今日がいちばん楽しい日。けれど、いちばんつらい日でもあるんです 再発の不安を抱え、「がん友」に支えられながら、合唱団を結成したタレント・山田邦子さん
回を重ねるにつれ出てきた放射線の副作用

6月下旬から始まった、30回におよぶ放射線治療。
邦ちゃんの場合は、がんが3カ所もあったので、照射の設計図は複雑なものになった。
それでも初めの頃は、無味無臭で治療時間もかからないため、帰り道に銀座でショッピングを楽しむ余裕があった。しかし回を重ねるにつれ、照射跡が赤くただれだし、体も1日中だるいと感じるようになった。
「照射の回数が多くなると乳首が焼けてもげちゃうような感じがして、マジに(乳首に)蓋をしてくれないかなあと思いました。痛痒い感じがすごくて、掻きたいんだけど治療中は掻けないし、つらかったですね。気分がたまらなく悪くなったのは、22回目が過ぎたあたりからでした。仕事に出かけると、終わって家に着いた途端グターッとなっていました。そんな状態ですから食事も喉を通らなくて、大好きなスイカばかりを食べていました。見かねた主人が『いろんなことにはりきりすぎ。最後の5回は治療に集中することだけ考えろ』って言ってくれて。最後の5回は、主人が病院までの送り迎えをしてくれてありがたかったですね」
こうして放射線治療を終えることができた邦ちゃんは、少し間を置いてから、今度はホルモン治療に入った。
ホルモン療法を始めると、程度の差こそあれ、ホルモン剤特有の副作用が出ることが多い。しかし、邦ちゃんの場合、顔面紅潮、発汗、目の異常、吐き気などといった、よくあらわれる副作用は出なかったという。
また、ホルモン療法は子宮体がんのリスクが高くなるため、体がんの検査を定期的に受けなくてはならない。その痛さ、つらさはマンモの比ではなかった。加えて子宮の機能が悪くなるため、子宮のまわりに異常が起きやすくなる。邦ちゃんも、検査で子宮左右に大きな水腫ができていることがわかった。

また、不正出血も時々あり、どす黒い血のかたまりのようなものが出るので、そのたびに検査を受けているという。
このように、がん再発の不安は1日たりとも離れることはなかった。それでも、お笑いタレントという存在の邦ちゃんは、仕事では常に明るく元気に振舞い、不安という恐怖は胸にしまいこんでおかなければならない。それでも邦ちゃんが、治療と並行して元気に芸能活動を続けることができたのは、ファンの励ましと、がん仲間の支えがあったからだ。
「がんを告白してから、全国のファンの方から励ましてもらったり、お手紙をいただいたりするんです。もう、声を出してみんなの前で読みたくなるような、心のこもったお手紙がたくさんなんですよ。こういうことをしてもらえる自分は、本当に幸せだと思いました。それと、乳がんを経験している方たちと、交流できたことも、精神的に大きなプラスになりました。患者同士で話せば、揺れる心は誰だって同じだっていうことがよくわかるし、悩みを話して笑い飛ばせば、心のギアを入れなおすこともできますから」
がんへの理解を広めるため「スター混声合唱団」を開始

心にしみる励ましをくれたファンや、がん仲間の支えもあって、2008年春、手術からまる1年が経過した。それを機に、邦ちゃんは自分が言い出しっぺになって、がんへの理解と知識を広めるため、ユニークな活動を開始した。『スター混声合唱団』(スタコン)である。
「聖路加国際病院の日野原重明さん(理事長)と対談したとき、落ち込んだり、不安になったときは、歌を大きな声で歌うのがいいよ、と言われたんです。先生も小さい頃、病気になって入院したけど、歌に助けられたそうで、今でも子供たちに教えていらっしゃるんですね。そのときの経験があるので、あなたも、やってみたらどうかとおっしゃるんですよ。『合唱団を作りますから、先生が作曲した曲を覚えたら、指揮していただけますか』って水を向けたら、快諾してくださったので、合唱団作りが始まったんです。手弁当で、がんに対する理解を深めるためにやる完全なボランティア活動ですから、どれだけ集まるか不安でしたが、初めからけっこう手ごたえがあったんで、嬉しかったですね」
団長、邦ちゃんの呼びかけに、たちまち30人近い著名人が応じた。その中には鳥越俊太郎さん、倍賞千恵子さんら、がん体験のある著名人だけでなく、夫や両親をがんで失いつらい経験をした人、合唱団の主旨に賛同する人なども含まれていた。
さっそく2008年4月1日に結成会見が行われ、5月1日には東京・目白のフォーシーズンズホテル・椿山荘でディナーショー形式のデビュー公演が開催される運びとなった。
このデビュー公演では、ステージで『手のひらを太陽に』『翼をください』などが歌われたあと、最後に邦ちゃんが会場を見回し、「みなさんと心を1つにして歌いたいので、その前に、全員で心を1つにしましょう。隣の人と手をつないでください。今日は隣の人のぬくもりを感じながら1つのことを祈りましょう」と呼びかけた。
合唱団のメンバーと観客が大きな1つの輪になったところで『見上げてごらん夜空の星を』が全員で唱和され、感動的なフィナーレを迎えた。
その後もスタコンは当初の目標どおり毎月1度必ず公演を行っており、7月には収益の寄付活動も開始している。8月にはメンバー有志が伊豆の伊東に集まって合宿までやる熱の入れようで、9月末には聖路加国際病院にメンバーが集合。大勢の患者さんを前に熱唱し、小児科に寄付もできたという。
がんを背負いながら生きていく時代

山田邦子さんの新刊
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主婦と生活社
この「がん友連合」による著名人の合唱活動は、2つの意味で大きな意義がある。1つは、がんに対する意識が相変わらず低い日本のマスコミや芸能界に意識革命をもたらす大きな力になると思われることだ。
「いまだにマスコミも芸能界もがんに対する意識は昔のまま、『がん=死』。最後は死んじゃったという話が好きなんです。でも、今は21世紀。がんを背負いながら生きていく時代です。アピールするには、がんを背負いながら元気でやっている人間が大きな声で歌うことがいちばんなんです」
もう1つの意義は、社会に大きなムーブメントを起こす上で不可欠なセレブリティ(有名人)が、積極的にその役割を担いだしたという点だ。
アメリカでは、がん撲滅が社会全体を巻き込んだ大きな大衆運動に発展しているが、それが可能になった1つの要因は、ハリウッドやプロスポーツ界のスターが積極的に広告塔になる、という役割を果たしてきたからだ。日本でも、その役割を担うセレブリティの集団が出現したことは画期的なことと言っていい。今後も、合唱団はお手ごろな値段で公演を開催する予定なので、日頃テレビで見ているスターたちと輪になって歌ってみたい方は、1度行ってみたらどうだろうか。
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