怖い、逃げたい、戻りたい…。現実を受け入れて闘い、復帰へ 人気アイドル・吉井 怜さんを襲った「白血病」という運命の悪戯
「生きてなかったら、仕事もできない」と兄が言ってくれた

このような経緯で彼女は寛解維持療法を選択したが、待ち望んでいた芸能界復帰はなかなか実現しなかった。退院すれば、入院と入院の間は仕事ができると単純に考えていた。
しかし、実際には抗がん剤で白血球が減り、感染症に対する抵抗力が落ちているため、短期入院が終わって自宅に戻ってもしばらくは1歩も出られない状態が続いた。芸能界復帰だけを心のエネルギーにして頑張ってきた彼女にとって、そのような状態が続くことは耐えがたいことだった。
「考える時間があった分、心は揺れました。やるべきか、やらざるべきか。死への恐怖が常にあっただけでなく、いろんなことが頭に引っかかってなかなか結論を出せませんでした」
退院から8カ月ほど、このような心の葛藤を経て、ようやく骨髄移植を受ける決断をする。
「移植手術を決断した、最大の理由ですか? 正直言って、いろんなことを考えて、積み上げていったので、どれが最大か、自分でもよく判らないけど、兄から『生きてなかったら仕事も何にもできないし、爆弾を抱えて復帰しても、もし再発してまた入院ということになったら、今度こそ戻れなくなるぞ』って言われた言葉がとても大きかったですね。また、ドナーも体力的負担が大きいので、母が元気なうちじゃないとできない、ということも決断した要因となりました。それと、私自身の心境の変化もありました。芸能生活に戻れるにこしたことはないけど、仮に戻れなくても命があれば、ほかにやりたいと思っていたことをやればいいんだと考えるようになったんです」
大量抗がん剤投与と全身放射線照射は想像を絶する過酷さ
これまで治療を受けていた病院には骨髄移植の設備がないため、主治医の紹介で神奈川県内のがん専門病院に入院し、移植を受けることになる。
覚悟はしていたが、白血病細胞を根絶やしにする目的で行われる大量抗がん剤投与と全身放射線照射は想像を絶する過酷なものだった。
「抗がん剤は、前と違って白血球をゼロにするのが目的なので量も強さも前とは比べものにならないので、副作用も強烈でした。吐き気は吐いても吐いても止まらなくて、内臓まで全部出てくるような気がしました。どうにか寝たいと思うんですが、ちょっと体の向きを変えただけで吐き気が襲ってくるのでまったく眠れなかったです。脱力感もひどくて、ただ、ぐったりベッドに横たわっていました。放射線も想像していた以上にハードでした。全身照射を5回受けたんですが、全身の皮膚が低温火傷でアイスノンのような凍っているものを当てても冷たい感じがまったくないんです。色もどんどん黒���なって、泥を全身に塗ったような感じになりました」
放射線照射が終わると、いよいよ骨髄移植本番となる。
01年7月11日、彼女は午前中に最後の放射線照射を受けたあと無菌室に移り、夕方5時から、お母さんから採取された骨髄液を移植する手術を受けた。
ドナーの母に支えられ、さらに両親を大切に思うように
骨髄移植は術前も大変だが、術後は抗がん剤と放射線の副作用に、移植に伴う合併症(GVHD=ドナーのリンパ球が患者組織を免疫学的に攻撃する「移植片対宿主病」)が加わるため、さらにつらい状態になる。
「移植後10日間ぐらいは、記憶がほとんど無いんです。放射線による皮膚の炎症や口内炎による痛みがひどかったので痛み止めを投与されていた影響だと思います。それと吐き気が移植前よりさらにひどくなって、普段は感じることのないパソコンの臭いを嗅いだだけで吐いてしまうんです。顔も自分の顔とは思えないくらいはれあがり、髪も抜け落ちてしまいました」
しかし、つらさのピークは移植2週間後くらいまでで、それ以降はどんどん症状が改善されていった。
何より幸運だったのは重篤なGVHDが出なかったことだ。
最短で退院できたのも、以前と変わらぬ容姿で芸能界に復帰できたのもGVHDの出方が軽かったからだ。非血縁者ドナー移植はGVHDが強く出ることが知られているが、GVHDの出方が軽かったことは、ドナーが母親だったことと無関係ではない。
