がんとの戦いを劣勢から「ドロー」に持ちこみ大願を成就した元王者 「一瞬の夏」の元プロボクサー・カシアス内藤
内藤を襲った副作用・嘔吐

ドローを狙う内藤の第1ラウンドはいきなりダウン寸前に追いこまれるような展開となった。
まず入院早々ちょっとしたアクシデントがあった。流し場で大量の血を吐いたのだ。これは生検用のサンプルを咽頭部から切り取った際にできた傷が何かの弾みで切れて出血したが胃にたまり、それを一度に吐きだしたため大量の喀血となったのだが、血の量が多かったため内藤にとっては最悪のスタートとなった。
しかし、何といっても最大のダメージを内藤に与えたのは抗がん剤の副作用による、いいようのない不快感だった。とくにエンドレスで襲ってくる嘔吐感に苦しんだ。
「便器や流しを抱きかかえるようにしてゲーゲーやるときの苦しさは、経験した人間じゃないとわかんないよね。俺、気持ちで負けちゃだめと思ってたから、“苦しい”という言葉は絶対口にしないようにしていたし、どんなに苦しくても一歩前に出る姿勢をキープしなくちゃだめだと思って点滴ホルダーを押しながら病院の中を歩くよう心掛けていたんですよ。でも吐き気って突然くるからトイレに間に合わなくて廊下の大きな観葉植物の鉢にゲーってやっちゃったこともあったね(笑)」
通常の吐き気は胃の中のものを出してしまえば収まるが、抗がん剤の副作用による吐き気はいくら吐いても収まらないのが特徴だ。最初に胃の内容物を吐き、胃液を吐き、それ以外の分泌物を吐き出してもまだ止まらないので、内藤は手を口の中に突っ込んで胃の中のものを取り出したい衝動に何度も駆られたという。
「あの苦しさは、ボクシングの苛酷な減量と共通するものがあるね。どちらも、逃げられれば逃げ出したいんだけど、逃げるわけにはいかないからね。吐くものがなくなっても吐き続ける点も、もう出る汗がないのに出さなくちゃいけないボクシングの減量と似てるしね。そう思ったんで、俺、吐き気を抑えるには、ボクシングの減量の時みたいに、2、3日食わなきゃいいと思ったの。でも、違うんだね。胃に何もなくても吐き気は襲ってくるもんね。それに、食うものは食っておかないと体力が落ちてフラフラになっちゃうから、そんなバカなことしちゃ、だめなんだよ(笑)」
嘔吐しながらも無理矢理に食べる闘病の日々
2週間ほどで点滴を使った抗がん剤の投与が終わり、それ以降は経口抗がん剤を朝夕2回服用するパターンに変わったが、不快感のほうはしばらく続いた。それと平行して放射線照射も毎日受けなくてはならず、それによる副作用で内藤は何を食べてもまったく味がしなくな���た。
それでも内藤は意識的に病院食以外にも、カップラーメンなどを買って食べるようにしていた。それには、落ちた体力を早く回復させる目的もあったが、それ以上に医師や看護婦に内藤は元気バリバリだという印象を与えたかったからだ。とくに、食べることにエネルギーを注いだのは、医師が退院させるかどうかの判断をする場合、普通に食べて栄養補給できることが重視されると聞いたからだ。それが頭にあるので、何を食べても同じ味なのに、内藤は毎日のように売店で買ってきたものをせっせと食べていた。
内藤が退院を意識するようになったのは、がんが順調に縮小し、ドローに持ちこめるレベルまで小さくなっていたからだ。内藤は担当の医師が週に1回CTスキャンの画像を使ってがんの病巣がどうなっているか説明してくれるのを楽しみにしていた。
「俺みたいな素人が画像を見てどれだけ小さくなったかなんてわかるわけがないんだけど、2週目3週目と時間を追うごとに『ほら、あのドロドロの金平糖みたいだったヤツが半分に縮小した、4分の1になった、もっと小さくなっている』と先生が言ってくれるんですよ。あれ聞くと、確実によくなっているんだっていう実感が沸いてくるんだね。よし、もう少しだ、頑張るぞという気になりますよ」
入院患者に元気を与え、元気を貰う
遠からず退院できることを確信した内藤は、退院に向けて元気さをアピールする意味もあって、ほかの患者のためになることをどんどんやろうと心に決めた。そうやって前向きな気持ちで行動をしていれば、体の免疫機能も高まり、がんに対する抵抗力も増すという思いもあった。
病院の中をあちこち移動しながら、内藤は元気のない患者に話しかけ、相談に乗ったり、話し相手になったりした。それによって内藤は多くの患者に元気を与えたが、自分もたくさんの元気とエネルギーをもらった。とくに内藤に元気を与えてくれたのは、患者として通いで来ていた武相高校ボクシング部の後輩だった。再びボクシングの世界に戻ってジムの経営に乗り出す内藤にとって、ボクシングの話を腹一杯できる人間がそばにいてくれることは、何にも増して有り難かった。
「夢」の実現

