がんになったことは、僕の人生の大きな財産です 食道がんを乗り越え、「人を幸せにする音楽」で団塊の世代を元気づけるザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2010年11月
更新:2018年9月

8時間に及ぶ大手術だった

手術は94年9月13日に行われ、8時間を要した。

食道がんの手術は大手術になる。加瀬さんの場合も、まず右の肋骨を切断して胸を開き、肺を横に押しやって食道周囲のリンパ節を剥離したあと、腹部を縦に切開し、食道を引き出して摘出。そのあと、胃を縦に切断して片方を縦に丸めて新たな食道とし、それを残っている食道につなぎ合わせ、さらに胃の再建も行って手術は終了した。がんの病期は2期で、リンパ節にも6カ所の転移があった。

「がんが見つかってからすぐに手術を受けることになったので、食道がんについてほとんど勉強する時間がなくて、手術があれほど大がかりで大変なものになるとは思っていなかったんです。でも、下手に知っていたら精神的にきつかったろうし、万が一のことも考えたでしょうから、何も知らないで手術を受けたのは結果オーライでした(笑)」

食道がんは、手術自体も大変だが、体のあちこちを切開しているので、痛みに苦しむケースが多い。加瀬さんの場合はどうだったのだろうか?

「痛みは多少あった程度です。術後3日間は集中治療室にいたんですが、体にチューブがたくさん入った状態で相撲中継を見ていました。集中治療室の中に小さなテレビがあったので、看護師さんに『相撲見せて』ってメモを書いて渡したら、すぐ持ってきてくれたんです。一般病棟に移ってからも、痛みに苦しむようなことはほとんどありませんでした」

ハワイにいるようなギター片手の入院生活

写真:加瀬邦彦さん

食道がんでは、術後にさまざまな合併症が出ることも多いが、加瀬さんは、合併症にも悩まされることなく、順調に回復していった。実は加瀬さん本人にも、その予感があったという。

「一般病室に移ったとき、パッと窓の外を見たら虹が出ていたんです。それを見て、これは僕の新しい人生の門出を天が祝福してくれているんじゃないかと思ったんです。看護師さんたちに聞いたら、その病室から虹が見えることはめったにないとのことでした。ところが、僕が入ってから、その後も2回、3回と虹が出たんで、絶対そうに違いないと確信しました」

それで、すっかり治った気分になった加瀬さんは、およそ入院患者らしくない生活をエンジョイするようになる。

「病室の横にテラスが付いていたんですよ。せっかくこんないいものがあるのなら利用しない手はないと思い、プールサイドなんかに置いて使うボンボンベッドを持ってきてもらって、ラジカセの音楽を聴いたり、ギターを弾いたりしていました。朝、テラスのベッドに寝ながら音楽をかけて、のんびり新聞を読んでいたら、院長先生が入ってきて『まるでハワイのリゾートにいるみたいですね』って笑うんですよ。ちょっと羽を伸ばしすぎたかなと思ったら、『これでいいんです。加瀬さんみたいな人は、早く退院できますよ。がんの治療で医者ができるのは半分。あと半分必要なのは患者さんの気持ちなんです』って、誉められました(笑)」

院長の言葉どおり、加瀬さんは、1カ月半くらいの入院になると言われていたのが、3週間で退院できた。食道がんの術後、たった3週間で退院できたケースは、ほとんどなかったそうだ。

退院する際、加瀬さんは、主治医から抗がん剤治療を受けるかどうか尋ねられた。抗がん剤治療を行う場合は、1カ月後に1週間入院して薬を投与し、4週間目にまた1週間入院して投与することになるという。抗がん剤はシスプラチン(一般名)と5-FU(一般名フルオロウラシル)の2剤併用である。強い副作用を覚悟しなければならない組み合わせだ。

「副作用が強いのでやりませんでした。やると、おそらく半年ぐらいは仕事ができなくなるじゃないですか。それと、抗がん剤をやったら自分の自然治癒力も弱くなると思ったんです」

食道がんで逝った小学校時代からの友

退院後は胃が3分の1になり、食べられる量が減ったため、体重が6キロ減った。ダンピング()が時々出たが、2カ月間は無理をせずに家で静養していたため、体力も回復、手術から約3カ月後の12月に行われたディナーショーから仕事に復帰している。

