手術でできた首の傷は、私の山あり谷あり人生の勲章です たちの良い甲状腺がんでも、歌手生命を脅かされるまでの経験をした歌手・仁支川峰子さん
30時間も続いた地獄の苦しみ
ただし、この再手術はリスクの伴うものではないので、このあとは何も起きないはずだった。ところが、仁支川さんは、再手術が終わって夜10時半ごろに病室に戻ったあと、翌々日の未明まで30時間近く、苦しい状態が続いた。
「痰と唾液が出続けて何度も息ができなくなり、死ぬのではないかと思いました。それと、手足がしびれて硬直した状態がずっと続いたんです。しびれは、正座したあとで足の自由が利かなくなってしまうときの感覚に近かったです。それでいて、意識だけはハッキリしていたので、眠ろうとしても眠れないのでつらかったです。
そうなった原因ですか? 私自身は、麻酔の副作用じゃないかと思っています。なぜなら、1回目の手術の麻酔が、まだ体内にかなり残っている状態で再手術になり、全身麻酔が行われたからです。手術のあと、痛みが出るはずなのに全く感じなかったのも、麻酔の効き過ぎで手足がしびれた状態だったからだと思っています」
全身麻酔による手術を受けた後は、人工呼吸や麻酔薬の影響で痰がたくさん出る場合がある。仁支川さんの場合、1日に2度も全身麻酔手術を受けたので、痰の出方も激しかったのだろう。手足のしびれがしばらく続いたのは、2度も全身麻酔手術をしたため、しびれや違和感がしばらく残る一過性の神経障害が起きた可能性がある。
「翌日は、主治医のK先生が学会に出席していて不在だったので、ほかの先生たちが回診に来たんですが、検査の数値がどこもおかしくないのに、私が『死んじゃう』みたいなことを言っているので、精神的に不安定になっていると思ったようです。まもなく精神科の先生が来て、私にいろいろ質問したあと、精神安定剤を処方されたんです。でも、それで痰が止まることはありませんでした。夕方になって、その先生がまた来たので、『私がお願いしたいのは、しびれを早く取ってほしいのと、痰と唾液をちゃんと取ってほしいこと。これだけなんです』と訴えました。そしたら、こちらの真意が通じたようで、別の薬を注射してくれたんです。それが効いて、翌日の午前3時ごろには体調が回復しました」
退院後2週間でステージに復帰

その後は何事もなく過ぎ、術後6日目の5月24日に退院している。仁支川さんが歌の仕事を再開したのは、それから2週間後のことだ。異例の早さである。
「私は、『手術は必ず成功して、声も元通りに出せるようになる』とずっと信じていました。実���、主治医のK先生からは『最低でも3カ月間は歌えないと思ってください』と言われていたんです。でも、私は1日も早くステージに立ちたかった。歌うことは私の生きがいだし、お客さんの拍手や声援を糧にして、これまで生きてきたんですから」
しかし、仁支川さんは声に大きな問題を抱えていた。強く声を出そうとすると、傷を縫合したところが中に引っ張られて声が詰まりそうになるため、小さな声しか出せなくなっていたのだ。
最初の歌の仕事は、東京近郊の町で行われたミニ歌謡ショーで、1日に2度のステージが組まれていた。主催者に事情を話して、1ステージで歌う曲を5曲に減らしてもらったが、それでも、1日に合計10曲も歌わなくてはならない。それだけ多くの曲を、彼女はどうやって歌ったのだろうか?
「柔らかい裏声を使って切り抜けました。何10年もやっているんで、そのくらいのテクニックはあります。ただ、いつもとは違う歌い方になるので、司会者の方にお願いして、前もってお客さんに、私が甲状腺がんの手術を受けたばかりで『お聞き苦しい点があるかもしれません』と言ってもらったんです。みなさんも、それで私の声の状態がよくないことを知ったので、違和感なく聞いてくださって、1曲ごとに温かい拍手をいただきました」
裏技を使って2度のステージを乗り切ってしまったのは、歌唱力の人=仁支川峰子の底力というしかない。
歌える幸せが身にしみた

これで自信を深めた彼女はその後も歌い続けた。最近では、声も元の状態に戻ってきたという。
興味深いのは、手術の傷口を隠すようなことはせず、これまで着てきた衣装で仕事をこなしていることだ。
「むしろ、お客さんや世間の人たちにもこの傷を見せて、『みなさんも甲状腺がんに気をつけて』と呼びかけたいですね。男の人ではないですが、手術でできたこの傷は、私の人生の勲章だと思っているんです。人生は山もあれば、谷もある。私の人生にもいろいろなことがありましたが、がんになったんだから、今度はきっといいことが待っている、傷はそのしるしだと。あと、がんになってプラスのこともあるんですよ。これからは病院で定期的に検査を受けないといけないので、大きな病気を見逃すことはもうないでしょう。それに今回、のどの手術を経験したことで、声の大切さ、歌えることの幸せも身にしみてわかりましたから。芸にいっそう精進したい、そう思います」
がんは人の命を奪うこともあるが、人生をより豊かにすることもある。仁支川峰子さんの場合は、明らかに後者だったようだ。
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