女性誌の名編集者・西條英子さんが説く多重がんに打ち克つ生き方 次々にがんに襲われても、絶望するのは15分だけ!

取材・文:吉田健城
発行:2007年1月
更新:2013年8月

したたかながん患者に

写真:富山県の立山ゴルフ場で

50の手習いで始めたゴルフ。富山県の立山ゴルフ場で

この骨肉腫の手術で入院して以降、新たながんが次々に見つかるようになる。

骨肉腫の手術のあと、西條さんは院内感染もあって12月末まで入院する羽目になるが、それが癒えて退院したわずか3カ月後の2004年3月に首に再び腫瘍ができ、検査の結果、甲状腺にがんの病巣があることがわかった。診断は甲状腺がんではなくMALTリンパ腫だった。MALTリンパ腫は悪性リンパ腫の1つで、少し前までは胃と小腸にできるものをさしていたが、首の扁桃腺のところにできるものも同種とわかり、MALTリンパ腫に分類されるようになっていた。

ドクターからMALTリンパ腫の説明を受けたとき、西條さんの脳裏に16年前の1989年に受けた手術の記憶が甦った。その手術で彼女は頸部にできた2センチ大の腫瘍を切除しているのだ。

「MALTリンパ腫という病名自体が10年ぐらい前から使われだした新しい概念の悪性リンパ腫で、それ以前は首にしこりができる悪性リンパ腫であるということはわかっていなかったんですね。だから体のあちこちに転移しているがんもひょっとして平滑筋肉腫が原発なのではなく、それが元になっているのではないかと思ったんです。こんな、とてつもなくしたたかな病気と闘うには、こちらももっとしたたかながん患者にならなくてはと思いました」

そう決意した西條さんは、書物やインターネットで最新の知識を仕入れ、がんに対する情報感度をレベルアップするとともに、疑問点や自分なりの考えをドクターにぶつけて貪欲に知識を吸収する一筋縄ではいかないタフながん患者になった。

新兵器のPETでがんを見つける

MALTリンパ腫の治療は摘出手術と、術後の15回の放射線照射がセットになっていたが、ドクターは体のほかの部分にもがんが転移している可能性があると見て、体の機能や代謝の様子を、断層画像でいっぺんに捉えて検査することができるPETという新しい装置による検査を受けるよう勧めた。癌研付属病院には当時それが無いので、提携している病院で受けてもらうことになるが、同病院からの紹介があれば費用も格安で済むということだった。

転移のペースが速まっていると感じていた彼女は、即座にドクターに紹介状を書いてもらい東京女子医大病院でPETを受けた。その結果、左腹部の奥のほうに影があることが判明。CTスキャンで精査したところ背中側の腹膜にがんが転移していることがわかった(診断は後腹膜腫瘍)。

左下腹部の奥にがんが見つかったのはいいが、このときは平滑筋肉腫を摘出したときのようにスムーズにことは運ばなかった。

「癌研で調べたら、がんの病巣が大動脈、大腸、尿道などに絡んでいて非常に厄介な状態になっていたんです。とくに大動脈は左脚に通じているので、摘出する場合、左脚をすべて失う可能性もあるといわれました。これは右腕を失うかもしれないといわれたときよりずっとショックでした。車椅子の生活になるわけですから。一瞬死ぬんじゃないかとも思いました。でも、落ち込んだのはほんの一瞬です。15分くらいでしょうか(笑)。すぐに気を取り直して、ドクターにあれこれ質問しているとドクターが考えてくれて、うち(癌研付属病院)には血管外科がないから東大病院の血管外科のドクターに協力を仰いで対処してくれることになったんです」

腫瘍の摘出手術は癌研付属病院で2005年1月12日に行われ、動脈バイパスなど血管や尿道の再建手術を伴う複雑なものとなったため、12時間を要する大手術となったが無事終了し、今回も西條さんはドクターが最善の手立てを講じてくれたおかげでピンチを切り抜けることができた。

半年のうちに3回の大手術

写真:ベニスの仮装カーニバルに参加

2003年2月。前年の11月手術の後、姉と2人でイタリアのベニスの仮装カーニバルに参加。左が西條さん

しかし、がんとの「もぐら叩き」は、1つ叩き終えてもその直後に別のモグラが顔を出すような様相を呈していた。後腹膜の腫瘍を摘出した半月後の1月27日に、癌研付属病院で検査を受けた際、今度は左第11と12肋骨にもがんの転移らしい影が見られることがわかり、同様のものが肝臓と肺にも見つかった。

検査の結果それらががんの病巣であることが確認されたため、西條さんは癌研有明病院で2005年4月6日に左第11、12肋骨の摘出手術を受け、さらに6月3日に肝臓の部分切除手術を受けている。この肝臓の手術はがんの病巣が認められる箇所を6カ所切除するもので、合計すると肝臓の3分の1を切り取る大きな手術だった。しかも、そのときは副腎にも転移していることがわかり同時に切除している。

