術後後遺症の苦しみを、笑いで包みながら語る庶民派政治家 「大腸がんは入院中より退院後が大変」を身をもって知った日本共産党書記局長・市田忠義さん

取材・文:吉田健城
発行:2006年10月
更新:2018年9月

がん公表にたくさんのプレゼント

写真:日本共産党本部の書記局長室で仕事に専念する市田さん
日本共産党本部の書記局長室で仕事に専念する市田さん

市田さんのような政党の指導的地位にある政治家にとって、がんは特別な意味を持つ。例え肉体的な生命に別状がなくても、真贋取り混ぜた噂や憶測が流れ、政治的な生命が危機にさらされることが往々にしてあるからだ。これに関しては5週間に及ぶ入院が年末年始に重なったことが幸いした。この時期は国会が閉会中で大きな選挙もない。そのため、市田さんは情報管理に頭を悩ますこともなく病室の人となることができた。

「入院中はがんを治すことに集中したかったんで、手術前に公表するようなことはしませんでしたが、隠すべきことではないので入院した当初から機会を見て、なるたけ早い時期に公表しようと思っていました。そこで党のほうとも相談して、退院した翌日に国会内の衆議員控え室で記者会見を開き、大腸がんで入院し、手術を受けたことをご報告したんです」

当時はまだ、がんを公表する政治家が少なかった中でオープンにしたことは、予想外の退院祝いを市田さんにプレゼントすることになる。たくさんの人たちから、お見舞いの手紙や励ましのファックス、電話が寄せられたが、そのなかには50年前、小学校で担任だった先生からかかってきた懐かしい声の励ましの電話や高校時代の友人から届いた懐メロや小学校唱歌のテープもあった。そのテープの入った箱には、市田さんが好きだと聞いたので送ることにしたというメッセージが添えられていた。

エンドレスで襲ってくる便意

こうした心のこもった励ましもあって、市田さんは退院後、1カ月ほど静養したあと、まず2月下旬から半日勤務を開始した。

しかし大腸がんが大変なのは「手術後」だ。市田さんも例外ではなく『トイレが友だち』という後遺症の状態が続くことになった。

比較的予後がいいといわれる大腸がんだが、それは医学的な見地からの話だ。根治しても社会生活を送るうえでこれほど厄介ながんはない。『トイレが友だち』という言葉は、手術後しばらくはトイレにひっきりなしに行く生活が続くことをユーモラスに表現したものだ。

エンドレスで便意が襲ってくるのは、手術で排便前の便をためておく部分を大きく切り取る結果になるからだ。そうなると一度に大量の便を出すことができなくなり、便意に襲われてトイレに駆け込んでも少量の小指ほどしかない細い便が出るだけだ。当然食欲も沸かなくなるので、手術のダメージも相俟って体重が大きく落ち込むケースが多い。市田さんも84キロあった体重が75キロ��減少し、おなかに力が入らなくなった。

しかし、これも限界までこらえながらトイレに駆け込んでいるうちに少しずつ排便をコントロールできるようになるので、日常生活に支障をきたすことはなくなる。市田さんも徐々にトイレが友だちではなくなっていったが、それは体調のいい日に限ってのことだ。体の調子が思わしくないときは、便も下痢気味になるので頻繁にトイレに駆け込むことになる。これは、市田さんのように「公人」として活動する時間の長い人にとっては実につらいことだ。

脂汗流しながら我慢したテレビ出演

写真:NHK「日曜討論」に各党を代表して出演中
NHK「日曜討論」に各党を代表して出演中

私人にはトイレにいく自由が保障されているが、公人にはトイレに行く自由がない。それを十分わきまえている市田さんは、おなかの調子がよくないときに中座できない仕事があるときは、必ず事前にトイレに行くことにしていた。

それでも、調子の悪いときは1、2度行っただけではおさまらず、繰り返し便意に襲われることになる。よりによってそれが1日に3本もテレビ出演が予定されている日に重なったときは、ホラーの世界をさまようことになる。

「手術を受けて2年くらい経った頃だったと思います。ちょうど自衛隊の派兵問題が論議を呼んでいたんで、その日は日曜日ということもあって午前中3本テレビに出ることになっていたんです。
最初はフジテレビの7時半から始まる報道番組でした。7時半スタートの場合、7時までに局に入らないといけませんから、その日は5時ごろ起きたんですが、どうもおなかがすっきりしないんで、用心してトイレに行ってから局に向かったんです。それでも心配だったんで、本番前にも行ってからスタジオに入ったんです。それでも、本番になり各党の代表と討論が始まったとたん、また便意に襲われたんですよ」

各党の代表がテレビで政治討論を行う場合、幹事長、書記局長が出て激しい論戦を繰り広げることが多い。市田さんの顔が売れているのもNHKの日曜討論に頻繁に出て、政府、与党の姿勢を真っ向から批判する姿が視聴者に強いインパクトを与えるからだ。

