度重なる試練を乗り越え、現在も女医として多忙な日々を送る小倉恒子さん 戦場に立って20年。ピンチを切り抜け生の輝きを放ち続ける
抗てんかん薬でしびれ、痙攣が軽減された

講演会で会場からの質問に答える小倉さん
タキソールの副作用でまず深刻な影響が出たのは手足のしびれだった。とくに手のしびれは手先の器用さを要求される耳鼻咽喉科の専門医にとってきわめて厄介な副作用だった。
「手の感覚がないと耳鏡をきつく持っちゃうんです。でも、滑るものなのできつく持つほどズルンと滑ってピョンと飛んでいっちゃう(笑)。小さいものなのでゴミ箱に入ったりするとたいへんです。
1度、ある病院で診察中にそうなったことがあったんですよ。そこは医療器具をすべてリースで、診察後の点検で1つでも足りないと大騒ぎです。皆さんにずいぶん迷惑をかけてしまいました」
小倉さんは手や足のしびれだけでなく痙攣にも悩まされた。
「手がつると指が内側に曲がったまま硬直して動かなくなるんです。しかも痛いんですよ。患者さんの前では痛そうな素振りはできませんから、診察が終わるまで必死で我慢していました。
それと、つるときっていっぺんに何カ所もつるんです。1度ちょっと歩いたあと、椅子に腰掛けたら5カ所同時につってしまい、身動きが取れなくて途方にくれたこともありました」
何とかこの厄介な副作用を緩和する薬はないものかと探し回ったところ、大阪で高名な医師からランドセン(一般名クロナゼパム)というてんかんの治療に使う薬がいい、と勧められ、主治医に処方してくれるよう頼んだ。
しかし、エビデンス(科学的根拠)がないものは出せないと、あっさり拒否されてしまったため、小倉さんはお父さんのルートからこの抗てんかん薬を入手。しかし、たとえ医師でも、知らない薬を飲むことは勇気のいることだ。効かないことのほうが多いうえ、それで具合が悪くなることも少なくない。
結果は吉と出た。ランドセンの服用を始めたところ、しびれや痙攣は大幅に緩和され、小倉さんはこの時点では最悪の状態を脱することができた。
平衡障害で趣味のダンスを諦めた
タキソールの副作用の中でもっともダメージが大きかったのは「平衡感覚の喪失」だった。
「はじめは家の廊下を真っ直ぐ歩けなくなったんです。体をあちこちにぶつけちゃうんですよ。そのうち立ったまま服を着ると、目を一瞬閉じた瞬間、うしろの壁に頭をゴッチーンとぶつけるようになった。これが単なる目眩ではないと確信したのは、風呂場で顔を洗っている際、後ろにひっくり返ったときでした。両目を閉じた瞬間カエルみたいにひっくり返るのは平衡感覚を失った証拠ですから。
主治医にいっても『そんな副作用はないよ』って一蹴されちゃうんです。それで副作用を証明するために30年間���鼻科医として患者さんにやってきたカロリック・テストを初めて患者として受けることになったんです」
カロリック・テストというのは平衡感覚の機能検査に用いられる内耳が正常に機能しているかどうかを調べるテストだ。平衡感覚は内耳にある三半規管が司っているので、内耳がやられると平衡感覚がおかしくなる。大学病院の耳鼻咽喉科でこのテストを受けたところ右は正常だが、左の内耳が機能しなくなっていることがわかった。しかし、この片方か両方かの境目は、仕事を続けられるか、寝たきりになるかの境目でもある。
「片方が正常なら、何とかなるものなんです。普通の生活は十分送ることはできますから。でも、ダンスを諦めなければならないのはショックでした。20年続けてきただけでなく、競技会に出場するくらい入れ込んでやってきましたから。
踊っているときはいつもワクワク状態で、がんのことも仕事のこともすべて忘れて踊ることに没頭できたんです。でもそれが、もうできないとわかったんで、未練を断ち切るため、たくさんあったドレスやレッスン用のスカートはダンス仲間のお友だちにあげちゃいました。
ただ発表会用のドレスだけはまだ4着記念に持っているんです。お棺の中に入れてもらおうと思って」
小倉さんの口からお棺という言葉が出たが、ハリのある、よく響く声でおっしゃるので、あまり現実味が感じられなかった。
2.4リットルの胸水

習志野市医師会に招かれて医療従事者向けに講演
平衡感覚障害を乗り越えた小倉さんは、前述のステロイド剤の副作用によって起きた脳梗塞も克服している。このときはMR検査で脳腫瘍が疑われたことがあったが、詳しく検査したところセーフだった。
昨年3月には胸水がどんどん溜まって呼吸障害がひどくなったこともあったが、そのときは入院もせずに胸水をなんと2.4リットルも抜いている。その間も1日中いつも通り患者さんの診察にあたっていた。
タキソールの投与が終わったのは昨年4月のことで多発性の肝転移が確認されたため耐性ができたと判断されたのだ。そのあとはA医師に勧めにしたがって5-FU(一般名フルオロウラシル)系の経口抗がん剤ゼローダ(一般名カペシタビン)と再々発の際に使ったタキソテールの併用療法になった。タキソテールは前年に使った際、副作用で間質性肺炎になったが、その影はすっかり消えていたので、その提案を受け入れることにしたのだ。
しかしスタートしてしばらくすると、また平衡障害が出たためタキソテールは止めてゼローダ単剤になり現在に至っている。
粘投で生の輝きを伝え続ける

再々発から2年半が経過した今も、小倉さんは4つの病院で月曜日から土曜日までフルタイムで患者さんの診察に当たっている。勤務を1日も休むことはない。
シングルマザーで育て上げた2人のお子さんはすでに成人し別々に暮らすようになった。仕事以外の時間は体調が許す限りがん患者さんとの電話相談、講演、がん患者さん向けのブログ「WILL-乳がんとたたかう女医・小倉恒子の日記」の執筆などに充てている。ブログへのアクセス数は徐々に増えて今では多いときで1日600件もあるという。
何度もピンチになりながら、それをしたたかに切り抜けて充実した現役生活を送る小倉さんのがんとの闘いは、毎回満塁のピンチを迎えながらダブルプレーで切り抜けるベテラン・ピッチャーを見ているようだ。
この手のピッチャーは肩の故障や球速の衰えで、引退を囁かれてから何年も投げ続けることが多い。ピンチになったときのさじ加減を心得ているので、いつもランナーを背負ってアップアップのピッチングに見えても、そう簡単にはKOされないのだ。
こうしたピッチャーたちは、バックを守る内野手たちと緊密な信頼関係を築いているものだ。いくらピッチャーがうまくゴロを引っ掛けさせてもバックのゲッツー態勢が完璧でないとピンチを切り抜けることはできない。またピッチャー仲間とも緊密に連絡をとって敵の打者の弱点を教えあっていることが多い。それがないと満塁の場面でダブルプレーを引っ掛けさせる「さじ加減ピッチング」はできない。
小倉さんの場合ピンチにゲッツーをとれる内野手たちは、主治医になった方たちだろう。敵の弱点を教えるピッチャー仲間は、ともにがんと闘う患者仲間に置き換えられるだろう。
こうしたピッチャーは、ピンチを切り抜けるごとにタフになるが、これは小倉さんにも言えることではないだろうか。
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