夫婦二人三脚で成人T細胞白血病克服を目指す 前宮城県知事・浅野史郎さん 闘病中に最も心の支えになったのは妻です
7種類の抗がん剤を併用した治療

入院後、まず化学療法が行われた。LSG15と呼ばれる多剤併用療法で、オンコビン(一般名ビンクリスチン)、エンドキサン(一般名シクロホスファミド)、アドリアシン(一般名ドキソルビシン)、プレドニゾロン(一般名プレドニゾロン)、サイメリン(一般名ラニムスチン)、フィルデシン(一般名ビンデシン)、パラプラチン(一般名カルボプラチン)という7種類の抗がん剤を使った。がん細胞を減らして、病勢を落ち着かせ、移植が可能なレベルまで下げることが目的だ。
「最初に医師から、それぞれの抗がん剤に関して、これはこういう効果が期待できるが、こういう副作用が出ることがあるという説明がありました。多くの方が抗がん剤で七転八倒の苦しみを味わっていると聞いていましたし、抗がん剤の数も多いのである程度は覚悟していたのですが、副作用は予想したほど強くなかったですね。1クール目が終わったころ、口内炎と吐き気に悩まされ、頭髪も抜け落ちてしまいましたが、この程度は想定内のことでしたので、幸運だと思いました」
ただ、すべてが順調だったわけではなく、抗がん剤投与3クール目が終わったころに腸閉塞が起き、再度吐き気にも悩まされるようになったため、4クール行う予定だった投与を3クールで打ち切っている。食事も摂れなくなってしまったため、浅野さんはひと月ほど点滴栄養に頼らねばならなかった。
ドナーが見つかった幸運
治療開始後は化学療法と並行してドナー(提供者)探しが始まったが、こちらのほうもスムーズにことが運んだ。
「すべてはドナーが見つかるか否かにかかっているので気が気ではなかったですが、早い段階でヒト白血球抗原型(HLA型)(*)が完全一致する人が見つかりました。親類縁者もみんな協力してくれてHLA型を調べたのですが、2人の姉は不適合で、10数人の従兄弟たちも合いませんでした。しかし、骨髄バンクで8座のうち、8座一致する方が2人、ぎりぎり移植可能なラインである6座一致の方が30人ほどいることがわかったのです。詳しく調べてみたら、1人は8座完全一致することがわかりました。もちろん、完全一致がわかっても移植に同意していただかないといけないので、承諾を待つ間は長く感じました」
光子さんといっしょに、毎日祈るような気持ちだったという。
しかし、2人の気持ちが通じたのか、ほどなくドナーの承諾が出たという知らせが届き、いよいよ骨髄移植手術を受けることになった。
*HLA=ヒト白血球抗原型のタイプのことで、A座、B座、C座、DR座それぞれ2対、計8座あり、移植を安全に行うには、これらを合わせる必要がある
GVHDも順調に乗り切る
移植は予定通り、国立がん研究センターで行われた。
浅野さんは再度、抗がん剤を使った前処置を受けたあと、移植の日を迎えた。
骨髄移植は他の臓器移植のような全身麻酔を使わず、骨髄液を点滴で入れるだけで終了する。
しかし、大変なのはそのあと。移植されたドナー骨髄中のリンパ球が患者の体の組織を異物として攻撃するため、どの患者も移植片対宿主病(GVHD)(*)に苦しむことになる。
問題は、その程度だ。
重篤な場合は死に至ることもあるが、まったく出ないというのも望ましくない。移植されたリンパ球は、がん化した細胞にも攻撃を仕掛けて、再発を予防する役割もあるからだ。望ましいのは軽度にGVHDが出ることだ。
「GVHDは皮膚に出ましたが、程度からいえば比較的軽いもので、かゆいことはかゆいけれど、我慢できないほどではなかったです。移植した骨髄が体に生着したのは2週間目くらいでしたが、高い熱が出るようなことはなかったので、順調にいったと思っています」
ただし、付き添っていた光子さんは、浅野さんの顔が異様にむくむのでショックを受けたようだ。
「移植後2週間目から体に水がたまって、まるで海坊主のように顔がはれ上がりました。胸膜炎で肺にも水がたまり、横になっているのがつらいので、上体を起こして、ベッドの上で抱き枕をして寝ていました」
この症状も、田野崎医師がステロイド剤(皮膚などの炎症を抑える薬剤)をタイミングよく投与してくれたので快方に向かった。
*GVHD=造血幹細胞の同種移植や臓器移植などの治療に伴う合併症。ドナーの移植した骨髄に含まれる白血球が、患者さん自身の体を攻撃する免疫反応が起こり、皮膚や肝臓、消化管などにさまざまな症状が出る
退院時にまだ10キロ地点といわれ、ガックリ

そのあとはGVHDや合併症が出なかったため、浅野さんは今年2月に長い入院生活に終止符を打つことができた。
「自分ではもう少しかかると思っていたので、医師が『来週ぐらいで退院してもいいですよ』と言ってくれたときは、これで一区切りついた気分になりました。でも、退院のとき、医師に『マラソンで言えば今何キロ地点ですか?』って聞いたら、『まだ10キロ地点です』と言われたのです。自分では35キロぐらいだと思っていたのでガクッと来ました。それと同時に、自宅療養になっても気を引き締めてかからなきゃダメだと思いましたね」
医師が「10キロ地点」と言ったのは、まだ慢性GVHDが出るリスクがかなりあることや、免疫力の低下でいつ重篤な感染症や皮膚疾患が起きても不思議ではない状態がしばらく続くからだ。
奥さんの光子さんとは名コンビ
退院した浅野さんは、それ以降、光子さんの細やかなケアを受けながら自宅で療養生活を送っている。春の訪れとともに、頭部にも髪が生え始めた。
「先日、田野崎先生に『今何キロ地点ですか?』って聞いたら、『折り返し点ぐらいでしょうか』と言われたので、着実によい方向に進んでいるという実感はありますが、その一方で、まだ先は長いという気持ちもあります。怖いのはマラソンと違って、いつ大きな落とし穴が待ち受けているかわからないこと。突然、感染症で肺が真っ白になる可能性もあるので、しばらくはガードを下げられないと思っています。
実際は下がりそうになるのですが、妻の目が光っていて、ガードが下がり気味になると『あなたは衛生観念が薄い』とか、『マスクをしなさい』と厳しく言われるので、下げられないという事情もありますけどね(笑)」
その辺の夫婦間の呼吸は見事で、楽天的な浅野さんとやや心配性の光子さんは、絶妙の名コンビに見える。
浅野さんは、「闘病中に最も心の支えになったのは妻です」と言い切る。
成人T細胞白血病克服までのゴールはまだ先だが、マラソンの高橋尚子選手が小出監督に支えられていたように、浅野史郎さんは、光子さんという名コーチから愛のこもったお小言をもらいながら、42.195キロをきっと走りきるのではないだろうか。
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