乳がんになって、生きることの大切さを知りました 40年を経て新しい形で復活を遂げた「三人娘」の今を語る歌手・園 まりさん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年6月
更新:2018年9月

副作用を和らげた健康法

写真:園まりさん

手術後はホルモン療法と放射線療法の併用で再発を抑えていくことになった。ホルモン療法は術後ひと月ほど経った時期から開始され、5年間投与が続くことになる。放射線は3月開始で25日間連続で照射が行われる予定になっていた。

その線に沿って、まずアロマターゼ阻害剤(園さんの場合はアリミデックス)の服用が始まった。ホルモン療法が始まると代謝が悪くなるなど、さまざまな副作用が出る。園さんには手足のむくみ、ムーンフェイスといった副作用が現れ、指が太くなって指輪が入らなくなった。これらの副作用を園さんはいくつかの健康法を併用することで少しずつ乗り越えていった。

「自分では岩盤浴に毎日のように通って毒素を出し続けたのがよかったんじゃないかと思っています。明日葉の青汁も効果がありました。私、元々むくみやすい体質なんですが、足のむくみはこれでずいぶんよくなりました。知り合いに話したら、明日葉をいっぱい送ってきてくれたんで、おひたしだけでなく、味噌汁に入れたり、炒めたりしていろいろ試しましたが、どれも美味しくて食が進むのでお勧めです」

アロマターゼ阻害剤の投与が続くと、骨密度の低下で骨粗鬆症のリスクが高くなる。この予防のために園さんは、カルシウム単独のサプリではなく、カルシウムの吸収をよくする亜鉛、マグネシウムを含んだサプリを摂取しているという。

ホルモン療法を開始すると、こうした肉体に及ぼす副作用だけでなく、不安、イライラなど精神に及ぼす副作用も出ることが多い。園さんの場合も、鬱になるところまでは行かなかったものの、不安心理やイライラが募り、精神的にかなり不安定な状態に陥った。

園さんを不安にしていたのは、手術のダメージやホルモン療法の副作用を乗り越えて、歌手としてやっていけるかという、自分の存在意義そのものに対する不安だった。それは復帰後初めてステージに立つまで脳裏を離れなかった。

溢れ出した感謝の思い

手術後初めて歌うことになったのは手術から40日後の3月4日、まだ深い雪に覆われた青森でのことだった。その日は朝丘雪路さん、辺見マリさん、千昌夫さんらと共演することになっていたので、うまく歌えるか不安だった園さんは、リハーサルが始まる前、共演者1人ひとりに「実はこういう病気で手術を受けたばかりなので、ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします」と挨拶をしてまわった。

「園まり」という名前を聞けば誰もが真っ先に思い浮かべるのが、あのビブラートの効いた囁き唱法だ。声はいわば園さんの生命線。ゆえに不安が大きかったのだが、結論から言えばそれは杞憂に終わった。

「��番でいざ歌い出したら、自分でもビックリするくらい声が出たんですよ、ワーッと響き渡る感じで。歌っていて以前より腰のあるしっかりした声になっている感じすらしました。歌い終わった後は涙が止まらなくて。あんな気持ちになったのは長い芸能生活でも初めてのことでした。がんにならなかったら、あんな気持ちになることはなかったと思います。ステージのオープニングは歌い手たちが客席からバーッと出て行くんですが、あのときは、込み上げてくるものがこらえられなかった。とにかくありがたくてありがたくて。自分からお客さんたちに握手を求めていました。あのときのことは一生忘れません」

その後間もなくホルモン療法と平行して放射線療法も25回の予定で開始されたが、こちらは顕著な副作用は出なかった。そのため4月に行われた毎年恒例のバースデー・コンサートも無事乗り切ることができた。

「バースデー・コンサートをやったときは放射線照射が後半に入っていたのですが、自分でも驚くくらい副作用がなくて、バースデー・コンサート当日も午前中に放射線照射を受けてからリハーサルと本番に臨みました。両方合わせると3時間以上立ちっぱなしで歌とトークとアクションをこなしたのですが平気でした。放射線を照射したところにできる大きな黒ずみも岩盤浴で毎日汗を流したこともあって、半年後には気にならないほど薄くなっていました。ですから秋に旅番組で、ゆかりさんと2人で秋田県の温泉を訪ねる企画が来たときも躊躇なく受けることができたんです。一緒にお風呂に入ったときも、黒ずみがわからないくらい薄くなっているので、ゆかりさんが驚いていたほどです」

新たな気持ちで生き直す

手術から15カ月が経過した今、園さんは、がんは悪いことだけではないとの思いが強くなっている。

「この病気は、私にとって人生の総括のように思えます。がんになれば、否が応にも人生はいつまでも続くものではないと意識させられます。それによって私自身、新たな気持ちで生き直すことができた気がしています。ホルモン剤を飲み始めたころだったと思いますが、立ちどまって何のために歌手になったんだろうと考え込んでしまったんですよ。ずいぶん自分を責めたりもしました。私は傲慢だったんじゃないか、チヤホヤされて何もわかんなかったんじゃないかって。そうやって思い悩んだ末に行き着いたのは、自分が病気で経験した思いも含めてこれまでのすべてを歌に乗せて、お客さんとどんどん近くなっていけばいいんじゃないか、という結論でした。そういえば、以前はかなり人見知りだった私が、人と話すのが大好きになりましたね。人と話すのが好きになると、なんていうか、自分が『園まり』じゃなく本名の『薗部毬子』にどんどん近くなっていく気がするんです。これもがんになったおかげのように思います」

園さんは再発のこともあまり意識していないという。それは、絶対再発しないという根拠のない思い込みから来ているものではない。たとえ再発しても病気と向かい合いながら、最大限できることをやっていけばいいという思いがあるから、再発をそれほど怖れなくなったのだ。

そう思うようになったのは中尾ミエさんの一言が大きかったようだ。

「『私たち、3人とも体のパーツが1つ1つ壊れていく年代なのよ。でも、怖くないよ、医学がどんどん進歩しているんだから』って励ましてくれたんです。いいこと言うなと思いました。芸能人生の始まりでたまたま一緒になってスポットライトを浴びた3人が、40年後にまた一緒になって、なんでも自然に言い合える関係なったことが、すごく嬉しいです。今では私、何かあるとすぐ2人に電話するんですよ。今年も9月に「三人娘」を復活させて全国を回りますけど、今からとても楽しみです。何よりいいのはお互い年輪を重ねて喜びも悲しみも分かち合えるので、気を遣わず何でも言えることです。だから一緒に居てストレスがたまらないし楽しい。きっとミエちゃんもゆかりさんも、これをできるだけ長く続けたいと願ってると思いますよ」

三人娘の間には、体のパーツが1つ2つ壊れても、それをカバーし合う絶妙のコンビネーションができあがっている。そして、これから先も、三人娘の人生のツアーは続いてゆく。


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