不良患者だから、がんに負けないんだよ! 脳卒中を克服し、さらに膀胱がんにも負けなかったジャズの巨匠・藤家虹ニさん

取材・文●吉田健城
撮影●向井 渉
発行:2008年11月
更新:2019年12月

喫煙室に集まる懲りない面々

写真:藤家さんは始終タバコを吸っていた
取材が長時間にわたったせいもあるのだろうが、
藤家さんは始終タバコを吸っていた

もう1つ、藤家さんの元気の源になっていたのが、当時がんセンターの19階にあった談話室に集まるスモーカー患者たちとの交流だった。

「その部屋は談話室とかラウンジとか呼ばれている10畳くらいの部屋なんだけど、俺たちは喫煙室と呼んでた。そこは、がんになってもタバコをやめられない不良患者のたまり場で、煙もうもうだから、普通の患者は近づかないんだ。だからニコチン中毒者ばっかり。肺がんのおっさんが、車椅子で来てスパスパ、タバコやってんだもん、凄いよねえ」

がんセンターで、タバコが吸える場所はそこしかなかったため、部屋にはいつも同じメンツがたむろすることになり、煙が立ち込める中で、話がはずんだ。

藤家さんもかなり規格外の患者だが、ここに集まる患者は、がんセンターに来てまでも、根性を据えてタバコを吸う筋金入りの愛煙家ばかり。考えることも、やや治外法権的なところがあった。

「不良患者ばかりだから、タバコだけじゃなく、食い意地も張ってるんだ。1度、19階の食堂で、大宴会をやって盛り上がったことがあったねえ。みんないい年したオッサンばかりで、がんになる前はいいもの食っているから、病院食が続くと、どうしても話題は美味しいものの話になる。ある日、茨城に日帰りで行って夕方には戻ってくると話しているオッサンがいたんで、誰かが『2月だし、アンコウ鍋食いたいから買ってきてよ』って言い出したんだ。そしたら、その茨城のオッサン、本当に大洗の美味そうなアンコウを買ってきてさ。これにはみんな大喜びで、食堂のコックに頼み込んで鍋の用意をしてもらったんだ。それだけでは足りないんで、ほかの仲間が、刺身とか、しし鍋の材料とか、オニギリとか、いろいろ持ってきたんで、食堂の隅っこのテーブルは、ご馳走でいっぱい。たちまち宴会になったんだ。仲間には魚河岸でマグロを扱ってる店の旦那もいてさ、そいつが店に電話して『大トロのいちばんいいところを持ってこい』ときたから、刺身は極上だったねえ。ワハハ」

なんとも豪気な話だが、国立がん研究センターは、日本のがん医療の中核をなす医療機関である。ここまで脱線した患者に、何も言わなかったのだろうか?

「がんセンターは、医者も看護師も忙しいから、不良患者のやることには、いちいち目くじらを立てていられないんだよ、きっと。1度、警備員が夜9時ごろに来て『もう、そろそろ時間です』って言うんで��みんな怒っちゃって、『バカ言ってんじゃねえ。ここは11時までオーケーなんだ』って追い返しちゃった。ワハハ」

このようにかなりやんちゃな患者ではあったが、藤家さんはがんセンターにお世話になったという気持ちも強かったので、退院前にホールで行われたコンサートに飛び入り参加して、クラリネットで2曲を演奏し、喝采を浴びている。

藤家さん流不良患者のススメ

写真:藤家虹二クインテットのライブ風景
写真:藤家虹二クインテットのライブ風景
2007年10月29日、東京・銀座SWINGにて行われた
藤家虹二クインテットのライブ風景(撮影=月舘佳則)

膀胱全摘術を受けた患者にとって、何よりも大変なのは退院したあとの排尿管理だが、96年に奥さんに先立たれて1人暮らしをしている藤家さんにとって、これは厄介な問題だった。

藤家さんが受けた、自己導尿型新膀胱造設術の長所は、尿をためる袋を体外につけておく必要が無いため、体の動きや服装の面で不便をこうむることが少ないことだ。

その反面、自己管理は面倒な部分が多い。

いちばん面倒なのは、まったく尿意を感じないため24時間、夜でも起きて一定時間(藤家さんの場合、3時間半)ごとにカテーテルをストーマに差し込んで排尿しなければならないことだ。それ以外にも、カテーテルがないと排尿できないため、どこへ行くにも導尿に必要なカテーテル、消毒アルコール綿と潤滑ゼリーなどを持ち歩かないといけないという不便さが付きまとう。

もう1つ、新しい膀胱は小腸の1部を使って作られるため、腸粘液が出て尿に混じる。それを放置しておくと導尿管が詰まるため、1~2日おきに膀胱の中をキレイに洗う必要があった。

そのうえ、この排尿法は熟練するまでうまくいかないことが多い。

藤家さんの日記を見ると、退院して間もない頃の記述には『大漏らし、大漏れ、悲しい。大洗濯』とある。

それでも投げやりにならずに、演奏活動に全力投球できたのは、クラリネットという自分の分身があったことと、病気のことはけしてくよくよ考えない、がんセンターでの大宴会のような、いい意味での開き直りがあったからだろう。

それにくわえて、まわりの人々の支えも大きかった。

「マネージャーの山田和可子と大山裕美の両名には、ずいぶん助けられているね。
退院してからしばらくは、排尿量を測って全部メモしないといけないんだけど、大山が全部やってくれたから、どれだけ助かったか。3年前に1度、突発性腎出血になり、血圧が70まで下がって立てなくなったことがあったんだけど、そのときも、ヨーロッパから帰国したばかりの彼女が、俺の息も絶え絶えの電話に異変を察知してすぐ来てくれたんだ。あれがなければ死んでいたかもしれない。本当についてるよ、俺は。脳梗塞、がん、突発性腎出血と3つも大病をやりながら、まだ、こうやってクラリネット吹いていられるんだから」

写真:自宅でもクラリネットの練習に励む藤家さん
スタジオだけでなく自宅でもクラリネットの練習に励む藤家さん

最後に、大病に勝つ秘訣は、と尋ねると明快な答えが返ってきた。

「病気に負けるのは、簡単なんだよ。自分で、病気のことを気に病んで、塞ぎこんでしまえばいいんだから。でも、病気なんて、いくら思い悩んでも、なるようにしかならないんだ。なるようにしかならないんだと腹をくくって、自分のやりたいことを、楽しくやる。あとは、野となれ山となれ、でいいんだよ。がんのことをあれこれ思い悩んでいるヤツは、意識改革すべきだな。俺みたいな不良患者のほうが、しぶとく生き残ってるんだからさ」

藤家さんはこう言い切って、クラリネットの練習を再開した。

12月に、藤家虹二クインテット結成50周年のコンサートを予定しているという。藤家さんの頭の中は、すでにそのことで一杯のようだ。


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