悪性リンパ腫と共に1年、今語る結婚、絆、そして私の役割 元宝塚歌劇団トップスター・愛華みれさんを突如襲った試練とは
「痛い」と言えなかった


ホジキンリンパ腫の治療法はほぼ確立しており、4種類の抗がん剤を組み合わせたABVD療法が基本となっている。治療は2週間ごとに1セットで、計6セット。愛華さんは1セット目の治療を受けたとき、全身の血管が激痛に襲われたが、ナースコールを押すことができなかった。
「宝塚時代、バレエのレッスンなど体にきついことをずっとやってきたし、忍耐力が半端じゃなく鍛えられていますから。どのくらいの痛みで『痛い』と言ったらいいのかがわからない。だからずっと我慢していました。その日の夜、同じ治療を受けてる女の子が痛さのあまり絶叫したらしく、夜中に看護師さんが私を心配して覗きにきたんです。目があった瞬間、『痛いんでしょ?』『はい』『ごめんね、気づいてあげられなくて。痛いって言っていいのよ』。その瞬間、ボロボロ涙が出てきました」
結局、拒否反応が激しく、抗がん剤を血管から入れる方法は無理ということで、2セット目からはカテーテルを使うことになった。入院中、愛華さんは、自分はなぜがんになったのか、を自身に問いかけるようになる。
「私は母に依存していたので、3年前に母を亡くしてから精神のバランスを崩し、寂しいとか、誰からも愛されていないとか、ネガティブな思いに捉われていた時期がありました。そして病気にでもなれば、もっと人が注目してくれる、気にかけてくれるんじゃないかという思いが、深層心理に潜んでいた。そのことに気づき、不思議なくらい腑に落ちたんです」
さまざまな検査や治療を通して、愛華さんは自分が暗示にかかりやすいことを実感していた。
たとえば「CT検査をしたら何万人に1人の割合でこういう症状が出る」という文章を読むと、必ずその症状が出てしまう。あまりにもそういうことが度重なるので、先生方にお願いして、同意書や解説文を読まないことにしたそうだ。
「私は女優だから思い込みで血も吐けるんです、と先生に説明したら驚かれました。そのくらい“思い”が形になってしまう。そんなこともあり、自分が病気を引き寄せたのではないかと思うに至ったわけです。そして実際に病気になって初めて、いかに自分が甘えたことを考えていたかを知りました。私の心と頭はカビてる……これを取り除こう。そして自分の力で病気を治すんだ! って」
それまでは小さなことを気にしてストレスを溜めていた。それも今後一切やめよう、楽し���ことだけを考えよう、愛華さんはそう決めた。そして入院中も、パジャマは着なかったという。
「パジャマを着たら病人になると思ったので。ジャージーを着て歩いてたら、看護師さんに『トレーニングですか?』と(笑)。癌研有明病院の窓からは東京タワーもレインボーブリッジも見えて、景色がすばらしい。私は今リゾートホテルにいるんだ、と思い込むようにして、絵を描いたりして過ごしました。
ただ抗がん剤の副作用で吐き気が激しい日もあります。食事は、あらかじめ1週間分のメニューを注文するのですが、治療のきつい日に、それを忘れてカツ丼を頼んでいたことがあったんです。でもここで食べなかったら自分に負けると思い、バクバク食べた。空っぽの丼を見て、食器を取りに来た方がびっくりして、走って先生を呼びに行ったほど(笑)。病院にいて気づいたのは、明るいがん患者と暗いがん患者がいる、ということ。私は思いっきり明るかったみたい。退院後、抗がん剤治療で通院していたとき、担当医が『次に待ってる患者さんが、次回もあの人の後がいいと言ってましたよ』と。私の笑い声が聞こえて、気持ちが明るくなると言ってくれたんですって」
主治医からのメール
ホジキンリンパ腫は、腫瘍の発生が少数のリンパ節に限られており、転移していく部位の予想がつく。そのため2セット治療をし、経過がよければ、通院での治療が可能だ。愛華さんも3セット目からは、通院に切り替えた。そして8月に予定されていた舞台「シンデレラtheミュージカル」に予定通り出演することを自ら決め、7月から稽古に参加した。
