がんに負けなかったケーシー・ランキンさんのがんとの向き合い方 2人のドクターを「応援団長」にし、末期の食道がんで3年生存

取材・文:吉田健城
発行:2007年6月
更新:2013年8月

治療を開始して1カ月足らずで結果が

ケーシーさんががんの治療を始めたのは、がんが見つかって間もない2004年6月29日のことだった。先に血管内治療を始め、それから10日ほどで、放射線と抗がん剤による治療も開始している。

こうして2つの治療法を併用する闘病生活に入ったわけだが、開始して1カ月足らずで結果が現れた。食道にあった大きながんが消失しただけでなく、周辺のリンパ節や胃に転移したがんも目に見えないほど縮小したのだ。

血管内治療は、がんが新生血管を出して近くの動脈から栄養や酸素を補給していることに着目した治療法で、動脈伝いにカテーテルを患部に到達させ塞栓物質を注入して新生血管を塞いでしまう。それによって、がんへの栄養補給路を遮断しがんを兵糧攻めにするのである。

血管内治療は、患者自身も血管造影のモニターを見ながら治療を受けられるため、がんが消えていることを自分の目で確認できるというメリットもある。

「痛いのは、股の血管からカテーテルを入れるときぐらいで、あとは血管造影の画面に目をやって医師の話を聞きながら治療を受けるわけだけど、大きなグレーの部分(がんの病巣)がどこにも見えなくて白くなっていると、ヤッターという気持ちになる」

胸膜に水が溜まり心臓発作に見舞われる

血管内治療を受ける一方で、ケーシーさんはこの治療法では微小がんまですべて捕捉できないこともよく理解して、主治医が描いた設計図に沿って、しっかり抗がん剤と放射線による治療も受けている。

がんが消えたその年の11月に音楽活動を再開してから今日まで、ケーシーさんが音楽活動に集中できるQOLを維持できたのは、主治医の手腕によるところが大きい。

ケーシーさんは、病院に1カ月入院したあと、抗がん剤治療を受けながらがんの再発を抑えていたが、体に異変がなかったわけではない。音楽活動を再開して丸1年たった2005年11月には、1度ならず2度、3度と心臓発作に見舞われている。父や父方の係累を循環器系の疾患で亡くしていることもあって、ケーシーさんはすぐに循環器系の専門病院に行って診察してもらったが、原因を突き止められなかったため、主治医に相談に行った。

原因はすぐにわかった。食道がんの治療では、心臓に近いところに放射線を繰り返し照射するため、それによって胸膜に水が溜まり、それが心臓を圧迫していたのだ。

これで、ケーシーさんの主治医への信頼はますます大きなものになった。

この心臓発作は、もっと大き���凶事の前兆にすぎなかった。それから間もない翌2006年3月、恐れていた事態が起きた。食道がんの再発が確認されたのだ。

これには、さすがのケーシーさんも落ち込んだという。

しかしすぐに気を取り戻し、自分の応援団のような存在になっている2人の医師を訪ね、治療法を相談した。その結果、血管内治療を先にやって様子を見るのがいいということになった。

再発後も精力的に音楽活動を続ける

写真:自宅のあるスタジオ
写真:「音合わせ」中のケーシーさん

自宅の地下にあるスタジオで、「音合わせ」をしているところ。がんの治療を受けながら、精力的に音楽活動を行っている

音楽活動と治療を両立させなくてはいけない点、前回効果をあげた可能性が高いことなどを考えれば、それはきわめて妥当な選択だった。

3月に血管内治療を開始したケーシーさんは、12月までに3回受けている。それによって、がんは大方消えたように見えたが、微小血管のがんを取り除くことができないため消失には至らなかった。そのため、ケーシーさんは、今年1月主治医のいる病院に入院してさらに抗がん剤による治療を受けている。こうした決定もケーシーさんの独断ではなく、2人の医師の連携で行われた。

「去年の12月、2人の医師とおいしいものを食べながら1杯やったんだけど、2人は大変仲がいい。気持ちよくお酒を飲みながら、話に花が咲いていました。2人ともクレバーで、僕の治療にはお互いが不可欠なことをよくわかっている」

この話を聞いたとき、がん専門医には血管内治療を白眼視する向きがあるので、筆者は2人は以前からの知り合いなのだろうと思っていた。しかし、そうではない。2人を引き合わせ、仲良しにしたのはケーシーさんなのだ。

ストレスが溜まることが嫌いなケーシーさんは、診察を受ける際、病人らしくない服装をしてとことん明るく振舞う。医師には「ヤッホー」とコミカルに挨拶し、看護師さんにもジョークを言って笑わせる。知らない人が見たら、SHOGUNのメンバーだった人ではなく、吉本興業のメンバーだった人と勘違いされそうなノリなのだ。

それが、ある種の磁力を生み出す基になっていることは、疑問の余地のないところだ。

「孫の結婚式までは、元気でいるつもりだから」

写真:お孫さんとケーシーさん

「この子が結婚するまでは元気でいるつもりだよ」とケーシーさん

再発はしたもののケーシーさんは、主治医のもとでがんの治療を続けながら、今も精力的に音楽活動を行っている。

筆者が自由が丘にあるお宅を訪ねたときも、4、5日前に雪に覆われた秋田県で連日ライブをやって帰ってきたばかりだった。

ご本人は、がんを患ってから、せっかく日本酒の名品があるところに行ってもちょっとしか飲めなくなったとボヤいていたが、血色はよく、声にも張りがある。1月に受けた抗がん剤治療の影響で髪がちょっと短めだが、これがかえってケーシーさんを年齢より若く見せている。決してマイナスにはなっていない。

再発したがんの先行きにも、楽観的な見通しを持っている。

「2007年に入ってすぐ1カ月くらい病院に入院したんだけど、そのあとも、月に2回、抗がん剤治療を受けているから、もうだいぶ小さくなっているんじゃないかな。あさって検査の結果を聞きに行くんだけど、この前行ったとき、先生が抗がん剤だけでよくなる可能性もあると言うんで、今はそうなることを願っている。それが駄目なら、手術で取るしかないけど……。もし、そうなったとしても『ピッと取れちゃいそうな大きさだ』って言ってたから、それほど心配はしてないけどね。
どちらにしろ、命に別状はないということだから、やると決めたらやるしかない。あれこれ思い悩むことだけはしたくないから」

取材が終わったあと、編集者と筆者を玄関先まで見送りに出たケーシーさんは、自信に満ちた口調でそう語った。

ちょうど、隣の家に住んでいるまだ小さい女のお孫さんが帰ってきたので、ケーシーさんに「これだけ元気だと、このお孫さんの、大学の入学式に出席できるんじゃないですか」と水を向けると、

「何言ってるの。こっちはこの子の結婚式に出るつもりなんだから」

と言われてしまった。


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