がんと闘うのではなく、がんと共存して生きたほうがいい “ニュースの職人” 鳥越俊太郎さんが自らのがん体験を赤裸々に語る

取材・文:江口 敏
撮影:板橋雄一
発行:2009年1月
更新:2018年9月

手術の夜に味わった猛烈な震えの恐怖

写真:鳥越さんの見舞いに訪れた弟さんとお母さん、娘さん
鳥越さんの見舞いに訪れた弟さんとお母さん、娘さん

次の瞬間、「鳥越さん、鳥越さん」という呼び声が聞こえた。3時間半が経過し、いつの間にか手術は終わっていた。次第に意識が戻ってくる。「あなたの名前は?」、下の娘さんの声が聞こえた。

「まだ頭が朦朧としていましたが、私は天の邪鬼ですから、普通に答えたくないんです。それで酸素マスク越しに、アホ……アホ……と答えたら、大笑いになりました」

その後、ナースステーションの前の部屋に運ばれ、身体中に管を付けられた状態で寝かされていると、こんどはスピーチセラピスト(言語聴覚士)をやっている上の娘さんが、覚醒度を確かめたかったのであろう、「今日は何月何日?」と訊いてきた。ここでも単純に「10月6日」と答えたくなかった鳥越さんは、「オクトーバー・シックス」とかっこよく英語で決め、家族を微笑ませた。

夜の10時を過ぎると、家族は引き揚げた。鳥越さんは暗いベッドに1人残された。硬膜外麻酔が入っているから、痛みはなかったが、身体を動かすことができないために、何となくだるく、つらかった。

午前3時40分だった。突然、猛烈な震えに襲われた。歯がガチガチ鳴り、口から「ウゥーッ、ウゥーッ」とうなり声が出た。鳥越さんは恐怖のどん底に落とされた。たまたま見回りにきた看護師に、「震えが止まらないんだけど……」と助けを求めると、彼女はしれっとして、「術後にはよくあることです」と言って去って行った。震えは30分ほどで収まったが、鳥越さんとしては納得がいかない気持ちもあった。

「手術後は、体内温度と表面温度がずれていることがあり、震えによって表面温度を上げて、体内温度に合わせようとする生理的な現象が起きるというわけです。しかし、そんなことは前もって説明されていないとわかりませんよ。恐怖に脅えてから、術後によくあることだと言われてもね」と、鳥越さんは憮然たる表情で語る。

医療側と患者の間には大きな溝がある

写真:時計のバンドをこのように口にくわえたと実演してみせる鳥越さん

時計のバンドをこのように口にくわえたと実演してみせる鳥越さん

鳥越さんが受けた手術は、腹に4カ所の孔を開け、そこからカメラや手術器具を入れて行う腹腔鏡下手術だった。手術中、胃から腸に分泌液が流れ込まないよう、胃管を入れて液を吸い上げる。分泌液が出ないようにする注射もする。だから、手術後、「口が渇くということは、こんなに苦しいものなのか」というほどのつらさを味わった。「あのつらさは経験した者にしかわかりませんよ。看護師さんもわかってくれない」と言う。

看護師がたまにうがいをさせてくれるが、3分も経つと、また渇いて喉がヒリヒリしてくる。しかも、カラカラに乾いている喉に胃管が触れると痛い。何度も看護師の手を患わせるのも申し訳ないと遠慮し、鳥越さんはひたすら耐えに耐えた。

しかし、苦しい。何とかならないかと悶々としているとき、ふっと、人間の口は異物を入れると唾液が出てくることに思い至った。指を噛んでみた。唾が出た。布団の端を噛んでみた。唾が出た。と、枕元の腕時計が目に入った。その皮バンドを噛んでみた。唾液が潤沢に出てきて、とても楽になった。

鳥越さんは腕時計をはずし、バンドを噛んで見せながら、「巡回にきた看護師さんが、腕時計のバンドを口にくわえている私を見て、気が狂ったのではないかと、びっくりしたんじゃないですかね」と、子どものように笑った。

鳥越さんは1回目の手術について、「手術そのものは問題はないし、術後の痛みもありませんが、手術前の下剤や浣腸の苦しさ、術後の震えや喉の渇きといった予期せぬつらさには、さすがの私もまいりました」と総括する。

退院する際、看護師から「何か言い残すことはありませんか」と話しかけられた鳥越さんは、「あるよ」と言って、次の3点を指摘した。

(1)医療側には感謝しているが、医療側と患者の間には、どうしても深い溝がある。術後の震えの恐怖、喉の渇きのつらさは、患者の立場になってみないとわからない。

(2)患者が手に付けるプラスチックのケースに入った患者カードは、角がとがっていて手に当たると痛いから改善してほしい。

(3)術後に腹に巻く腹帯がヒモで結ぶ形になっているが、いちいち結んだり、ほどいたりしなくてはならない。マジックテープにしたらどうか。

患者カードに関しては、その後、腸閉塞になりかけて入院したとき、角が丸く改善されていて、鳥越さんは納得した。

「腸閉塞の1歩手前」で退院の翌日に再入院

鳥越さんが退院したのは、手術から12日後だった。主治医はもっと早く退院できると言ったが、鳥越さんが「もう1日、もう1日、いさせてください」とねばり、切りのいい金曜日に退院した。その間、腸の回復にしたがって、重湯から5分粥、5分粥から全粥へと、食事も格上げされた。しかし、小腸がぜん動を始めると、予想もしなかった猛烈な痛みに襲われた。

「ぜん動痛といって術後に起きる症状で、病気ではありません、と言われて、痛み止めをうってもらいましたが、夜も寝られないほど痛かった」と鳥越さん。退院して自宅に戻るタクシーの中では、「痛い、痛い」とうめいていた。「こんな痛い思いをしながら、退院して大丈夫だろうか」と不安を感じたと言う。

退院するとき、主治医から「術後5年ぐらいまでは、腸閉塞の可能性がありますから、注意してください」と言われた。自宅に帰ると、いくつものテレビ局から取材依頼の電話があった。仕事柄、取材拒否するわけにもいかないので、ひととおり対応した。

翌日、朝はヨーグルトを食べた。昼食の時間だが食欲がない。しばらくして、吐き気に襲われ、全部戻した。主治医から「便通がないとき、吐き気がするとき、嘔吐したとき、これは腸閉塞に伴う現象ですから、すぐに病院に来てください」と言われていた鳥越さんは、すぐに病院に向かった。

診断は「腸閉塞の1歩手前」で、そのまま1週間ほど入院した。再び絶飲食状態を余儀なくされ、毎日レントゲンを撮られた。ガスが腸を抜けていく様子がレントゲン写真に写っていた。

結局、10月初めから休んでいた「スーパーモーニング」に復帰したのは、11月の初めだった。入院時71キロだった体重は、63キロまで減っていた。鳥越さんは鏡を見て、かなり痩せたことを自覚した。


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