がん体験を活かして県民のための医療改革を推し進めた 元岐阜県知事・梶原拓

取材・文:吉田健城
発行:2005年8月
更新:2013年8月

アメリカで入院を検討

梶原さんは各方面からさまざまなアドバイスを受けながら検討を重ねた。そのなかで最初に興味を持ったのは小線源治療だった。

これは放射線治療の一種で、外から放射線を照射するのではなく、前立腺の中に放射性物質が入った小さなカプセル(小線源)を埋め込んで、そこから出る放射線でがんをたたく治療法だ。長所は、何といっても3、4日入院するだけでいいことだ。しかも、一度小線源を前立線に埋め込んでしまえば、あとは何の治療も受ける必要がないので、知事として公務を続けなければならない梶原さんには都合がよかった。

しかし、大きなネックがあった。小線源治療は、当時はまだ承認されていなかったため、臨床段階の治療を特別に受けさせてもらうか、外国で受けるしかない。それが頭にあった梶原さんはアメリカに出張した際、本気で入院を考えたことがあった。

「まだ開幕ムードが漂っている球場でイチロー選手の活躍を見た記憶があるので、あれは4月だったと思いますが、マイクロソフト社の会合でシアトルに行く機会があったんです。そこで小線源治療など、前立腺の最先端医療で有名な病院があると聞いたので、この際、受けてしまおうと思ったんです。しかし、結局スケジュールが合わなくて、断念せざるを得ませんでした」

重粒子線治療への期待

その後も梶原さんは各方面から情報を集め検討を重ねたが、放射線治療の分野に将来がんの主要治療法になる可能性が高い治療法があることを知った。重粒子線治療である。

重粒子線には他の放射線には見られない性質がある。それは身体組織の中に入ると、ある深さのところにくるとエネルギーが最大になる性質だ。この性質をがん治療に応用したのが重粒子線治療である。

重粒子線の際立った長所は次の3つだ。

・ ある深さに達すると一気にエネルギーが大きくなるため、がん細胞にエネルギーを集中させることができる。そのため、従来の放射線治療に比べてがん細胞をたたく力が強く、治療効果が高い。

・照射するエネルギー量をコンピュータで正確にコントロールできるため、どの深さに発生したがんでもピンポイント攻撃できる。そのため、まわりの細胞へのダメージを最小限に抑えることができる。

・1回の治療時間は2、3分で、体に与えるダメージも少ないため外来で通院治療が可能だということ。

これらの長所は、梶原さんが理想の医療に不可欠と考える要素にも合致していた。「ぼくは常日頃、理想の医療に不可欠な要素は「なおる(根治)」「痛くない(最小限の副作用)」「時間がかからない」「金がかからない」の4つを満たすものだと言ってるんです。重粒子線治療はこのうちの最後の要素以外はほぼ完全に満たしていると思いました。

もう1つ重要な点は、肺がん、肝がん、膵臓がん、頭頸部がんから脳腫瘍、悪性黒色腫、軟部肉腫に至るまで、幅広いがんに対応できることです。県知事としてぼくは��くの岐阜県民がこれらのがんで亡くなっていることを知っていますから、この治療を自分で受けてみて、本当にいいものなら、岐阜にも欲しいと思いました」

しかし、障害もいくつかあった。

写真:千葉県稲毛市にある放医研の重粒子線治療装置

千葉県稲毛市にある放医研の重粒子線治療装置

1つは、重粒子線治療はまだ臨床段階で治療を受けられる医療機関は千葉市にある放射線医学総合研究所(放医研)の重粒子医科学センター病院しかない(梶原さんが治療を受けた当時)ことだ。もう1つの障害は、週5回(月~金曜日)の照射を5週間続けるため、その間、岐阜を離れなければならないことだった。

それでも多少の犠牲を払ってでも受ける価値があると考えた梶原さんは5月26日、千葉市稲毛区にある放射線医学総合研究所を訪れ、佐々木康人理事長や辻井博彦・重粒子医科学センター長をはじめとする関係者と面会。重粒子線治療概要と前立腺がん治療の内容を詳しく聞いた。

その結果、将来がん医療の主要な治療法だと確信し、被験者として入院生活を送りながら重粒子線治療を受けることを決断した。

重粒子線治療施設誘致のお値段

写真:粒子線治療施設普及研究会講演
写真:粒子線治療施設普及研究会を設立

新しい治療法である粒子線治療を地方のリードにより広く普及することを目的とする粒子線治療施設普及研究会を設立した(写真下)

