がんと闘うのではなく、がんと共存して生きたほうがいい “ニュースの職人” 鳥越俊太郎さんが自らのがん体験を赤裸々に語る

取材・文:江口 敏
撮影:板橋雄一
発行:2009年1月
更新:2018年9月

最初の手術の1年3カ月後に左肺に転移し、再手術を受ける

写真:左肺に転移したがんの手術後の鳥越さんと次女のさやかさん
左肺に転移したがんの手術後の鳥越さんと次女のさやかさん

退院して2週間後に病理の検査結果が届いた。がんのステージは2Bだったが、他臓器への転移、リンパ節への転移はなかった。鳥越さんはひと安心した。その後、毎月検診に行き、CTやエコーで診察してもらった。左胸に6~7ミリの小さな影があったが、主治医の診断は「何かの痕跡でしょう。大丈夫じゃないでしょうか」だった。

2006年暮れ、主治医は「小さな影がありますが、たいしたことはありません。要経過観察ということにして、正月はゆっくりしてください」と言った。2007年の正月3が日はのんびりと過ごした。

1月4日の夜、くつろいでいるところへ、消化器外科部長から突然電話が入った。「明日の朝、来てください」。「何だろう?」。翌5日、病院に行き、呼吸器外科の医師に検査してもらった。医師は「ちょっと怪しい」と洩らし、「形、大きさから言って、悪性のがんです」と言われた。覚悟はしていたので「ああまた手術か」と思っただけだった。

左肺に2カ所のがんが見つかった。直腸がんが左肺に転移していたのである。ただちに1月11日入院、15日手術と決まった。この年は4月に東京都知事選が行われることになっていた。鳥越さんは民主党から立候補を打診されていたが、その気はまったくなかった。第一、肺転移で選挙どころではなかった。それはまさに「出るべきではない」という天の声だったのかもしれない。民主党は病室にまで電話をかけてきたが、鳥越さんは丁重に断った。

こんどは視聴者には一切公表しなかった。というのも、「実は前年のクリスマスに、いとこが大腸がんで亡くなったばかりで、年老いたおふくろに余計な心配をかけたくなかった」からである。年老いたお母さんの前では、一流ジャーナリストも1人の息子である。鳥越さんは、冬休みを取るという形で「スーパーモーニング」を休み、手術に臨んだ。

胸腔鏡下手術は35分ほどで終わった。摘出したがんの組織は、ホルマリン漬けにしてある直腸がんのそれと同じだった。15日の月曜日に手術をし、19日の金曜日に退院した。土・日は自宅で静養し、22日の月曜から、何食わぬ顔でテレビに復帰した。

限りあるいのちを自覚し自然がいとおしくなった

写真:「何気なく見過ごしていた自然が、ものすごく身近に、いとおしく感じられるようになりました」

「何気なく見過ごしていた自然が、ものすごく身近に、いとおしく感じられるようになりました」

しかし、入院して手術をすると、いかに10日あまりの短期間でも、白い病人の顔になる。普通の顔でテレビに戻りたいと思った鳥越さんは、何かいい手はないかと思案した。そこで思いついたのが日焼けサロンだった。自宅で静養していた土・日の2日間、知り合いに紹介された日焼けサロンで、15分ずつ2回、顔を焼いた。鳥越さんは鏡を見て、そこそこいい色に焼けたと思った。

「月曜日にスタジオに入ると、私が入院して手術をしてきたことに、誰も気づかなかった。冬休みを利用して、グアムかサイパンにでも遊びに行ってきたと思われたんじゃないですか」

左肺の手術から半年後、右肺の手術を行った。手術後にわかったことだが、それは良性だった。今また、左肺に2~3ミリの小さな白い影がある。まだ大きくなっていないが、主治医は「5ミリを越えたら手術します」と予告している。

