今しかできないオシャレを楽しむことで治療に前向きになれた、モデル・MAIKOさん 脱毛をスキンヘッドにして楽しむ逆転の発想で治療を乗り切った

取材・文:吉田健城
撮影:向井渉
発行:2010年4月
更新:2013年8月

抗がん剤への強い抵抗感

昨年2月11日、MAIKOさんはS病院に入院し、手術を受けた。がんの病巣は乳頭のすぐ下のところにあったので、乳輪に沿って3、4センチ切開した。

術後、傷口の痛みに悩まされるようなことはなかったという。

「傷口は、驚くほどきれいで痛み自体もそれほどなかったです。手術の翌日には歩行を始めましたし、最短の日数で退院することができました」

しかし、これで終わったわけではない。術後の治療のほうが大変だった。

病理検査の結果、リンパ節転移はなく、ステージ(病期)は1の段階だったものの、微小ながんが周辺部に潜んでいる可能性があるため、抗がん剤治療、放射線治療、ハーセプチン(一般名トラスツズマブ)治療、ホルモン療法の順で術後治療が行われることになったのだ。

術後の治療方針は手術前にY医師から聞かされており、抗がん剤治療もやむなしという気持ちにはなっていた。しかし、いざ現実の問題になると、『何とかそれだけは避けたい』という気持ちが強くなった。

「吐き気やだるさより、何と言っても脱毛が嫌でしたね。母の抗がん剤治療中、髪が抜け落ちるのを見ていますから。それと爪も黒ずんで真っ黒になっていましたし、手足もかさかさで見るに耐えない感じだったんです。何とかして抗がん剤だけは避けたかったので、Y先生にも『ほかの治療法はないのですか?』と言ってみたんです。でも、『それは無理』と言われました」

抗がん剤治療に踏み切れないでいるMAIKOさんの背中を最終的に押してくれたのは、再発乳がんの治療で入院中のお母さんのひとことだった。

「母は再発乳がんの治療で入院中でしたので、私ががんになったことはしばらく話さなかったんですが、手術が終わったのでもうそれほどショックを与えることはないと思って話したんです。そしたら『あんた、ちゃんと治療を受けなさいよ』って言われまして、きっぱり『わかった』と答えました(笑)」

抗がん剤治療はエピルビシン(商品名ファルモルビシン)とエンドキサン(商品名シクロホスファミド)の併用(EC療法)で、3週間おきに4回投与するというスケジュールだった。

「副作用ですか? 髪が抜けるのは想像通りでしたし、吐き気、言いようのない気持ち悪さ、便秘、動悸、味覚障害などに悩まされました。脱毛のほうは1回目の投与後、1週間くらいはその気配がなかったんです。でも、2週目から抜けはじめて日増しに抜ける量が多くなり、3週目に入ると減ってくるんですが、それも束の間です。4週目のはじめには次の投与に入ることになるので、また、どんどん抜けていくという感じでした」

脱毛後、まずトライしたのは帽子選び

MAIKOさん

脱毛の進行に彼女ははじめ、ショックを受け、落ち込んだ。

しかし、抜け落ちた髪を掃��する作業がルーティン化するにつれてショックは消え、脱毛を楽しむ余裕が出てきた。そんな彼女が、まずトライしたのは帽子選びだった。

ただこのときMAIKOさんは、頭の毛がまだらに生えている状態で、まだ大量に髪が抜け続けており、自分では簡単に試着できなかった。そこで、彼女は中学3年生になった息子に一緒についてきてもらった。

顔が似ているだけでなく、長身の9頭身であるところまでそっくりなので、試着の代打にはうってつけだからだ。気のいい息子は多少照れながらも女物の帽子を次々に試着してくれたので、いい物が選べただけでなく、親子でワイワイ言いながら選ぶことで、帽子ショッピングは最高のレクリエーションになった。

