人生イコール、プロレス。だから腎臓1つでもリングに立つ! 腎臓がんから奇跡の復帰を果たした“絶対王者”プロレスラー・小橋建太さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年10月
更新:2018年9月

復帰のため、両膝関節の遊離軟骨を除去する手術を受ける

ようやく光が見え出したのは、近況報告を行ってから10日後の定期検査の日だった。このとき、初めて中井川医師が復帰について前向きなことを言ってくれたのだ。

「それまで先生は『プロレスはすべて腎臓に悪い。せっかく助かった命を大事にしましょう』と復帰には一貫して反対で、『いろいろ調べても腎臓がんになったスポーツ選手で、現役復帰したケースは無い』とも言ってたんです。でも、その日は『そろそろ術後半年になるので、復帰に向けて準備を始めたい』と言ったら『徐々にならいいでしょう。無理をしないで頑張っていきましょう』って言ってくれたんです」

復帰への手始めとして、小橋さんはまず、両膝の関節の遊離軟骨を除去する手術を受けた。

膝は、小橋さんのいちばんの弱点だった。過去に何度も手術を余儀なくされ、01年1月に手術を受けた際は395日間も欠場している。

受けた手術は、両膝にできた遊離軟骨を除去する手術だった。

通常この手術は微小な遊離軟骨を内視鏡を使って除去するだけなので、すぐに歩くことも可能だが、小橋さんの場合は大きいのがいくつもあったため、膝の皿に6箇所もドリルで穴を開けて取り出すことになった。そのため、ダメージが大きく、3月まで満足にトレーニングできない状態が続いた。

07年10月、日本武道館で「戻ってきます!」と宣言

それが癒えた4月、小橋さんは加圧トレーニングを開始した。

これは腕と脚の付け根を専用のベルトで縛り、わざと血の流れを悪くした状態で行う筋力トレーニングだ。その状態でウエートトレーニングをすると、酸素が筋肉に回らなくなるため軽い負荷でも疲労物質(乳酸)が大量に出る。そのため、重いバーベルを担いだときのように成長ホルモンが分泌されて効率よく筋肉の増強を図ることができる。

しかし、その一方で腕や脚に血を流れにくくするため、体にかかる負担が大きく、疲労物質である乳酸が大量に出るため腎臓にかかる負担も増す可能性があった。

「人体実験のつもりでした。バクチです。もう息はあがるし、大変だったけど、やるしかないという気持ちでした。食事も高タンパク食に変えたので5月、6月、7月とどんどん筋肉がついて、体が大きくなっていきました。しかし、逆に腎臓の機能を示す数値はどんどん悪くなって、7月の検診では中井川先生から、『来月、数字がこれ以上悪くなったら、ドクターストップです。プロレスに復帰するという気持ちは捨ててもらいます』とはっきり言われました」

それに対し、小橋さんは改善できる点はすべて見直すことを約束してすぐに実践した。

「まず、食事面から見直し��した。高タンパク食はやめて普通の食事に戻しただけでなく、5月、6月は8時とか9時に食べることもありましたが夕食は必ず6時半までにとるようにして、それからはいくらお腹がすいても何も食べず、飲むものも腎臓に負担のかからない、カフェインのない黒豆茶と杜仲茶だけにしました。そうしたら効果てき面で、9月の検査でよい数値が出たんです」

10月のCT検査でがんの再発が無いことも確認されたため、小橋さんは復帰への自信を深めた。

そして、07年10月27日、武道館(東京都)のリングに上がり、ファンに「レスラー小橋建太として戻ってきます」と宣言。

12月2日に、脳梗塞から奇跡の復活を遂げた高山善廣選手とタッグを組んで、三沢、秋山組と対戦することを発表した。

復帰戦のリングサイドには闘病を支えた主治医がいた

写真:小橋建太さん
2007年12月2日復帰戦、日本武道館大会での小橋さん
(写真提供:プロレスリング・ノア)
写真:小橋建太さん
復帰戦で先代にチョップを打つ小橋選手
(写真提供:プロレスリング・ノア)

07年12月の復帰戦で、小橋さんは546日ぶりにリングに立った。

この日、日本武道館のリングサイドには闘病を支えてくれた中井川医師の姿があった。

「中井川先生には、自分が命をかけて上がりたいと願い続けたリングとはどういうものかを見ていただきたかったんです。それで、感想を聞きたかった。復帰戦の次の日、横浜市大病院で検査が終わったあと、病院の会議室で記者会見をしたのですが一緒に会場に行くとき、先生が言ってくれたんですよ。『小橋さんにとって、生きるとはリングに上がることなんですね』って。自分がやってきたことが、先生に認められたと思いました」

07年12月に奇跡の復帰を遂げたあと、小橋さんは翌年の7月までは試合数を限定してリングに上がり、8月のツアーからはフル出場するようになった。

6月に小橋さんが所属するプロレスリング・ノアの看板レスラーの1人で社長でもあった三沢光晴さんが試合中に死亡するという痛ましい事故があったが、これでプロレスラーという仕事のハードさが図らずも証明された形になった。このような世の中でいちばんハードと言ってもいい仕事を、1つの腎臓でやり続けることは常識では考えられないことだ。それでも、小橋さんがリングに立つ理由は何なのか。

「自分にとって、『人生イコール、プロレス』なんです。先生から、腎臓がんは『生存率は10年』と言われたんです。じゃあ、自分の目指すことをやらないで10年間を過ごすのではなく、たとえ(寿命が)1~2年になっても、自分のやりたいことを全力でやって、そこでもし命が尽きたとしても全力で生きれば納得ができるんです。それに、その1~2年を全力で生きたら、10年以上生きられるかもしれない。まだ、誰もやってないからわからないんですよ。命を無駄にするというわけではなくて、全力で命がけで生きる。そのことを一生懸命やることによって、もしかしたら、20年、30年、40年……と健康な人より長生きするかもしれない。だから、僕はプロレスラーとしての今を全力で生きたいんです」

がんを克服した現役スポーツ・スターの出現

写真:株式会社プロレスリング・ノアの新体制発表会見
写真:株式会社プロレスリング・ノア

7月6日、株式会社プロレスリング・ノアの新体制発表会見。小橋さんは取締役副社長に就任した
(写真提供:プロレスリング・ノア)

奇跡の復帰は言うまでもなく快挙以外の何ものでもないが、もう1つ賞賛したいのはがん患者の支援や啓発活動に積極的に関わっていることだ。小橋さんは、がんに苦しむプロレスファンの少年を試合に招待したり、グッズをプレゼントしたりして、患者を励ますことに可能な限り時間を割いている。一方で、昨年8月には腎癌研究会第1回市民公開講座にゲストとして参加し、ステージで主治医の中井川医師と30分間の対談を行って話題になった。

アメリカではがんを克服した現役スポーツ・スター選手が啓発イベントに出て発言することが珍しくなくなっているが、日本では小橋さんが初めてのケースだ。

「病気を乗り越えて、プロレスをやっている自分がいます。僕のプロレスを見て、病気に苦しんでいる方たちが、少しでも頑張ろうと思ってくれれば、プロレスラーとして戻ってきたことに意味があると思っています」と小橋さん。

小橋さんのように「腎臓がんでも、ここまでやれる」ということをリングでアピールできるスポーツ・スターが日本でも出現したことは画期的なことと言える。

今後も時間の許す限り、「頑張っている、腎臓が1つになった元患者の代表」として活躍を続けていただきたい。

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