こうしてみると、ここ数年、鳥越さんががんとともに生きていることがよくわかる。しかし、鳥越さんは決してがんを恐れてはいない。「診察は毎月やっていますし、がんはいきなり転移するわけではありません。転移に対して気持ちが慣らされてきて、心の準備もできます」と言う。

最初、がんを覚悟したとき、カメラを回して記録を撮ろうと決断したことに象徴されるように、鳥越さんには自分自身をも客観視しようとする、一種のジャーナリスト魂とでも言うべき視座が身についている。だから、がんとわかったとき、「それまでは、がん患者さんの話は聞けても、患者さんの心の奥底は理解できなかった。それが、自分でがんを体験できるとわかり、興味津々でした」と、真正面から受け入れることができた。

そして今、鳥越さんはそのジャーナリスト魂を背景とする視座の上に、もう1つの新たな視座を重ねようとしている。

「がんとともに生きるようになって、物の見方が変わってきましたね。がんになると、5年生存率はどうだとか、がんイコール死だとか、いろんな雑音が入ってきます。しかし、人間のいのちには、もともとかぎりがある。がんになって、限りあるいのちということを身をもって考え、いのちの残された時間を大切にすることを考えるようになりましたね。そして、空、雲、山、川、海、木々、花々といった、それまでは何気なく見過ごしていた自然が、ものすごく身近に、いとおしく感じられるようになりました。桜の花がこんなに美しいことを、初めて実感もしました。感性が研ぎ澄まされてくるんでしょうか。そういう気持ちを持てるようになったのは、がんのお陰ですよ」

「以前より体調がよくなり仕事も2倍しています」

最初の手術以来、継続してきた抗がん剤治療は、術後3年を機に解放された。現在は定期的に血液検査、お腹と胸のCT、エコー、腸の内視鏡検査を行っているほか、東洋医学の医師から免疫力を上げる薬を処方されている。

そのほか、体調を維持するために、睡眠をきちんととり、食べ物には人一倍、気を遣っている。青み魚、有機野菜、十穀米、たまに鶏肉、豚肉……。「私はもともとグルメではありません。戦後の食糧事情の悪い時代に育っていますから、ご飯に味噌汁、たくあん、高菜の漬け物、それにアジの開きでもあれば、最高のご馳走です」と言う。毎日飲んでいたビールはやめた。最近は、ワイン、日本酒をごくわずか口にする程度だ。

体力維持のために、毎日スクワット100回、励行している。ひと頃、よくけつまずいて転んだ。人間は足から衰える。腿の筋肉を鍛えなければと思い、それまでの腹筋運動からスクワットに切り替えた。シャワーを浴びたあと、自宅であろうと、ホテルであろうと、外国であろうと、生まれたままの姿で100回、スクワットを行う。

暇があれば朝、2時間の散歩も欠かさない。遅くとも5時までには起き、自宅周辺を歩く。歩き終わったら、道の途中にあるスターバックスでコーヒーとドーナツ1個を食べるのが楽しみだ。

鳥越さんにスケジュール表を見せてもらうと、新たに書き込む余白がないほど、びっしり書き込まれている。「がんになってから、それまでより2倍ぐらい働いていますよ。以前は1日に2~3件仕事をすると疲れていましたが、最近はそういうことはありません。手術前より身体は丈夫ですね」と意気軒昂である。

仕事に邁進しているだけではない。残された時間を家族と有効に使うためにシャンソン歌手の娘さん、その夫のギタリストとともに、全国各地でコンサートを行っている。第1部が鳥越さんの講演、第2部が娘さん夫婦と鳥越さんを交えてのコンサート。各地で盛況が続き、鳥越さんはますますパワー全開である。

最後に鳥越さんはしみじみと言った。

「私も最初は、がんと闘おうと思っていました。しかし、今はがんと共存して生きたほうがいいと思うようになりました。がんになったからといって、くよくよしてもしょうがない。残されたいのちを有意義に、楽しく過ごそうと思っています」


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