「母とHLAが完全一致するケースは大変少ないので、お医者さんからも本当にラッキーだと言われました。今思うと、私の白血病との闘いは母に支えられた部分がものすごく大きいと思います。最初の入院のときは、いろいろ八つ当たりしても毎日来て普段通り接してくれたし、骨髄移植をすることになれば自分もドナーとして大変なのに、私に繰り返し移植を受けるように言ってくれたんですから。移植からまる5年が経過して『完治』となったとき、母と祝杯をあげたんですが、そのときはつくづく親の力って凄いと思いました。両親との精神的な関係も、白血病になる前とあとでは変わりました。14歳からこの仕事をしているので自分では大人だと勝手に思っていましたが、病気を経験してからは両親を超えることはできないし、ずっと大切にしていきたいという気持ちがさらに強くなり、尊敬しています。血液型がA型からO型に変わりましたが、これも母のおかげで、生きていることの何よりの証明だと思っています」
長くてつらい闘病を経験し、人間の弱さを知った

退院の翌年、入院中にずっとつけていた日記をもとにした著書『神様、何するの… ―白血病と闘ったアイドルの手記』(幻冬舎刊)を出し、たちまちベストセラーリストに入る話題作となった。 その翌年には同じ事務所に所属する宮地真緒さんの主演でドラマ化されたので、ご記憶の方も多いと思うが、このとき最初に監督から主人公の吉井怜役を打診されたのは彼女自身だった。
しかし、彼女はそのオファーを受けなかった。
「つらい記憶がありすぎて、とても無理でした。芸能界復帰後も、精神的に不安定な時期がしばらく続きました。とくに無菌室で苦しんだ記憶はなかなか消えなくて、04年に『火火』(高橋伴明監督)という映画で無菌室でがん患者の世話をするナースの役をやったときは、お芝居だとわかっていても、声が震えちゃって体に力を入れないと立っていられないくらいでした」
このベストセラーとなった著書『神様、何するの… ―白血病と闘ったアイドルの手記』では、闘病中、付き合っていた恋人に裏切られた話なども赤裸々に綴られているが、長くてつらい闘病生活が、彼女自身の成長の糧となったことを伺い知ることができる。
「表に出ている仕事をしているので、それを意識して、もっとカッコつけて書くことはいくらでもできました。でも、私は両親の前ではホントにわがままだし、振り返ってみると、わがままだらけというか、自分のことばかり考えていたことがわかりました。両親が、どんな気持ちでいてくれたかなんて、これっぽっちも考えていませんでした。だからここでいろいろ書かずにはいられなかったというか、私はこういう人間です、ということを出せたことで、とても楽になりました。また、自分は1人じゃないということ、周りの人がいてくれた、ということをどうしても伝えたかったんです。自分が感じたものは、全部自分の財産になっているので、大切にしていきたい。悪いことも全部、自分の成長につながりますので……」
最近主演したフジテレビ系の昼の連続ドラマ『エゴイスト~egoist』が好調な視聴率をマークし、女優「吉井怜」に注目が集まっているが、女優として成長できたのも、このつらい闘病生活があったからこそだと語る。
「長くてつらい闘病を経験し、そこで人間の弱さを知り、変に完璧を求めすぎなくなりました。それによって自然に自分を出せるようになり、女優としてやっていく自信がつきました。今後も背伸びせず、自分だからできる役、そのときの自分にしかできない役を演じていきたい、と思っています」
彼女は、過酷な闘病生活を耐え抜いて『完治』というゴールのテープを切ることができた。
肉体的に完治しただけでなく、白血病とのつらく長い闘いは、女優として生きていくうえでの精神的な基盤を作ってくれたようだ。
彼女が、女優として存在感を増していくことは、同じ病気と闘っている患者にとってとても大きな励みになる。
『エゴイスト』のあと、彼女はどんな役でどんな演技を見せてくれるのか――。
つらい闘病を乗り越えて、アイドルから女優への転進を果たした「吉井怜」に、今後も注目していきたい。
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