こうしたテレビで行う政治討論で党の主張を国民に伝えることは、言うまでもなく書記局長の最重要任務の1つである。しかも政治討論は生放送で行われるので、便意を催しても「ちょっとトイレ」と行って中座するわけには行かない。市田さんは便意と下腹部の痛みを必死になってこらえた。

「党の代表として出ているんだし、激しいやり取りもあるわけですから、脂汗流しながら我慢しましたよ。でも、もう心ここにあらずですよ。ほかの党の人が何を言ってるのかまったく耳に入らないし、自分でも何を言ってるのか全然判りませんでした(笑)」

とうとう我慢できず、トイレに駆け込んだ

この絶体絶命のピンチを救ってくれたのはコマーシャルだった。フロアディレクターが司会者にコマーシャルタイムに入る合図を送ったのを見た市田さんは、近くにいたフロアスタッフにピンマイクを外してもらうと、脱兎の如くスタジオを飛び出し高校時代野球部で鍛えた脚力を利してトイレに駆け込んだ。

間一髪セーフ! 出たのはほんの僅かだったが、とりあえずピンチを脱することはできた。スーッと下腹部の痛みが和らいでいくのを感じながら、市田さんはダッシュでスタジオに舞い戻った。

すでにCMタイムは終わり、討論は別のテーマに移っていた。司会者が各党の見解を順に聞いているところだったので市田さんは足早に席につき、何事もなかったような顔で発言することができた。

こうして絶対絶命のピンチを切り抜けたあと、市田さんは午前9時から放送される『日曜討論』に出るためNHKに向かった。

この番組はすでに何度となく出ている番組だった。政治に関心のある多くの国民が注目している番組なので、出演日前日は緊張してなかなか寝付けないこともあると市田さんは言う。

「でも、不思議なもんでスタジオに入って席につくと、いつもは、もう逃げられないと思うから肝が据わるんです。でも、その日は本番が始まってしばらくしたら、また腹が痛み出して猛烈な便意に襲われたんで、ほとほと困りました。フジテレビではコマーシャルに救われましたが、NHKにはコマーシャルはないでしょ。もう、我慢しきれなくなって、スタジオを出たところにあるトイレに駆け込みました」

また、出た量は僅かだったが、下腹部から痛みがスーッと消えたので市田さんはスタジオに舞い戻って席についた。討論は別のテーマに移っていて、他の党の幹事長が発言中だった。NHKの『日曜討論』は各党間で突っ込んだやり取りがあるので、市田さんは何について議論し、各党がどんなことを言っているか知る必要があった。

弱者の代弁者となってくれる存在

写真:水俣病患者さんと懇談する市田さん
05年6月、水俣病患者さんと懇談する市田さん

助けてくれたのは隣の席にいた自由党(当時)の藤井裕久幹事長だった。

「藤井さんは、たいへん親切な方でマイクに音が入らないようにしてから、小声で私に、何にテーマが移り、他の党の代表がどんなことを言ったか、手短に教えてくれたんですよ。おかげで私の順番が来たときは、まごつくことなく発言できました。
司会の山本さん(NHK解説委員)も、私がトイレに入っている間、発言の順番が来ないように、うまく誘導して下さったし、ディレクターもカメラの方たちに私の席が入らないアングルから映すように指示を出していたようなので、よほど注意して見ていない方でない限り、私がいないことに気がついた人はいないと思いますよ。さすがに妻は気がついていましたが、党の本部で見ていた人たちで気がついたのはほとんどいませんでしたから」

こうして2度目のピンチも、何とか切り抜けることができた。

拷問のような苦しみを2度と味わいたくないと思った市田さんは、それ以降、体調が思わしくない日にテレビ討論に出るときは、必ず下痢止めを服用してから出るようになったので、テレビカメラの前で脂汗をかくことはなくなった。

今年で手術から5年たったが、再発の兆候はまったく見られない。

市田さんはがんから復帰後、自らのがん経験を政治に生かすため、2002年に超党派で結成された「がん征圧議員連盟」に加わり『がん友だち』である仙谷由人衆議院議員(民主党)らとがん基本法の成立に尽力しているが、その一方で、がん医療がカネを出せばいくらでも先進的なものを受けられる方向に向かっていることには、大きな危惧を抱いている。

すでにがん医療に於いては、強者と弱者の二分化が進みつつあるが、弱者の側には今のところその代弁者となってくれる存在がない。

障害のある子を抱えた親や、不況のあおりでたちゆかなくなった零細企業の経営者などから、本当に困ったときに親身になって動いてくれたのは共産党だけだったという声を何度か耳にしたことがあるが、がん医療においても、共産党には弱者のお助けマン的な役割が期待されることになろう。 市田忠義さんの仕事が、また1つ増えることになるかもしれない。


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