「がん」を隠す政治家に「がん」を語る資格はない! 民主党「次の内閣」・仙谷由人さん
「信州の医の哲人」がくれた値千金の助言
時間は瞬く間に過ぎ、2002年1月15日、仙谷さんは予定通り国立がん研究センター中央病院に入院した。
その日、仙谷さんの傍らには、心配してついてきてくれた、こよなく尊敬する大先輩の姿があった。参議院議員の今井澄さんである。
今井さんは諏訪中央病院名誉院長の肩書きを持つ外科医だが、かつて東大全共闘のリーダーとして東大闘争で勇名を馳せ、凶器準備集合、建造物侵入などで懲役刑を受けて実際に服役したこともある、疾風怒涛の人生を歩んできた人物だ。
高潔で人にはどこまでも優しい今井さんは、医者というよりは、1年前に胃がんを経験している「先輩」として、仙谷さんに胃がんや入院生活に関する有用なアドバイスを送り続けていた。
がんにそれほど関心がなかった仙谷さんが、大きな問題に直面することもなく闘病生活を送ることができたのは、「先輩胃がん患者」である今井さんの適切な助言があったからだ。この「信州の医の哲人」は胃がんや入院生活に関する助言にとどまらず、がん医療のあり方や医療現場が抱える様々な問題を、仙谷さんに信念のこもった言葉で語ってくれた。
「忘れられないのはがんセンターで手術前の検査を受けたあと、一緒に来てくれた今井先生が、築地中央市場の中にある『鮎文』という行きつけのすし屋に連れて行ってくれたことです。すしを食べるのもこれが最後かもしれないという思いがあったせいか、名物のアナゴが美味くてさあ。寿司ってこんなにうまいもんなんだと思った。あのときも、今井さんは『手術後はこうやって、よく噛んで食べないとだめなんだ。噛んでいるうちに、別な美味しさがあると感じるようになるもんです』と自分でお手本を見せてくれたんですよ。あの方が先を読んで与えてくださった助言は、何事にも変えがたい貴重なものでした。残念だったのは、今井さんの場合、がんの発見が遅れたので手遅れの状態になっていて、その年の9月に亡くなられたことです。それでも、その年の夏、長野にお見舞いにうかがったときはだいぶ弱っていたけど、『理想の医療とはこういうものなんじゃないか』とおっしゃっていました」
主治医のアドバイスでがんを公表

手術は予定通り1月16日に行われ、5時間半を要したが、無事終了した。幸いがんはタチの悪いタイプではなかった。
かなり大がかりな手術だったので、術後3日間はずっと酸素ボンベが取り付けられていた。栄養は5日目まで、すべて点滴で補給していたが、6日目に流動食を取れるようになり、さらに3分粥となり、術後2週間目に5分粥になった。これで“何とかなる”という実感がわいてきた仙谷さんは、がんを公表する決意を固めるが、それには主治医の片井さんのアドバイスが大きな役割を果たしている。
「片井さんは政治家ががんをひた隠しにすることに批判的で、『そろそろ自分のがんを積極的に公表する政治家が現れてもいいんじゃないですか。もうがんを隠す時代じゃないですよ』といって後押ししてくれたんです」
この主治医の勧めもあって、仙谷さんは手術から19日目の2月4日に、「胃がん」と診断され胃の全摘手術を受けたことを自らのホームページで公表し、「胆石で入院」とウソの発表をしたことを謝罪した。
仙谷さんが国立がん研究センターを退院したのは2月27日のことだ。ひと月近く退院が延びたのは、胃の全摘手術を行ったあとに合併症の症状が出て、その治療に時間がかかったからだ。これは膵液漏という合併症で、膵臓周辺のリンパ節を切除する際に膵臓に傷ができ、そこから膵液が漏れ出すことに起因する炎症で、発熱、腹痛などの症状が出る。つらいのは、絶食をしながら膵液の産生を抑えるという治療法が取られることだ。
病室には見舞いに来た人たちが置いていった様々な本が積まれていたが、そんな状態では文字がびっしり詰まった本は読む気にはならず、もっぱらテレビを見てすごした。日中テレビを見ることなどほとんど無かったので、グルメ番組が多いことには閉口したという。胃を摘出し、さらに絶食まで強いられている人間にとって、グルメ番組は拷問以外の何物でもない。しかし、悪いことばかりではない。
日曜日の午前中、何とはなしに『サンデープロジェクト』を見ていたときのことだ。番組の終わりで田原総一朗さんが共演者と言葉を交わしている際、『今度がんの特集をやるときは、仙谷由人さんに来てもらいたいね。今、入院中だけど、もうじき退院すると聞いているからさ』と言うのが耳に飛び込んできた。
この田原さんが唐突に口にした言葉は、仙谷さんに、自分ががん患者としての立場からインパクトのある発言を期待されていることを痛感させた。退院後、仙谷さんは約1カ月間自宅で静養したあと、自らのがん患者としての経験をフルに活用して、がん患者の代弁者として、激ヤセした体に鞭打ち、行動を開始した。
「“患者の特権”というものは、いいものだと思いました。それまでは厚生省とは、それほど縁がなかったし、党の厚生部会で発言することもあまりなかったんだけど、『がん患者として一言申し上げたい』と言うと、厚生省の偉い役人や、権威といわれる医者でも、たじろぐようなところがある。つくづく患者の立場というのは強いものだと思いました」
実際、政治活動を再開して以降、仙谷さんががん患者とがっちりスクラムを組んで行った活動の内容には目を見張るものがある。
がん医療の前進に向けて大臣から取った言質

まず4月24日に、日本がん患者団体協議会の代表者たちとスクラムを組んで坂口厚生労働大臣に面会し、EBMに基づいたがん治療を可能にする取り組み、治験の情報公開および治験薬の治験外使用制度の創設、海外ですでに承認されている治験薬の国内審査期間の短縮等を要望。抗がん剤の新薬認定に関しては同大臣から『諸外国で承認済みの優れた薬については、半年以内で承認する』という約束を取り付けている。
5月29日には復帰後初めて国会で質問に立ち、予算委員会ではなく厚生労働委員会で坂口大臣に、日本で未承認の抗がん剤を医師が使用した場合、治療費が全額自己負担になる制度的不備を追及し、患者が未承認抗がん剤の費用だけ自己負担すればいいように制度を見直すよう求めた。
さらに7月には、新たに再スタートしたがん征圧議員連盟の呼びかけ人として同連盟の発足に尽力し、議事に入る前にとくに発言を求め、『日本のがん医療のレベル向上には化学療法の専門家である腫瘍内科医の養成が不可欠である』との認識を示したうえで、早急にそれに向けたプロジェクトを発足させる必要があることを訴えている。
それ以降も仙谷さんの「がん患者の特権」をフルに活用した活動は勢いを失うことなく続き、去年の衆議院選挙後には、民主党の「次の内閣」で厚生労働大臣に指名されている。
「次の内閣」が「現実の内閣」になる可能性は一見遠のいているように見えるが、消費税引き上げが現実のものになれば、小泉後の内閣が一瞬のうちに支持を失い、与野党逆転が実現する可能性は大いにある。そうなったとき厚生労働大臣・仙谷由人が、がん医療に関してどこから手をつけ、どんなプランを提唱するか見てみたい気がする。何かアッと言わせるようなことを、ぶち上げそうな気がしてならない。
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