ありのままでいこう、そして息子に自分のすべてを伝えたい 7時間に及ぶ十二指腸がん大手術を乗り越え、スローライフを実践中のタレント・清水国明さん

取材・文:吉田健城
撮影:明田和也
発行:2009年12月
更新:2018年9月

十二指腸だけでなく、膵頭部、胆嚢、胆管までを切除

写真:「麻酔から覚めたとき、1番最初に思ったのは肩が痛い、でした」と語る清水さん

「麻酔から覚めたとき、1番最初に思ったのは肩が痛い、でした」と語る清水さん

このように、身内、仕事関係、ファンに対し、最大限の配慮を行ったうえで清水さんは4月3日に入院し、6日に開腹手術を受けた。

手術は、7時間かかった。

長くかかったのはがんが十二指腸のファーター乳頭部にあり、膵頭十二指腸切除術による手術が行われることになったからだ。

ファーター乳頭部は膵管、胆管が共通管となって十二指腸に合流する部分である。

最近は乳頭部切除等の縮小手術で対応することもあるが、再発率が高いため十二指腸だけでなく、膵頭部、胆嚢、胆管まで含めて切除する膵頭十二指腸切除術が一般的となっている。

清水さんの場合も、この手術が行われることになった。

ちなみに十二指腸乳頭部がんの切除症例の5年生存率は全体で見ると50パーセントだが、清水さんのような早期乳頭部がんはずっと高くなる。

何箇所も切除と縫合を行うため手術は予定通り7時間かかったが、無事に終了した。

早く退院したいという気持ちが強かった清水さんは、医師や看護師に回復が早いことをアピールするため、手術の翌日から病院内を歩きはじめた。

「歩くと2週間で出られると聞いたので、そうしたんです。元気なところを見せようとナースステーションの横で、ゴルフの素振りの真似をしたりもしました」

しかし、術後2日目に突然激痛に襲われ、清水さんは術後の痛みがどんなものかを思い知らされることになる。原因は、すぐにわかった。

脊髄につないでいる管から麻酔を入れる硬膜外麻酔が、寝返りを打ったはずみで外れてしまったのだ。

「骨折の痛みは何度も経験しているけど、全然質の違う痛みでしたね」

この痛みも5日目ぐらいにはだいぶやわらいできたが、そのあと別の痛みがやってきた。

シンボルマークの笑顔なしで痛みに耐えた10日間

手術の際に腸に吻合した膵管から膵液がわずかに漏れ出したためドレインを入れることになり、その痛みに襲われたのだった。

膵頭十二指腸切除術の場合、もっとも難しいのは膵管を腸につなげる作業だ。膵管は太さが1ミリくらいしかない細い管なので縫合が大変難しく、縫合不全を起こしやすい。そうなると膵液が周辺組織に流れ出すが、膵液は消化酵素を大量に含んでいるのでタンパク質を溶かしてしまう。血管を溶かして大量出血が起きると死に至るケースもあるため、膵液の漏れ出しには注意が必要なのだ。

主治医からあらかじめ聞かされていたことでもあったが、はじめは不安だったようだ。

「痛みが凄かったし、飲む薬の量も増えました。それで退院が1週間延びたこともあって、ちょっと落ち込みました。一瞬ですが、ひょっとしたら手術はうまくいかなかったんじゃないかと疑心暗鬼になったこともあります」

それでも、清水さんは笑顔がシンボルマークの芸能人。元気なところを見せたい気持ちもあって医師や看護師たちには、なるべく笑顔を見せるようにしていた。

しかし1人の看護師がかけてくれた言葉に心を動かされて、それをやめた。

「よく気のつく看護師さんがいて、『清水さん、痛いのは判っているから笑顔を作ってくれなくてもいいんですよ』って言ってくれたんです。それで気が楽になって、10日間ぐらい眉間にしわを寄せて痛みに耐えていました」

