がんは、私を成長させてくれる賢者なんだと思っています 小児時代に卵巣がんで入院生活を送り、「音楽」という表現方法に出逢った天使の歌声、シンガーソングライターのより子さん

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2008年12月
更新:2019年12月

20年後、今度は左側に卵巣腫瘍が見つかる

写真:ワンマンライブ「よりスタ」
ワンマンライブ「よりスタ」
写真:森山良子さん主催の小児がんチャリティーイベント
森山良子さん主催の小児がんチャリティーイベント

その後、より子さんはラジオ番組『オールナイト・ニッポン』でインディーズアーティストとして異例のパーソナリティをつとめたり、東芝EMIからメジャーデビューを果たすなど、順調に活動の枠を広げて忙しい毎日を送っていた。

しかし、2005年の12月頃から、体に異変を感じるようになった。

「だるいし、疲れやすいし、熱がこもる。イライラもありました。最初はお腹が張った感じがあったので、便秘だと思い、市販の便秘薬を服用してたんです。でも、効かないから、よけいストレスが溜まる感じでした。そのあと、お腹だけ膨らんで、肩のあたりは元のままなので、メタボだと思って、ロデオボーイを買ってやってみたけど、ただ気持ち悪くなっただけでした。こりゃあ、違うなーって思いました」

4月に入るとお腹はますます膨らみ、中旬になると苦しくてたまらなくなった。アルバム『second VERSE』を発売したばかりで4月29日から全国ツアーに出発することになっていたが、そんな体ではハードなスケジュールをこなすことはできない。不安になったより子さんは、CD制作をアレンジャーとして支えてくれている中村さんに電話をして、お腹の具合が悪いことを伝えた。中村さんに伝えたのは、中村さんの奥さんのお母さんが、より子さん宅の近所の病院に勤務していて、何かあったら来るように言われたことがあったことを覚えていたためだ。

「中村さんが、すぐクルマで迎えに来てくれたんですよ。家も近いし、たまたまその日は仕事が入っていなかったんですね。奥さんのお母さんが勤めている病院に行ったら、年配の先生がすぐ触診してくれたんだけど、触診だけで微妙な顔をしてるんですよ。先生から『これはねえ、もう便秘とかそういう話じゃないから、今すぐ大きな病院に行きなさい』と言われたんです。卵巣がんはかなり時間がたってから、また出ると聞いてたんで、来たーって思いました」

より子さんは、そのあとすぐに小さい頃卵巣がんの治療を受けた病院に電話をかけて、20年前にお世話になった医師の名前を告げた。もうその医師と��長い間会っていなかったので、まだ勤務しているかどうか不安だったが、幸いまだ在勤しており副院長に昇進していた。

「その先生につながったんで、こういう症状が出ていて、近所のお医者さんにこう言われたとお話したんです。そしたら、すぐに来るように言われたんで、中村さんのクルマで病院に行って婦人科で検査を受けたんです。エコーを受けたんですが、お腹がパンパンに張って苦しかった理由はすぐわかりました。卵巣に腫瘍ができ、腹水がたくさん出ていたんです。それが大量に出たものだから、お腹が張って苦しかったんです。腹水で胃も潰れたようになっていたので、先生は『これでよく食事ができましたね』って驚いていました」

ひと通り検査が終わったあとでより子さんは主治医の若い女医から、左の卵巣にある腫瘍の手術を受けるよう勧められた。

手術内容を聞くと、左の卵巣を全摘する可能性が高いという。これを聞いて、少し悩んだ。

「2歳のとき、右の卵巣を摘出しているので、左も取ってしまうと子供を産めなくなるじゃないですか。『産めなくなるのかー』って思うとちょっと淋しかったけど、すぐに諦めました。それより、腹水が溜まって苦しかったから、早く手術を受けたいという気持ちのほうが強かったんです」

しかし、手術が終わって麻酔から覚めたあと、より子さんは主治医から、「排卵する機能を持つ部分は残しておいた」と告げられた。残した部分はごく一部だが、卵巣は時間の経過とともに再生する性質があるので、機能が戻れば子供を産むことが可能になるのだ。また、採取した細胞検査により腫瘍は良性のものであったことも判明した。