「抗がん剤のサイクルで体がどんな状態になるかが、だんだん自分でもわかってくるんです。1週目は人に会える状態ではないけれど、2週目は大丈夫だとか。振り付けを録画したものを送ってもらい、家で見て覚えて、台詞も覚えて、体調を見て稽古に参加する。不思議なことに、舞台に出ると決めてから、検査の数値がどんどんよくなったんです。これには先生も驚いてました。舞台がなかったら、放射線もあれほど頑張れなかったと思うし。絶対に舞台に出たいから、治療に行っても元気ぶる。すると先生は、白血球の数値にあまり捉われず、『今回は重いかもしれないけれど、大丈夫だね。よし、やろう』と言ってくださる。多少無理をしても、そこに体と気持ちを追いつかせて、上へ上へ持っていったという感じでしょうか」
とはいえ、どんなに気持ちを盛りたてても、体が追いつかないことも何度もあった。
「本当に出演できるのか、不安になった時期もありました。日にちは迫るし、副作用で立ち上がれないときは、こんな人間が舞台なんてできない、と落ち込みました。そんなとき明星先生からメールが来たんです。『チケット、ゲット!』って(笑)。『主治医がチケット買ったなら、私、大丈夫なんだ』と、急に勇気が出た。そしたらなんと、痛みもぐっと和らいだんです。暗示の力ってすごいですね」
1日2回公演で、1回目の公演は11時から。その前に放射線治療を受けてから舞台に立つ日もあった。放射線の影響で咳がひどく、舞台の袖でギリギリまで咳込んでいても、舞台に出た途端、奇跡のように咳が止まる。強い“思い”が、愛華さんを支えていた。舞台を見に来た明星先生は、「よくここまでやった」と泣いてくれたそうだ。
「実は一時期、舞台もそんなに好きじゃないんじゃないかと、ちょっと奢っていた時期があったんです。でも改めて思いました。あぁ、こんなに私は舞台が好きだったんだ、と。再び舞台に立てて、本当に幸せでした」
恋愛を超えた絆

今年1月1日、愛華さんは都内でスポーツ治療院を開業する男性と入籍した。元旦の結婚報道が記憶に新しい。ちなみに1月1日は、亡くなったお母様の誕生日だ。お相手の方は宝塚時代からの知り合いで、ご家族ともずっと親しくしてきた間柄。おつきあいが始まったのはお母様の死後、先方のご両親の勧めもあってのことだった。
実は愛華さんがしこりに気づいたのは、結婚へ向けて身内の顔合わせをした日だった。その日だったから、家族が一所に集まっていた。だから、兄や姉が病院に行くことを強く勧めた。愛華さん自身、結婚する以上は1度身体を調べてもらおうと思い、検査を受けた。
「病気がわかった時点で、結婚はお断りしようと思いました。そしたら、『そういうときだからこそ、僕が必要なんじゃないか』と逆に怒られ、入院中に彼のマンションに引越しまでさせられた(笑)。公演中も、まるでマネージャーみたいに毎日付き添ってくれて。一緒に病気を乗り越えたから、恋愛を超えた絆が生まれたんだと思う。あのまま何事もなく流れのままに結婚していたら、少なくとも今の2人ではなかったと思います」
がんという病を得たからこそ、見えてくることもある。愛華さんは「景色が変わった」と表現した。
「治療中は、朝日を見ることがありがたかった。『今日も私は生きてる。お陽様さまって、こんなにありがたいんだ』って。それまでは、寝坊して気づいたらお昼なんてことも多かったですけどね。今は、1日1日がとても大切で、太陽に向かって今日は何をしようかしら、と話しかけてます。今まで話したこともなかった町の人たちと『今日も雨ですかねぇ』なんて語り合うようになったし、お布団を干したり洗濯をしたり、普通の生活が愛おしくなりました」
病気をする前と後で、何が変わったか。その問いに愛華さんは少し考え、「実は……」と語りだした。
「私は鹿児島の田舎で、未熟児として生まれました。保育器が2つしかない町で、2つとも使われていたのですが、1人の赤ちゃんが亡くなったために私は保育器に入ることができた。小学校6年のとき、母からその話を聞かされ、『その子のおかげであなたの命が助かったのよ。その子の分まで生きなさいね』と言われました。病気になってそれを思い出し、『あぁ、私は生かされているんだ』と心の底から実感しました。もしかしたら助からなかったかもしれないのに、いろいろな人、いろいろな力に助けられて、生きているって」
生かされたからには、自分が果たさなくてはいけない役割があるのではないか。最近、そう強く感じる――弾けるような笑顔で、愛華さんは力強くそう語った。
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