「あと1年」と言われても諦めなかったから今がある 2つの稀少難治がんを克服した「開運!なんでも鑑定団」の人気女性鑑定士・安河内眞美さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年7月
更新:2018年9月

友人が見つけた鹿児島の病院

栃木に住む農業を営む友人が、安河内さんが白血病になったことを知り、ビニールハウス1棟を「眞美ちゃんハウス」と名付け、そこでできる採れたてのトマトやイチゴを送り続けてくれている。

このときも、ショックが癒えぬ安河内さんの背中を押して正しい方向に進ませてくれたのは友人だった。

「ATLと告げられたとき、前回とは別の友人が一緒についてきてくれていたんです。彼女は診察室には入らなかったけど、私がどんなことを言われたかを話したら、即座に『あきらめてはダメ』と勇気付けてくれ、インターネットなどでATLの治療で実績のある病院を探してくれました」

その友人が探し出してくれたのは鹿児島にある今村病院分院だった。さっそく鹿児島に飛んで同病院を訪ねると、ATLの治療で顕著な実績をあげている血液内科の宇都宮與医師が対応してくれた。

宇都宮医師は安河内さんから詳しい話を聞くと、もっとも有効な治療法は骨髄移植(造血幹細胞移植)であり、最近はよりダメージの少ないミニ移植の研究が進んでいること、移植を受ける場合は長期間入院することになるので家族の助けが不可欠であること、骨髄移植には兄弟姉妹にHLA型が一致する人がいる可能性が高いことなどを説明してくれた。その上で北九州市に家族がいることを考慮し、ATL治療で今村病院と遜色ない治療実績をあげている福岡の九州がんセンターで治療を受けることを勧めてくれたという。

それだけでなく、宇都宮医師は、最初に診察を受けたがん専門病院の医師が多忙を理由に資料の提供を渋っていることを聞くと、直接電話をして必要な資料を九州がんセンターに送るよう手配してくれ、さらに、九州がんセンターにも連絡を入れて入院の手配もしてくれた。

この宇都宮医師の骨折りがあったおかげで、それからはことが順調に運び、安河内さんは05年6月8日に九州がんセンターに入院することになった。

同がんセンターで、安河内さんは血液内科部長の鵜池直邦医師の診察を受け、同医師と相談してミニ移植という移植法を選択。それ以降は前述の宇都宮医師らとATL患者へのミニ移植の研究に取り組んでいる若い医師が直接の担当になった。

ミニ移植のメリットは、従来の骨髄移植(フル移植)のように強力な抗がん剤の集中投与を行わないため、患者へのダメージが格段に少ないこと、そして移植の際にドナー(提供者)にかかる負担が少ない点にある。デメリットは移植前に徹底的にがん細胞を破壊しないため、増殖スピードの速いタイプの白血病では、移植後、再発のリスクが高くなる可能性があることだ。

ただこの点に関しても、ATL患者に対���る安全なミニ移植の研究が九州がんセンターや今村病院などの医師によって進められており、フル移植と遜色ない治療成績が出るようになってきている、という。

兄とHLA型が完全一致

ただミニ移植という選択をしても、肝心のドナーが見つからないと治療には入れない。この点でも安河内さんは幸運だった。

「私は知らされていなかったのですが、九州がんセンターでは、まず骨髄バンク登録者を当たったのですね。けれど、完全一致はおろか、1座不一致もいなかったらしいのです。先生はそのことは私に伏せて、私のきょうだいを調べてくれました。私は4人きょうだいで姉が2人、兄が1人いるのですが、調べたら兄が完全一致したのです」

ドナーが見つかった後、安河内さんは骨髄移植の前処置となる抗がん剤治療に入った。

「1週間続けて点滴投与し2週間休むというパターンを5クールしましたが、強い副作用に苦しむことはありませんでした。いちばん気になったのは、筋肉が落ちてやせこけてしまったことですね。髪の毛が抜けたこともつらかったけど、母は可愛いって言ってくれました(笑)。」