内藤は25回の放射線照射が終わったあと、しばらくして退院することができた。そして目論見どおり、咽頭がんという極め付きのハードパンチャーとの戦いをドローに持ち込んで「夢」を防衛した。
そして、それからわずか8カ月後の2005年2月1日、その「夢」を実現した。
この2月1日は、恩師エディ・タウンゼントの命日であるが、ちょうど1年前に、神奈川県立がんセンターで咽頭がんを告知された日でもある。
いま、内藤は横浜の中華街にほど近いこぎれいなビルの2階にある「カシアス内藤ジム」で『5年以内に日本チャンピオンを育てる』という新たな夢を胸に秘めながら、若い練習生たちの指導にあたっている。
まだ、汗の匂いが染みこんでいないピカピカのリングから聞こえてくるのはオーナー内藤純一の声だ。
「ガード下げるな!」「おんなじジャブ何回も食うな!」
このがんという強敵から守り通した声が、数年後に後楽園ホールのリングで聞くことができればどんなに楽しいだろう。末期に近い咽頭がんとの戦いを、たった2カ月半でドローに持ちこんだ試合巧者の内藤のことだから、チャンピオンづくりも2、3年でやってのけるかもしれない。今の、内藤には神奈川県立がんセンターでがんと戦ったときのエネルギーがたっぷり残っているので、それは不可能なことではない。

カシアス
内藤利朗/写真 沢木耕太郎/文
スイッチ・パブリッシング刊2625円 (税込)
『一瞬の夏』で「いつか」を追い求めた3人の若者の記録。内藤利朗の写真に沢木耕太郎が文を寄せる。カシアス内藤がカムバックに向けてトレーニングを行う日々から、大和武士を日本チャンピオンに育て上げる彼の姿が写真に収められる
E&J カシアス・ボクシングジム
神奈川県横浜市中区吉浜町1-9 エトアール吉浜2F
TEL&FAX/04-5662-9990
同じカテゴリーの最新記事
- 人生、悩み過ぎるには短すぎてもったいない 〝違いがわかる男〟宮本亞門が前立腺がんになって
- がん患者や家族に「マギーズ東京」のような施設を神奈川・藤沢に 乳がん発覚の恩人は健康バラエティTV番組 歌手・麻倉未希さん
- がん告知や余命を伝える運動をやってきたが、余命告知にいまは反対です がん教育の先頭に立ってきたがん専門医が膀胱がんになったとき 東京大学医学部附属病院放射線治療部門長・中川恵一さん
- 誰の命でもない自分の命だから、納得いく治療を受けたい 私はこうして中咽頭がんステージⅣから生還した 俳優・村野武範さん
- 死からの生還に感謝感謝の毎日です。 オプジーボと樹状細胞ワクチン併用で前立腺PSA値が劇的に下がる・富田秀夫さん(元・宮城リコー/山形リコー社長)
- がんと闘っていくには何かアクションを起こすこと 35歳で胆管がんステージⅣ、5年生存率3%の現実を突きつけられた男の逆転の発想・西口洋平さん
- 治療する側とされる側の懸け橋の役割を果たしたい 下行結腸がんⅢA期、上部直腸、肝転移を乗り越え走るオストメイト口腔外科医・山本悦秀さん
- 胃がんになったことで世界にチャレンジしたいと思うようになった 妻からのプレゼントでスキルス性胃がんが発見されたプロダーツプレイヤー・山田勇樹さん
- 大腸がんを患って、酒と恋愛を止めました 多彩な才能の持ち主の異色漫画家・内田春菊さんが大腸がんで人工肛門(ストーマ)になってわかったこと