやっているから、疲れた感覚はないです。でも、試合になると、緊張した中で神経を細かく使うもんだから、呼吸が荒くなるんです。しかも、プレーに集中していると、お医者さんに大きな深呼吸をするように言われたことも忘れていたから、負荷がどんどん大きくなって、呼吸が苦しくなったんです」
呼吸が苦しくなるのは手術で右肺の下葉を切除した後遺症だ。
右肺は上葉、中葉、下葉に分かれているが、下葉は上葉、中葉よりずっと大きいため、これを切除すると肺活量が平均29パーセント低下する。しかも、安田さんが言うように、トーナメントに出場中のプロ選手はもの凄い緊張の中でプレーを続けるため、呼吸が苦しくなったのだ。
酸素ボンベ持参でトーナメントに出場
手術の影響はそれだけではなかった。
「開胸手術ほど大きく切らないとはいっても、胸腔鏡下手術でも3カ所を5~6センチずつ切開します。そこがまだ完全に塞がっていない状態だったようで、そこから血の混じった体液が出てウェアに染み出していました。プロの習性というのはおもしろいもので、そんな状態でも練習ラウンドもちゃんとやってるんです。でも、そのあと主治医のI先生に、『まだ復帰は早すぎる。無理をしないでください』と怒られましたけどね」
シニアツアーは、若いころからともに闘ってきた往年の名プレーヤーたちが顔を揃えるが、彼らの反応はどうだったのだろう。
「がんのことはマスコミはおろか、選手仲間にも話していませんでした。でも、みんな、僕ががんで入院していたことは知っていました。ですから、60歳で、しかも大病をして間もない体なのに好成績を出したので驚いていました」
トーナメント出場中、いつも呼吸が苦しくなっていてはたまらないので、安田さんはI医師のアドバイスでそれから3年間、大会があるときは必ず携帯用の酸素ボンベを持って出かけることにした。
「標高の高いところで行われる大会には出場しませんでした。気圧が変わるとまずいと言われていましたから」
この年は10月に行われた日本シニアオープンでも28位に入った。前年は予選落ちしているので大健闘である。
大会優勝が何よりのクスリ

(2009年の中日クラウンズ) (写真提供:日刊ゲンダイ)
その後、現在に至るまで、安田さんはプロゴルファーとしてグリーンに立ち続けている。67歳の現在も、アイアンショットのキレは衰えておらず、昨年は関東プロ、グランドシニア選手権で2位。今年6月に行われたシニアツアー開幕戦の「スターツシニア」では、スーパーシニアの部で優勝した。
安田さんは賞金より何より、優勝すると健康上の効果が大きいと語る。
「小さい大会でも、優勝すれば嬉しいです。これ以上のクスリはないですね。全身のストレスが吹っ飛んで、免疫力が高まる感じがします」
2009年、10年と、安田さんはシニアツアーだけでなく、レギュラーツアーにも出場しており、そのことを誇りに思っている。
「レギュラーツアーは、過去の優勝者という枠で出場しているんだけど、技術的には誰にも負けないつもりでも、それを生かす体力がないから、予選突破というわけにはいかないのが現状です。でも、50歳若い石川遼君と一緒にスコアを競うことになるので、『まだ俺も捨てたもんじゃない』という気にもなります。それと、僕のことを覚えてくれている人もいて、あちこちで『お帰りなさい』と言われるし、握手攻めやサイン攻めにも遭うので、気分がいいです。僕は自分が主人公じゃないと気がすまないほうだから(笑)」
がんになって「力を抜くこと」を覚えた

がんを乗り越えて現役を続けることができた秘訣について、安田さんは歯切れのいい答えを返してきた。
「ギアチェンジする生き方をマスターしたということです。それまでの僕のゴルフ人生というのは、常にギアをトップにしていたようなもんです。もの凄い緊張の中で、力を出しきるにはそれしかないと思っていた。でも、がんから復帰したあとはすぐ疲れが出るし、練習をたくさんやって疲労が溜まると、ピピッと体が痛くなる。そうなると、ギアをトップに入れるときと抜くときを分ける必要がある。そう思って仕事を半分に減らしたんです」
安田さんは18歳でプロ入りしているので来年、プロ生活50周年を迎える。安田さんは、ここに来てゴルフも好調で、優勝したスターツシニアではエージシュート(自分の年齢以下のスコアでラウンドすること)にあと1つ届かない68のスコアを出している。師匠である中村寅吉プロは通算7回、エージシュートを記録しているが、今の安田さんなら、それを超えることも夢ではないだろう。
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