抗がん剤治療が終わった後、10月に骨髄移植が行われたが、このとき安河内さんがありがたいと思ったのは、フル移植に比べ、ミニ移植はドナーにかかる負担が少なくて済むことだった。

「ミニ移植でもドナーは1週間前から入院して薬で白血球を増やす処置を受けることはフル移植と同じです。けれど、移植の際、ミニ移植ではドナーは全身麻酔されるようなことはなく、4時間ほど点滴状態。じっとしてテレビを見たりしながら気を紛らわせていればいいんです。兄には貴重な時間を使わせることにはなったけど、肉体的に大きな苦痛やリスクを与えずにすんだことは安心しました」

皮膚の発赤と肝機能障害

写真:白血病を克服し「開運!なんでも鑑定団」に復帰したばかりの頃

白血病を克服し「開運!なんでも鑑定団」に復帰したばかりの頃。中央が安河内さん。北原昭久氏(右)、阿藤芳樹氏(左)とともに。

移植後はどの患者さんも程度の差こそあれ、GVHD(移植片対宿主病)に悩まされることになる。GVHDの症状としては発熱、皮膚の発赤、発疹、肝機能のいじるしい低下、吐き気、下痢などがあるが、安河内さんは皮膚の発赤と肝機能障害に悩まされた。

「まず出たのは皮膚の発赤です。とくに顔に出ました。でも退院後、病院でまだ真っ赤な人もいたので私の場合、それほどひどいものではなかったように思います。肝機能障害が出たのは、翌年2月初旬に退院して北九州の家で静養しているときでした。ちょっと歩いただけで、動けなくなってしまい、再入院する羽目になりました。でも肝機能障害については、長期間さまざまな薬を大量に服用していたので、その影響もあるのではないかと思っています」

これも1カ月ほどの入院で克服した安河内さんは、06年3月、ATLとの長い戦いに一応のピリオドを打つことができた。

退院後ほどなくして東京に戻った彼女は、古美術商としての活動を再開。5月からは『鑑定団』の仕事にも復帰した。復帰後『鑑定団』の視聴者の中に、安河内さんがしばらく見ない間にずいぶんふっくらした顔になったと話す人がいたそうだが、それはGVHD対策で長期間ホルモン剤による治療を受けたことの副作用によるものだった。

「あと1年」は疑ってかかれ

写真:安河内さん

安河内さんは、2度も稀少の難治がんに冒されながらも、それを見事に乗り切って現役復帰を果たした。それを可能にしたものは? と尋ねると、すかさず「友人に恵まれたことです」と歯切れのいい答えが返ってきた。

「振り返ってみると、やはり2度とも、医師の診断を聞くときに、友人に一緒に行ってもらったことが大きかったと思います。1人で行くと、やはり精神的ショックが大きいから、医師に言われたことを冷静に判断できないのではないか、と。私の場合、友人が第3者のクールな頭で判断して的確に対処してくれたから、症例の少ないがんなのに最高のお医者さんに辿り着けました。友達に自分のことを話せば、皆、いい言葉を返してくれます。彼女たちの言葉にどれほど助けられたか。自分は必要のない人間なんだと思い込んで、勝手に閉じこもってしまうことだけはしちゃいけないと思います」

最後に、稀少がんを告知された患者さんにいちばん伝えたいことは? と問うと、こんな答えが返ってきた。

「私のように特殊ながんになった人に言いたいのは、『あと1年』といわれても、『はい、そうですか』と思ってはいけないということ。稀少がんは患者が少ないから、たくさんの症例を経験しているお医者さんは数えるほどしかいないんです。だから『あと1年』と言われても、この先生には無理でも、ほかではそうじゃないのではと疑ってかかるべきです。 ATLは東京のがん専門病院ではお手上げでしたが、九州がんセンターでは『ああATLね』なんですから」


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