毎日新聞の名物コラムニスト、玉置和宏さんの「がん発病効果」 食道がんと胃がんの同時重複がんを克服した言論界の重鎮
100回ゴルフをしてから死んでやろう

手術のあとは、誰しも退院後の自分の姿を頭に思い浮かべるものだが、玉置さんがこうなってくれればいいと脳裏に思い描いていたのは、一面鮮やかな緑に覆われたゴルフ場で仲間と元気にプレーする姿だった。
「国立がん研究センターでは、七夕に入院している患者に願い事を書かせてそれを大きな笹につるしてみんなで見るんですよ。その中に、『親しき友ともう1度でいいから白球を打ちたい K生』というのがあって、自分もそうなれたらいいなと思ったんです。
ぼくは年に10回くらい付き合いでやる程度で、それほどゴルフには熱心ではなかったんだけど、その短冊を見てから急にゴルフをしたいという欲求が日増しに強くなって、しまいには100回ゴルフをしてから死んでやろうと思うようになっていました」
しかし、そんな思いとは裏腹に、手術後の経過は順調とは言えず、玉置さんは忍耐の日々を送ることになる。原因は結腸と食道の接合がうまくいかないことにあった。完全にくっついた状態にならないと、ものを飲んだり食べたりできないので退院はそれが前提になる。

検査を受けるたびに今度こそ繋がっているだろうと期待が膨らむが、何度やっても結果ははかばかしくなく、5週間6週間と時間が経過しても退院の見通しは立たなかった。
「やりたい仕事をできなくなるのは残念だったけど、身分も給料も保証された身なので、ここはじっくり構えるしかないと思いました。そんな気持ちになれたのは、この入院は自分の体をリストラする入院だと位置付けていたからです。
当時(95年)はリストラという言葉が首切りという言葉の代用品に使われ大流行していましたが、本来リストラクチャーという言葉は再構築とポジティブな意味合いの言葉です。ぼくの場合、ヘソから上の消化器を全部取って、結腸で代用する手術を受けたわけですから、自分ではこれがまさしくリストラクチャー(再構築)だと思っていました」
全6巻の大著『ローマ衰亡史』読破に挑戦

長期戦を覚悟した玉置さんは、連載していた4本の原稿を病室で書き始めた。
それらは経済や政界官界の出来事や動向を把握していないとかけないものだ。そのため、毎日主要4紙を売店で買ってきてはくまなく目を通し、原稿を仕上げていった。残った時間は、初めテレビを見て過ごしていたが、テレビは食べ物番組がやたらに多い。それを見ることは動脈から栄養を補給している身である玉置さんにとっては、拷問のようなものだ。
そうした時間をどう過ごすか考えた末、玉置さんは以前から読みたいと思っていて、なかなかできなかった名著を読破することに充てようと心に決めた。
その名著というのは18世紀のイギリスの歴史家ギボンが現した大著『ローマ衰亡史』である。玉置さんは北大時代西洋史を専攻し、記者時代にはロンドン大学の経済大学院に留学した経験がある。それだけに、チャーチル、ネールをはじめ、多くの偉人が最も学ぶべき点が多い著作と絶賛した古典中の古典にトライしてみたいと思っていたが、時間が取れないまま歳月が流れていた。
もちろん54歳で全6巻の大著を読破しようと思い立ったのは、仕事にも計り知れないメリットがあると考えたからだ。
欧米では玉置さんのように署名入りで書く常設コラムを持っている論客やジャーナリストを特別にコラムニストと呼ぶが、コラムニストにとって、何よりも必要な資質は表面的なことにとらわれず事の本質を見抜く力と、それを過去の様々な事例や名言格言を引き合いに出して効果的に読者に伝える筆力だ。それを考えれば、ヒントと警鐘の宝庫とも言うべき「古代ローマ」を深く知ることは、大きなプラスになるという思いが玉置さんにはあった。
「古代ローマというと『パンとサーカス』という言葉を連想する人が多いのではないかと思いますが、消費税もルーツは古代ローマにあるんです。ギボンの『ローマ衰亡史』はお見舞いに来た毎日新聞の同僚に頼んで神保町の古書街で買ってきてもらいました。1巻がかなり厚い本ですから退院した時点では、2巻までしか読めなくて、残りは自宅で療養している間に読みました。これも、気長に治療を続けたおかげですよ」
無駄ではなかった3カ月半の入院生活

結腸と食道の接合は3カ月経ってもはかばかしい進展がなかったので、再度、部分麻酔でその部分だけ手術しなおすことになった。
入院生活は3カ月半に及んだが、玉置さんにとってそれはけっして無駄な時間にはならなかった。退院後は順調に回復し、2カ月間の自宅療養ののち復職。胃を失ったことによる1日6食の生活に戸惑いながらも、早速海外出張に出かけ順調に回復していることを社の内外にアピールした。
玉置さん自身が「がんとの闘い」にひと区切りついたことを実感できたのは、翌年4月に退院後、友人と退院後初めてゴルフに出かけたときだった。
「1番ホールでティーアップして第1打を打ったときは何とも言えない気分でしたね。距離は出なかったけど、白いボールがフェアウェイに向かってまっすぐ飛んでいくのを見て、七夕のとき以来、ずっと夢に描いていたものが現実になったんだと思いました。
そのときの感動が大きかったせいか、それからはとにかくゴルフに行きたくて仕方がないんですよ。がんセンターで退院後の目標に定めた『ゴルフ場で100ラウンド』はたった3年8カ月で達成してしまいました(笑)」
本職のほうも快調で、経済欄に掲載されるコラム「酸いも甘いも」には古代ローマをはじめ、古今東西の歴史から正鵠を射た引用が散りばめられるようになり、玉置さんに対する評価は年を追うごとに高まっていった。
それもこれも食道がんのおかげといったら、言いすぎだろうか。
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