胸を締め付けられるほど温かいみんなからの「お帰り」

写真:都内看護学校チャリティーイベント
都内看護学校チャリティーイベント。
ピアノの弾き語りで応援!
写真:2008年5月の山口県看護の日イベントのチャリティーライブ
2008年5月の山口県看護の日イベントのチャリティーライブ。
たくさんの人が集まり会場は満席となった

手術のあと、より子さんはホルモンのバランスが崩れ、更年期障害のような症状に苦しむことになる。卵巣の一部を残したとはいえ、女性ホルモンの分泌は、卵巣が再生されるまでは激減する。それを女性ホルモンの投与で補うのだが、それで体が楽になるわけではないのだ。

「術後は生理が2週間に1回くらいのペースで来ていたし、不正出血もあってひどい状態でした。それを女性ホルモンともう1つのクスリで抑えるんですけど、それを投与すると疲労感に襲われてぐったりするんです。つらかったですね。母もちょうど更年期障害が出ていたんで、2人で『だるいわねえ、今日は』『汗が出てきたー』なんて言い合っていました」

このように術後しばらくは、更年期障害に似た症状に苦しんだが、自宅で静養したあと、自身のオフィシャルサイトで復帰を告知し、活動を再開。彼女は行く先々で無事を喜ぶ声に迎えられることになる。

「私の姿を見かけると、いろんな方が走り寄ってきて『より子ちゃん、よかったねー、お帰り』『大丈夫だった? ずいぶん心配したよ』って言ってくれるんですよ。胸を締め付けられるくらいあったかくって嬉しかった。でも、そうやって声をかけてもらって、自分が人にいかに大事にされているか、どれだけいろんな人に支えられているかがわかったんです。自分も人を大事にしていこうと思いました」

成長させてくれるんだったらいつでもウェルカム!

アルバム「願う」 アルバム「願う」
「大切なこと」と「やさしさ」に溢れた3rdアルバム
2008年1月発売
EMI Music Japan
定価3,000(税込)

こうした心境の変化は、曲の作風にも大きな変化をもたらした。

「今年1月に発売したアルバム『願う』は、より子という人の生き方がコンセプトになっていて、今まで自分自身でも書いたことのないような曲ができあがりました。これまでは(音楽で何かを伝えるという)使命感が人を寄せ付けなかったし、いろんな衝突も作っていました。でも、自分1人だけで音楽をやってるんじゃないということがわかったんです」

インターネットで『願う』のレビューを見てみると、『今までになく、あたたかい、やさしい気持ちにあふれているアルバム』『心に沁みる曲、奮い立たせる曲ばかり』『以前は意固地になって自身の中でぐるぐる回っていたが、外にアピールするようになって光が見えてきた』といった変化を肯定的にとらえた声が大半を占める。

写真:より子さん

「もともと持っている『生きる』というテーマ、人生をいろいろな曲に織り交ぜていろいろな表情で伝えていければいいなと思っています」と今後の方向性を語るより子さん

「もう1度病気をしたことで、ファンの人たちとのつながり、つながっていたということがわかりました。今まではがむしゃらに、自分と戦うように歌っていたんです。けれど、「ありがとう」という気持ちが初めて芽生えました。自分のためだけに歌っていた「傲慢な私」から「臆病な私」になった瞬間、それを歌にしたり、人のことが好きになれたり、自分のことを大事に思えるようになりました」

最後に、卵巣がん、卵巣腫瘍と、2度の大きな病気を経験した彼女に、「がんの再発に対する不安はないのか?」と問うと、笑顔でこう応えてくれた。

「がんも自分自身です。最近、私、がんは自分を試してくれる、賢者みたいなものだと思うようになったんです。絶望的な気持ちにもさせるけど、成長する機会、考える機会も与えてくれますから。こんなに成長させてくれるんだったら、いつでもウェルカムという感じです!」

彼女は今後も病院や看護学校でのチャリティーコンサートを続けていきたいという。

卵巣がんで音楽に出逢い、2度めの卵巣腫瘍で成長し、進化した「より子」という唯一無二のシンガーから生まれてくる歌には、22年分の「やさしさ」が表れている。


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