今しかできないスキンヘッドファッションを楽しむ

ファッション雑誌『STORY』でレギュラーモデルとして活躍中
4度目の抗がん剤投与が行われる直前、人生初のスキンヘッドに

彼女は4度目の抗がん剤投与が行われる直前、残っていた髪をきれいに剃り落としている。

「落ち武者のような頭になっていましたし、丸坊主になるのは今しかできないオシャレじゃないかと思ったのでトライしたんです。病院の中にある床屋さんで剃ってもらって、その後伸びてきた毛はシェイバーを買って自分で剃っていました(笑)。さすがにそのままで外出する度胸はなかったですが、やってみると自分でも意外と似合っているなという感覚があったので、人のおうちに行ったときは『ちょっとゴメン』といって坊主頭を見せていました。ウィッグ(かつら)もかぶりやすくなったので、もっと早くやっておけばよかったと後悔しました」

抗がん剤の副作用を楽しんでしまう、こうした逆転の発想は、一般の乳がん患者さんにも参考になる。MAIKOさんに抗がん剤治療中の女性がきれいさを失わずに生きるコツを尋ねると、明確な答えが帰ってきた。

「私の場合は、お化粧することでしたね。私も、はじめは抗がん剤治療をやっている間は寝てなきゃいけないもの、と思っていたんです。でも、外出する用があったのでお化粧をしたら、テンションが上がりました。お化粧をするだけでこんなに変わるんだな、って思いました。すると、着るものにも意欲が出てきて。こうじゃなきゃいけないんだって痛感しました」

脱毛が進んだときと、抗がん剤治療が終わって毛が伸びてきたときのファッションについても、日頃ファッションの世界で生きている彼女らしいサジェスチョンをいただくことができた。

「脱毛が進んだときは、長さの違うウィッグを3つ買っておいて、今日は長いウィッグ、明日は短いウィッグとその日の気分で変えながら楽しんでいました。毎日違うヘアスタイルで外出できるなんて、脱毛中じゃないとできないことですから(笑)。医療用のウィッグは高いけど、ファッションウィッグだったら1万円以下のものもあります。中途半端に髪が生えてきたときのおすすめのオシャレは、カチューシャです。ショートでも似合ったんで凝るようになりました。500円とか800円で売っているし、種類もたくさんあっていいですよ」

このように治療のダメージを楽しみに変えることができたことで、うつ状態に陥ることもなく、治療は無事終了した。

息子の成長を考えれば、いい時期にがんになった

MAIKOさん

「闘病中もオシャレに意欲的に取り組むことで、治療に前向きになれます」とMAIKOさん

抗がん剤治療の後、彼女は放射線治療を約1カ月受けている。

「後半は治療が終わるとだるーくなって、しばらく病院の待合室のソファで休んでから帰るということが何回かありました。でも、心理的に落ち込むこともなくて、予想より軽く済んだ感じです」

放射線治療が終わると、ハーセプチン治療とホルモン療法が開始された。

ハーセプチンのほうはほとんどダメージはなかったが、ホルモン剤のタモキシフェン(商品名ノルバデックス)を使ったホルモン療法のほうはかなりの副作用が出た。

「主なものは、ホットフラッシュ()と関節の痛みです。ホットフラッシュは、ホルモン剤を飲み始めてすぐに出ました。今もまだ、出る日と出ない日があるんですよ」

現在もホットフラッシュに悩まされることはあるが、ホルモン療法の開始当初に比べればはるかに軽く、仕事に支障をきたすようなものではないという。 彼女は体力の回復とともに昨年の秋ごろから仕事の量を増やし、今ではモデルとして以前と変わらぬ多忙な日々を送っている。あれほど心配した仕事へのダメージは、すべて杞憂に終わっている。

また、15歳の息子と暮らすシングルマザーとして、得たものは計り知れないくらい大きかったようだ。

「母1人、子1人の生活で、突然がんになったので、(息子は)すごく気を使ってくれていると思います。簡単なものは自分で作って食べるようになったし、抗がん剤の副作用による味覚障害がでたときも、味見などでしっかりサポートしてくれました。たぶん心配かけちゃいかん、みたいな気が強かったんだと思います。人間成長の意味で、いい時期に病気になったなという気がしなくもないです(笑)」

MAIKOさんはノーブルな外見と同様、抑制されたことばで折り目正しく話す方だが、息子の話になるととたんに口元がゆるみ、声のトーンが少し上がる。

ファッション誌などで見る顔からは母親としての像をイメージしにくいが、息子にとって1番いい人間教育になったということばには、ずしりとした重みがあった。

ホットフラッシュ=更年期障害の代表的な症状の1つで、のぼせ、ほてりのこと


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