このように、加瀬さんは食道がんという予後の悪いがんになりながら、早期の発見、治療によって最小限のダメージで社会復帰できた。その翌年、加瀬さんはそれがいかに幸運なことかを思い知らされた。

「僕の慶応義塾幼稚舎(小学校に相当)のころからの友だちが、食道がんで亡くなったんです。手術から半年くらいたったとき、同窓会で久しぶりにそいつと会ったんです。彼は仕事でアメリカのサンフランシスコに出向していて、たまたま日本に戻ってきていました。帰り際に彼に『オマエも気をつけろよ』って言って、握手して別れたんですが、それから2~3週間後に彼からファックスが来て、『食べ物がつかえる感じがあるので、医者に診てもらったら食道がんだった』って、書いてあったんです」

加瀬さんはすぐに友人に連絡し、「オレもよくなったんだから、オマエも大丈夫だよ」と励ましたが、友人の食道がんの大きさはすでに11センチに達していた。ここまで大きくなると、がんは食道周囲の臓器だけでなく、遠くの臓器にも転移しているケースが多い。

「それからしばらくして、彼が『病院を移って、抗がん剤ではなく、ジュースのようなものを飲まされている』と伝えてきたんです。本人は知らされていないけど、そこはホスピスのような施設だったんじゃないでしょうか。彼は結局、帰らぬ人になったんですが、彼の訃報に接したとき、つくづく自分はなんて運のいい人間なのかと思いました。自分では食道がんなんて1度も意識しなかったのに、人との出会いに恵まれて、がんの発見から治療まですべてがうまく運んだわけですから。『自分は本当にまわりの人に生かされているんだ。これからは、人のためになる生き方をしなければ』と思いました」

そんな思いが強くなった加瀬さんは、自分に何ができるかを考えるようになる。彼が行き着いたのは、同世代の人たち、つまり団塊の世代を音楽で元気にしようということだった。

「僕はずっと音楽を続けてきました。でも、以前は自分が楽しめる音楽ばかりを追求していたように思います。そうではなく、これからは自分のまわりの人を喜ばせる、幸せにする音楽を提供していこうと考えたのです。加瀬邦彦ががんを乗り越えて、いくつになっても元気に歌ったり、楽器を演奏したりしている姿を見れば、同世代の人たちも『オレだって、私だって、まだまだ何でもできる』と奮起してくれるのではないでしょうか」

ダンピング=胃切除後、消化物が急に腸に入るようになったために血糖値の調整などがうまくいかず、動悸、めまいなどの症状が起こること。
ダンピング症候群ともいう

やりたいことがいつも山積みの状態

写真:毎月1回行っている「ケネディハウス銀座」でのライブ
毎月1回行っている「ケネディハウス銀座」でのライブ
写真:加山雄三さんが企画した「第4回フィールド音楽祭」に参加
加山雄三さんが企画した「第4回フィールド音楽祭」に参加

60歳のとき、加瀬さんは、ザ・ワイルドワンズ時代のメンバーである鳥塚しげきさん、島英二さん、植田芳暁さんとともに、『お楽しみは、これからだ! 頑張れ団塊の世代!』というスペシャルコンサートを開始。65歳のときには、武道館でザ・ワイルドワンズ結成40周年コンサートを開催し、広い会場を団塊の世代で満員にしている。さらに、08年には加山雄三さんと『オヤジたちの伝説』ツアーを企画して全国約50カ所を回り、大きな成功を収めている。

こうしたユニークな企画を次々に立案して実行したのも、食道がんになって人生観が変わったからだ、と加瀬さんは言う。

「僕は人生でやりたいことがいつも山積みの状態です。けれど、もし、がんにならなかったら、『人生を完全燃焼させてやる』という心境にはならず、あれをしよう、これをしようという意欲もわいてこなかったと思います。今ごろは仕事なんかしていなかったでしょうね。僕の場合、運よくがんを乗り越えられたから言えることかもしれませんが、がんになったことは、僕の人生の大きな財産になっています」

白い歯を見せながらそう語る加瀬さんの顔には、湘南ボーイのときと変わらぬ、無垢な輝きがあった。


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