どん底の私を救ってくれた最愛の夫からの25個のケーキ 自分の命よりも、赤ちゃんを失った喪失感のほうがはるかに大きかった 女優/タレント・向井亜紀さん

取材・文:吉田健城
撮影:明田和也
発行:2010年1月
更新:2018年9月

死ぬことを考え続けたどん底の2ヵ月

感染症は、思ってもみない事態を引き起こした。お腹にたまったリンパ液が化膿し、いくら抗生剤を投与しても症状がなかなか改善されない状態が続いた。

「毎日針の太い大きな注射器をお腹に刺して膿を抜くんですが、これがものすごく痛いんです。先生が来ると、もうウワーッていう感じでした。結局膿をかき出すための開腹手術を受け、それが終わったあとも、お腹に管を5本煙突みたいに立てて膿を抜ききる状態がしばらく続きました」

子供を産めなかった喪失感に加え、このさらなる試練である。

どんどん落ち込み、精神のバランスを保てなくなっていった。

「仕事をしていないと気が狂うと思っていたのに、仕事まで取り上げられてしまったので、ものすごく落ち込みました。仕事もできない、人に迷惑をかける、何の罪もない赤ちゃんの命を摘みとる。こんな最低の人間が、生きているなんて。早く赤ちゃんに謝りに行きたい。しまいには、死ななきゃ気が済まないと思うようになっていました」

精神的にどん底の状態になると、すべてが最悪のほうに流れていく。向井さんは食事ができなくなり、点滴で栄養補給して命をつなぐという状態になってしまう。

「食べたくないというよりは、食べ物が食べ物に見えないんですよ。お味噌汁を見ても、泥水みたいと思ったり……。何も食べられませんでした。点滴で栄養補給をしていましたが、やせ方もひどくて腋の下が洞穴みたいになっていました」

精神のバランスをどんどん失っていった向井さんは、K医師に物を投げつけるようなこともあったという。

夫が買ってきた25種類のかわいいケーキ

写真:向井さん

「入院中、主人は私にどんなことを言われても、全部受け止めて、支えてくれました」と言う向井さん

こうしたどん底状態から抜け出すきっかけを作ってくれたのは、ご主人の高田延彦さんだった。高田さんは向井さんが入院生活を始めてから、試合で地方に出かけているとき以外は毎日見舞いに来ていた。それも手ぶらではなく、必ず何かしらお菓子などの食べ物を買ってくる。あるときはおはぎ、あるときはみたらし団子、ときには揚げたてのコロッケを衝動買いしてくることもあった。それは、向井さんが食べ物を受け付けなくなってからも続いた。

「落ち込んで『嫌われて嫌われて死ね、馬鹿な私』と思っていた頃でしたから、主人のそうした気遣いもうっとうしくて『このお菓子の山は何?』っていつも当たっていました(笑��」

そんなある日、高田さんが白いケーキ箱を3つも抱えて病室に入ってきた。箱の中には、すべて違う種類のケーキが25個も入っていた。

「六本木のクローバーというお店で買ってきたものでした。当時、クローバーの入っているビルの中にスポーツ選手がよく行くクリニックがあって、診察を受ける主人を待つ間、時間をかけてケーキを選びながらお茶することを楽しみにしていたんです。主人はその嬉しそうな私の顔を思い出して、ケーキを全種類買ってきたんですね。『今日はクローバーにいると思って、好きなケーキを選んでみてよ』って」

はじめは、「1週間以上ずっと何も食べていないし……」とケーキから視線を逸らした。そんな向井さんに、高田さんはこう語りかけた。

「昨日までは食べられなかったかもしれないけれど、今日は食べられるかもしれないだろ。今日の気分はどのケーキかな、と思って買ってきたんだ」

写真:入院中、最愛の夫・高田延彦さんは毎日見舞いに来ていた
入院中、最愛の夫・高田延彦さんは毎日見舞いに来ていた

そう言われた向井さんは食べられるケーキがあるか、探してみようと思った。

「1個ぐらい食べようと思って探したけど、生クリームは無理だし、カスタードやフルーツも無理。あれもこれもダメという感じでしたけど、中に1つだけ、ゼリーの部分があるムースがあったんです。ゼリーなら食べられるかもしれないと思ったので、上のフルーツなどをとってゼリーのところだけひと口食べてみたんです。そうしたら、食べられた。スプーン1杯だけでしたけど、食べられたことがすごく嬉しくて、生きていることを実感しました。今思うと、あのあたりから、自分を取り戻せ始めたかなあと思います」

「ご主人は最高の精神科医ですね」と水を向けると、ほほ笑みながらこう返してくれた。

「そうかもしれません。励まし方がうまいんです。お腹に管を差し込まれて落ち込んでいるときなんかも、『頑張れよ』と言うんじゃなく『俺にはとてもできない。俺なら今ごろ管をみんななぎ倒して病院から逃げ出しているよ。向井はすごいなあ』という形で元気付けてくれるんです。そんな主人の言葉に、主人に、本当に救われました」

代理出産を選択し、3度目で成功

写真:向井さん

こうしたご主人の気配りに支えられて生きるエネルギーを取り戻した向井さんは、代理出産でわが子を得るという選択を具体化させていく。代理出産については著書などですでに紹介されているので概略だけ述べるが、2度の着床失敗にもめげず、03年に再々度、高田さんとアメリカへ出かけ、3度目のトライで双子の赤ちゃんを授かる。代理出産を選択したきっかけを、向井さんは次のように語る。

「2度目の手術でもがんを取りきれなくて、K先生と今後の治療方針をディスカッションしたときでした。K先生はどんな選択肢があるのか、すべてを知って納得してからじゃないと私は手術に同意しないだろうと思い、話してくださったんです。先生が勧めたわけではありませんが、『産んでくれる人を探すという方法もある』と伺ったときは、『代理出産のことですか?』って驚いて聞き返したくらいです」

しかし、向井さんの子宮がんとの闘いは、わが子を得たことでは終わりにならなかった。06年10月、向井さんは右腎臓の摘出手術を受けている。細胞診で「クラス4」(悪性腫瘍の疑い、上皮内がんの可能性)と判定されていたが、がんの転移によるものではなく、お腹に溜まったリンパ液が化膿したことによる後遺症に端を発していた。

「それによる排尿障害に悩まされていたことと、何度も腎盂炎になったりして腎臓自体も機能しなくなっていたので摘出することにしたんです」

このような経過を辿って向井さんのがんとの闘いはようやくひと区切りついた状態となった。

それは肉体的にも精神的にも苛酷な長い長い道のりだったが、つらい思いの分、向井さんはいくつもの大事なものを手に入れた。1つひとつここで言及するつもりはないが、そのシンボルと言っていいのが2人のお子さんだろう。いま向井さんはマイペースで仕事をしながら、今春、小学校に上がる2児のママとして大忙しの日々を送っている。


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