がんは神様が与えてくれた「ショック療法」だった 女優・宮崎ますみさんが語る、乳がん克服へのいばら道
ホルモン剤投与後は、体も心も低空飛行状態に

MRIの結果、「腫瘍は1.5センチだったが、そこから乳管を通って少し伸びていたため、最悪の場合、乳房の全摘出になる可能性もある」と医師から言われていたが、その後の検査によって部分切除で十分対応できることがわかり、ますみさんは12月2日に手術を受けることになった。
閉経前の女性の場合、治療法は手術で病巣を切除したあと、術後の病理検査でエストロゲン・レセプターの有無を調べ、レセプターがある場合は放射線治療とホルモン療法を受けることになる。ない場合は放射線と抗がん剤投与による治療となる。
手術で病巣を摘出したあと、術後の検査でますみさんの乳がんはエストロゲン・レセプターがあるタイプであることが判明したため、放射線照射とホルモン剤投与が開始されることになった。放射線照射を行う目的は乳房内に残存しているかもしれない微小ながん細胞を破壊することで、ホルモン剤投与のほうは、がん細胞の増殖を促進する女性ホルモン=エストロゲンができなくすることにある。
この2つの治療が始まったのは、手術から5週間が経過した2006年1月5日のことだった。ますみさんが手術を受けたのは乳がんの治療では高い評価を受けている都心にある大病院だったが、横浜から通院するのは大変なので、主治医に近くの病院を紹介してもらい放射線照射とホルモン剤投与はその病院で受けることになった。
「ホルモン剤投与の副作用については主治医の先生から更年期障害が出ると聞かされていましたし、放射線の副作用についても担当の先生から疲れやすくなるとか、何回も照射を繰り返すうちに皮膚がかさかさになって、ちょっと黒く焼けたような感じになるという説明がありました。ですから、その心づもりはあったのですけど、実際にそうなるとダメージの大きさは想像をはるかに超えるものでしたね。
とくにひどかったのはホルモン剤の副作用で、どんどん疲労感、倦怠感がひどくなって、家でお料理をつくっていてもすぐ疲れて立っていられなくなるし、パソコンに向き合っても全然文章を書く気にならない。それだけでなく、学校から帰宅した子供たちに微笑み返すことすらできないありさまでした」
それでもますみさんは、まだ、がんに対する恐怖心のほうが強かったので治療を優先させるべきだと思い、主治医から「大丈夫ですか?」と訊かれても「気分が落ち込むんですが、こんなものなんでしょうね」「痒いのですが、こんなものなんでしょうね」と言うにとどめ、ストレートに実態を知らせることは避けていた。そのため、体も心も低空飛行が続く状態がしばらく続いた。
主治医��も話し合い、ホルモン療法と決別
こうした心身両面の不調をますみさんは、友人たちから勧められた鍼灸治療や漢方薬、サプリメントなどの摂取で補いながら、何とか最低限のQOL(生活の質)は維持しようと努めた。
しかし、芸能人、エッセイスト、2児の母としてフル回転しないといけないますみさんにとってのQOLレベルは高い。少なくても、セリフを覚えたり、文章がすらすら出てきたりするようでないと最低限のQOLを維持しているとは言えないのだが、ホルモン剤によるダメージは依然大きく、仕事に本格的に復帰できない状態が続いた。
「リハビリを兼ねてCS放送の番組でナレーションの仕事をしたんですが、台本に書いてある文字を目で追うのですが読めないんですよ。それでは仕事になりませんから、このときはかなり焦りました。それと、物忘れがひどかったですね。不眠やうつにもなったけど、こちらのほうはアロマテラピーをやるようになってだいぶ改善されました」
このような状態が続くと、いくらホルモン療法をやる目的を理解していても、このまま続けていいのだろうかという気持ちが大きくなってくる。それでも彼女は漢方や健康食品などいくつかの代替医療をやりながら、ホルモン療法と両立させればいいという考えだったが、肝機能の状態を示す数値が異常に高くなったことで、ついにやめることを決断した。
この結断を下すうえで大きな力になったのは、子供の学校の校医でもあり、懇意にしているドクターがくれた助言だった。
「その先生がおっしゃったことは、標準治療ではホルモン剤の投与を5年間続けるとなっているけど、患者にはそれぞれ個性があって5年必要な人もいれば1年でオーケーの人もいる。私の場合は何カ月かは必要だったけど、もう必要ないのかも知れないということでした。ホルモン療法を否定するのではなく、必要性をしっかりと踏まえたうえでの意見でしたから、たいへん説得力がありました」
これでやめるほうに大きく心が傾いたますみさんは、最終的に主治医とも話し合い、承諾を得たうえでホルモン療法と決別している。副作用に苦しむと、勝手にやめたり、西洋医学を全面否定したりするような極端な方向に走る患者が多いなか、最終的に主治医と話し合い、やめることのメリットとデメリットを冷静に天秤にかけて結論を出したことは、大いに評価すべき点だ。
「相談役の腫瘍内科に話を聞きに行きました。そのときに、私のケース(年齢・がんのタイプ・腫瘍の大きさ)だと10年後の再発リスクがどれくらいか、コンピュータでデータを出してくださったんです。
約60パーセントは無治療でも再発なし。10パーセントは、その他(がん以外の事故や病気)で亡くなる。残り30パーセントのうち、10パーセントがホルモン療法をして再発しなかった人、20パーセントはホルモン療法をしても再発した人。私は、その10パーセントのなかに入るために、5年間も副作用に苦しまなければならないのか、と思い自問自答しました。
『最終的に治療を選ぶのは患者さんですから……』と先生に言っていただいたことで、私は自己責任で治療を選択する決断ができました。
治療しなくても再発しない人は、たくさんいる。ならば、この再発しなかった人たちが、どんな生活を送り、どんな努力をし、どんなマインドで過ごしているのか、そこにフォーカスを当てて、学ばせていただこうと決めたんです。恐怖からの選択ではなく、希望からの選択をしよう、と」
がんは、心掛けで自身の教師になる

この決断を下したのは2006年11月のことだが、それがますみさんの肉体と精神を鮮やかに甦らせたことは、容易に察しがつく。こちらが、どんな質問をしても、よく通る張りのある声で当意即妙な答えがテンポよく返ってくる。その豊かなボキャブラリーを駆使して饒舌に語ってくれる姿は、ホルモン療法の呪縛から解き放たれた自分の今を、思う存分楽しんでいるように見える。
とくに感心するのは自己洞察の鋭さだ。これは、がんという試練を与えられ、自分と正面から向き合わざるを得なかったことによって高められたものだろう。
がんという病気は、初めは誰にとっても大きな試練だが、その向き合い方、戦い方によって、結果はまったく違ったものになる。絶えずがんに学び、生きるヒントを得ようと心掛ければ、がんは自分を成長させてくれる教師になる。ますみさんはまさしくこのケースで、がんに感謝しているという言い方は変だが、話しているとそうした思いが強いことが伝わってくる。
がんは、恐れられたり、憎まれたりすると、わが意を得たりとところかまわず増殖するが、感謝されることには慣れていないせいか、そういう人のところではおとなしくしていることが多い。問題は、感謝できるような心境に自分を持っていけるかどうかだ。ますみさんの言葉にはそのヒントがたくさん隠されているような気がしてならなかった。

自然食バイキングレストラン
はーべすと 青葉台
神奈川県横浜市青葉台1-3-6
東急田園都市線青葉台駅 徒歩1分
TEL 045-988-5477
営業時間
ランチ 11:00~15:00(L・O14:00)
ディナー 17:30~22:00(L・O20:00)
定休日 無休
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