乳がんの早期発見は「リレー・フォー・ライフ」参加のおかげ 「乳がんを経験して得たものが大きかった」と語るアグネス・チャンさん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2010年5月
更新:2018年9月

東京駅、羽田空港での疾走

写真:アグネス・チャンさん

帰国後は予定通り、放射線治療を34回のスケジュールで開始。北京の大イベントが終わったからと言ってスケジュールが楽になったわけではないので、治療を受けるのも時間のやり繰りがたいへんだったようだ。

「ちょっとでも、帰りの便の到着が遅れるとたいへんでした。羽田空港や東京駅で、ずいぶん走りました。東京駅で、もう間に合わないんじゃないかと思ってハイヒールを脱いで走ったときは、インターネットで書かれました。『東京駅でハイヒールを手に持って走っているオバサンがいたんで見たら、アグネス・チャンだった』って(笑)。もうユーモアもってやるしかない、という感じでした」

7週間連続して放射線を照射すると程度差こそあれ、副作用が出ることは避けられない。

「事前に副作用がいろいろ出ると聞いていましたが、ほとんど出ませんでした。ただ、後半は疲れやすくなって新幹線に乗ったとたん、バタンキューとなることが多くなりました。これが副作用だったのかなあと思いますが、もしかしたら東京駅で走り過ぎたせいかもしれません(笑)」

1番つらかったのはホルモン療法の副作用

このように、副作用が軽かったため彼女は仕事と両立させながら放射線治療を何とか年内に終わらせることができた。

しかし、それに引き続いて行われたホルモン療法ではさまざまな副作用に悩まされることになる。投与されたのはタモキシフェン(商品名ノルバデックス)で、期間は5年間である。

「ホルモン療法はいろいろ副作用が出ましたが、1番ショックだったのはコンサートの前夜に目もあけられないくらい顔がパンパンに腫れたときでした。このときは、本当にビックリして、朝になるのを待って香港の姉に電話で相談したんです。事情を話したら、すぐに腫れを抑える薬を買って飲むように指示されたのでマネージャーに買ってきてもらって飲んだんです。そしたらだいぶよくなったので、その日は何とかコンサートの舞台に立つことができました。しかし、これが5年間も続くのはたいへんだと思ったのでY先生に中止できないかと相談したんです。そうしましたら、私の場合は、やめてしまうとがんを防ぐ手段がなくなってしまうと言われたんです」

Y医師の説明に納得した彼女はアレルギーの薬を飲みながらホルモン治療を続けることになるが、副作用はこれだけにとどまらなかった。

「それ以外にも、関節の痛み、大汗、全身の発疹などが出ました。関節痛は、朝にベッドから起きだすのが大変なくらいひどかったです」

体調が好転したのは、昨秋になってからだ。

「その後も2度、顔が腫れたので、アレルギーの薬をやめることができなかったんですが、昨年夏ごろから出なくなったので4カ月くらい前にためしに服用をやめて様子を見ることにしたんです。そしたら大丈夫だったので、それ以降、アレルギーの薬は飲んでいません。おかげで、最近はここ数年で体の調子は1番いい感じです」

こう語るアグネスさんの口調にはどことなく弾んだ響きがあり、ホルモン治療の副作用が以前ほどひどくなくなったことへの安堵感のようなものがうかがえる。

薬膳風の料理はすべて母から教わった

このように長い間、彼女はホルモン治療に苦しめられたが、それでも精力的に仕事をこなし続けることができたのは、そのときの体調に合わせて漢方の材料を使ったスープや薬膳風の料理を食べていたことが大きい。

「スープは霊芝、クコ、ナツメ、杏仁、桂皮など30種類以上の材料を組み合わせて作るんです。食べ物も、温野菜を中心にその日の体調に合わせて食べていました。香港では体を冷やさない食べ物はこれで、元気が出るのはこれ。頭がボーッとするときはこのスパイスを加える、といった知恵がどこの家にもあって母親が子供に伝えていくんです。私も母から教わっているので、それが役に立ちました」

この医食同源を地で行く陳家に伝わる食事の知恵が、基礎体力を強くしていることは想像に難くない。

日本対がん協会の初代ほほえみ大使に

写真:2009年、静岡県・御殿場市で開催されたリレー・フォー・ライフに参加

2009年、静岡県・御殿場市で開催されたリレー・フォー・ライフに参加

アグネスさんは13年前に日本ユニセフ協会の親善大使に任命され、現在もその活動を精力的に続けているが、がんの手術からほぼ1年が経過した08年9月には、もう1つの「大使」に就任している。

日本対がん協会の初代ほほえみ大使である。ボランティアでこのような大役を引き受けることに決めたのは同協会が主催する『リレー・フォー・ライフ』に参加したことが、がんの早期発見につながったという思いが強いからだ。

「乳がんの手術を受けたということが報じられたとき、『関西リレー・フォー・ライフ』で知り合った患者団体の方がメールを下さったんです。そこには、『早期発見でよかったですね。(がんで亡くなった)仲間の魂があなたに乳がんを教えたのでしょう』と書いてありました。それを読んだときは『きっとそうに違いない』と思い、もう声を出して泣いてしまいました。それがあったので、今度は自分がほかの人に何かしてあげたいという気持ちが強かったんです」

ほほえみ大使就任後、時間の許す限り、各地で開かれる『リレー・フォー・ライフ』『ピンクリボン・キャンペーン』関連のイベントなどに参加している。

がんになったことについても彼女はいくつか失うものはあったが、それ以上に教えられるものがたくさんあったとポジティブに捉えている。

とくに、がんになったことで、自分に残された時間には限りがあることと、自分には本当に愛してくれる夫と心から心配してくれる子供たちがいることを実感できたことは大きな収穫だったようだ。

その結果、元気な間に何ができるかをトコトン考えるようになり、1日1日を真剣に生きるようになったという。

「私、がんになったおかげで、かえって生き生きしてきちゃった面もあるんですよ(笑)」


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