1月から6月まで大きな手術を3回も受ければそのダメージも半端ではない。彼女も歩行困難をきたすようになり、移動も1人ではできなくなっていた。こうなればどんな気丈な人間でも、弱気になるものだが西條さんはそうではなかった。すでに、がんとの闘いの切り札となりうるものを見つけ、それを使った闘いの準備を開始していたのだ。

樹状細胞療法にかける

写真:サグラダファミリア大聖堂の前で

近所の方と「美人会」と名付けた親睦会のスペイン旅行。ガウディのサグラダファミリア大聖堂の前で。左端が西條さん

その切り札というのは開発されたばかりの樹状細胞療法だった。これは従来の「活性化リンパ球療法」と違って、樹状細胞という免疫細胞に、患者の体から取り出したがん細胞を使って標的となるがんを覚え込ませ、リンパ球に特異的にがんを攻撃するようにしてから体内に戻す治療法だ。特徴は、従来の「活性化リンパ球療法」がどこに攻撃を仕掛けるかわからないので、効果がなかなか上がらなかったのに対し、この療法はリンパ球に攻撃目標を覚え込ませてから体内に送り込むので、効率よくがんに対し抑制効果を発揮する点だ。

2005年3月に東京大学医科学研究所付属病院のドクターから「樹状細胞療法」という新しい治療法があることを教えられた彼女は、手術では除去が困難な肺に転移したがんの増殖を抑制し、かつ、どんどんペースが速くなるがんとのもぐら叩きにブレーキを掛けるにはこれしかないと思い、ぜひ受けたいと願い出た。

西條さんが説明をしっかり理解したうえで、大きな期待を抱いていることを知ったドクターは、癌研有明病院のドクターと連携して、肝臓に転移したがんを除去する手術の際に切除したがんを使ってリンパ球に標的を覚え込ませることに決めた。その方針に従って4月の手術で切除される肋骨のがんと6月の手術で採取される肝臓に転移したがんが「がんバンク」に送られることになった。

癌研有明病院で肝臓の部分切除手術を受けたあと退院した西條さんは、7月に入ってすぐ東大医科研付属病院のドクターから樹状細胞療法を導入する白金台のセレンクリニックを紹介され、8月30日から第1号患者として治療を受けることになった。

治療は2週間に1回のペースで自分のがん組織をパルスした成熟樹状細胞を注射し、5回行ったところで様子を見るという形で進められた。

これと平行して途中から少量の抗がん剤を投与するメトロノーム療法が行われたが、結果は上々で、肺の3カ所にできた病巣は2005年11月の検査で増殖がストップしていることが確認されただけでなく、体調も回復し自分で歩行しながら外出できるまでになった。

2006年2月、4月、6月の検査でも肺の腫瘍は増殖していないことが確認されている。

このようにがんは1年近くおとなしくしていたが、2006年の夏になってまた頭をもたげてきた。西條さんは「腰椎」と「脊髄」にがんの転移が認められたため、現在新たながんとの戦いを開始しているが、その戦略を語る口調は生き生きとしていて、病人らしい影は見られない。

メトロノーム療法=少量の抗がん剤を頻回に投与する新しい抗がん剤療法の1つ

パイオニア精神を発揮して

写真:展覧会に出品した作品

50歳を過ぎて始めた趣味の陶芸。2003年2月、展覧会に出品した作品

「腰椎と脊髄に出たがんは、手術が難しいので放射線照射を5回を受けたあと、肋骨に再発が見つかりさらに4回受けて、様子を見ているところです。がんの出たところが神経が密集しているところだったんで痛みがひどくてつらかったんだけど、鎮痛薬を飲んだらそれもおさまりました。今は小康状態というところですけど、つらいのはリハビリさえちゃんとやれば、また歩けるようになるのに、ベッドに寝たままになっていることです。自分でこういう立場になって感じるのは、日本のがん医療が、治る人を治していないということ。高度先進医療に巨額の予算を使うのもいいけど、もっとリハビリについても真剣に考え、予算も使って人材を養成すべきだと思っています。こんなことを言うと、また豪華な箱ものばかり作りそうだから、建物は地方の廃校や、都市部の学校統合で空家になった校舎なんかを使えばいいんじゃないかしら。これについては、自分でもっと考えを深めなくてはと思っているところです」

このように西條さんは転んでもただでは起きないところがある。転んだら転んだところから問題の本質を見据え「健康な精神を持った自分」の頭で戦略を考えてから起き上がる。リハビリの問題についても、樹状細胞療法の第1号患者になったときのようなパイオニア精神を発揮して、必ず何か新しいことにチャレンジするはずだ。


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