6月2日に重粒子医科学センター病院に入院し、治療を開始した梶原さんは、事前に説明された通り、1回の治療が2、3分で終わり、痛みや副作用もほとんどないことを身をもって体験。重粒子線治療が「痛い、苦しい」が当たり前の従来のがん医療にピリオドを打つ治療法であることを確信した。

梶原さんは確信するとすぐ具体的な行動に出ないと気がすまないタイプだ。早速岐阜に重粒子線治療を受けられる医療施設を建設するには、何が必要で、どんなことが障害になるか、放医研の関係者に率直な意見を求めた。

もっとも大きな障害はコストだった。放医研と同じ規模の施設を作るには325億円もの費用が必要になる。しかし、炭素イオン線を使った重粒子線治療(放医研と同じ方式)に限った機能に限定すれば費用を100億円以内に抑えることも可能であることがわかった。

それ以上に大きなネックになるのは高度先進医療として承認されても(重粒子線治療は2003年11月承認)、健康保険の適用外であるため、患者は重粒子線治療の料金314万円をすべて自己負担しなくてはいけないことだ。これでは、一部の患者しか恩恵にあずかれない。希望者が誰でも受けられるようにするには健康保険(3割負担)の適用を受けられるようにするしかないが、それを実現するには、まず重粒子線加速装置の建設コスト自体を大幅に削減する必要があった。

どんな最先端の装置でも、大幅なコストダウンを図る場合のやり方は家電製品と変わりがない。よりコンパクトな構造に設計しなおし、同じものをなるべく多く生産することだ。しかし、これはそう簡単なことではない。小型普及版の開発は放医研でやるにしても、それにはかなりの費用がかかる。その一方で、より多くの自治体に導入されるよう、各県の知事たちに重粒子線治療施設導入の必要性を認識してもらう必要があった。

6月20日に退院後、梶原さんはその旗振り役を買って出た。

岐阜に戻ったあと、まず、記者会見で重粒子線治療でがんが根治したことを宣言したあと、7月16日から岐阜県高山で開催された全国知事会議で、集まった知事たちに、1つの提案を行なった。

写真:兵庫県立粒子線治療センターを視察

陽子線治療施設である兵庫県立粒子線治療センターを視察

写真:静岡県立静岡がんセンターを視察

静岡県駿東郡長泉町にある静岡県立静岡がんセンターを視察。岐阜県内のがん患者を、1人でも多く受け入れてもらい、治療してもらえるように要請した

知事会議の2日目に、「低コストで重粒子線治療施設を全国に作ることを目的にした、『重粒子線がん治療施設普及協議会』をたち上げたらいかがでしょう」と提案し、承認された。

その一方で、放医研を管轄する文部科学省にも重粒子線施設を低コストで作る研究を行う必要性を説明した。その結果、調査費として新年度予算で5億円計上されることになった。

梶原さんはこうした全国レベルの活動をする一方で、岐阜県内のがん患者を少しでも最先端の放射線治療で救っていきたいとして、陽子線や粒子線の照射による高度先進医療を受けられる医療機関を自ら訪れて協力を要請。岐阜県民が県立病院を窓口にして、放医研・重粒子医科学センター、兵庫県粒子線医療センター、静岡県立がんセンター、福井県の若狭湾エネルギーセンターの4医療機関で治療を受けられるルートを確立した。

それ以外にも、梶原さんは自分が重粒子線治療を受けた放医研の佐々木康人理事長、前立腺がんで父・三波春夫さんを亡くしたあと『三波春夫PSAネットワーク』を起ち上げてPSA検査を普及させる運動をしている八島美夕紀さんなどを招いて岐阜で講演会を開催し、県民の意識向上に務めている。

これほど書いても、まだ行ったことはたくさんあるのだから、そのエネルギーにはただただ恐れ入るばかりだ。今年の3月に知事を退任したあと、梶原さんはプロ野球の改革プランを協議する有識者会議の座長をつとめている。うまくいかなくて当たり前の仕事を引き受けたところが豪腕知事として鳴らした梶原さんらしいが、がん医療の分野で見せたあの行動力と判断力をもってすれば、コペルニクス転換とまではいかなくても、何か実質を伴う改革をやってくれるのではないだろうか。


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