苦しいことがあるから楽しいこともある

ゴールデンウィーク直前に、ようやく清水さんは退院のはこびとなった。

しかし、膵液の漏れ出しには継続的なケアが必要なのでドレインを留置したままの退院となった。それでも清水さんは病院のベッドにつながれていた間、退院の暁にはぜひやろうと思い描いていたことを実行に移す。鈴鹿サーキットでの「全快走行」である。

「鈴鹿サーキットではドレインを着けたまま、バイクに乗りました。退院直後は車のハンドルを握ってガタガタ道を運転していると、振動でドレインを入れてあるところが痛くなるんで腰を浮かせながら運転していました。バイクも正直怖かったんですが、大丈夫でした。連休中は河口湖の畑で耕運機を使って土起こしもしたんですが、テレビ番組で放送されたのでそれを見ていた主治医は気が気ではなかったようです。連休明けに病院に行ったとき、もう少し楽な生活をしたほうがいいと言われました」

楽な生活……。

清水さん本人としても、これまでのような超多忙な生活をしていては、またがんになるという思いもあった。そこで、ひと通り元気なところをアピールしたあとは、それを実践してみようと思った。

しかし、それは長くは続かなかった。体は楽でも、精神的には全然楽ではなかったのだ。

「全然張り合いがなくて、面白くないんです。やっぱり苦しいことがあるから楽しいこともあるんだ、と思いました。気がついたら、前と同じ生活に戻っていました。今は、忙しさを楽しみながら頑張ろうという感じです」

人にはそれぞれ自分に合ったペースがある。それを崩すとかえってストレスがたまるので、以前のペースに戻ったことは自然の成り行きだったのだろう。

髪を染めないで仕事に復帰した理由

写真:自然楽校で開かれた森の隠れ家ツリーハウス作り
自然楽校で開かれた森の隠れ家ツリーハウス作り
写真:退院後の6月、啓子夫人と国太郎君と
退院後の6月、啓子夫人と国太郎君と

最後に、がんになって見えてきたものは何か、と尋ねると明快な答えが返ってきた。

「1つは、入院生活を実況中継してありのままをさらけ出したことで、それ以降もありのままでいこうという気持ちが強くなったことですね。がんになる前までは白髪を染めていたんですが、がんのあと、白髪のままで仕事に復帰したら、スタッフの人たちは浦島太郎を見るような顔をしていました。
もう1つ、がんになって見えてきたことは、時間が限りあるものだと意識するようになり、何をすべきか、すべきでないかが鮮明に見えてきたことです。とくにやっておかなくてはいけないと思っているのは伝承ですね。自分が持っているものを伝える、あるいは、自分が好きになったり、のめりこんだりして授かったものを次の世代に伝えるということです。自然をもっと人の暮らしに活かせるよう、自然学校や自然暮らしの会、スローライフ研究所などの活動をしているんですが、そうした仕事が自分のミッションだと思えるようになり、自信がついて、よけい腹が据わりましたね」

とくに自分が持っているものを伝えたい相手は、言うまでもなく、もうじき2歳になる国太郎君だ。

「昨日も、朝から夜まで一緒でした。昼、浜松で講演があって、夜は六本木でパーティーだったんですが、ずっと一緒に連れていきました。小さいうちは、トコトン一緒にいてやろうと思っているんです。そうしているとこっちも、この子が大きくなるまでは絶対生きてやるんだという気になりますから」

清水さんにとって、がんになったことはけっしてマイナスではなかった。

実際に手術を受けてみると想像以上につらいものではあったが「今はもう、卒業した感じ」と語るように、十二指腸乳頭部がんの手術を受けて激痛に苦しんだことは忙しさの中でどんどん遠い記憶になっているようだ。

がんになったことは全身をくまなくチェックすることにもなったので、まだ小さい国太郎君が成長するまでは、がんにも気をつけつつ、タレント、経営者という二束の草鞋で引き続き、バリバリ走り回る日々が続くことになりそうである。


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