踊りの知識と経験をリンパ浮腫予防に生かす舞踊家・藤間秀曄さん リハビリエクササイズで乳がん患者を元気にしたい

取材・文:吉田燿子
発行:2005年4月
更新:2013年8月

稽古をすればするほど 痛みがやわらぐ

舞踊家・藤間秀曄さん
右乳房切除術を受けてから半年後、両手に晒を持って
大きく上下に振る「晒三番」を見事にこなした。
「舞台でこの踊りを発表しないかと言われたときは
エーッと思いましたが、どこまで踊れるか挑戦してみようと
思い直しました。無事に踊ることができてほっとしましたね」

リンパ浮腫の後遺症を一時的に和らげるのではなく、体の根本から元気になるための新しいリハビリエクササイズを考えたい――大木さんの周りには、そんなアイデアに賛同してくれる看護師や医師が徐々に増えていった。

乳がん患者である大木さんとの共同研究を希望する医師も現れた。だが、大木さんはすぐには承諾できなかった。

人にエクササイズを指導する以上、安全性も保証しなければならない。自分の仮説が、運動経験の乏しい人や年配の患者さんにも通用するか不安だった。

それなら、踊りの稽古を続けながら、自分の体を使って万人に薦められる方法を検証すればいい。こうして大木さんの、体を張った“臨床実験”が始まったのである。

それにしても、大木さんのタフネスぶりには舌を巻かざるをえない。がんセンターを退院して3日後には、踊りの稽古に復帰。その後も、抗がん剤を打ちながら稽古に励んだ。

舞踊家・藤間秀曄さん
東宝現代劇に出演していたころ。
「乳がんの告知を受けたとき、ああ、
ドレスはもう着られないんだという
思いが頭をよぎりました」と、大木さん

8月に抗がん剤治療が終わると、その1カ月後には藤間流「藤盛会」で『晒三番』を披露。両手に晒を持って上下に大きく振るこの舞踊を見事に踊り切ったことは、大木さんにとって大きな自信となった。

そんな中、大木さんは踊りが健康にもたらす効用に気づいていく。

「よく義父が『腹で演れ』と言うんですが、日本舞踊は体の芯ができていないと踊れない。単に手足だけを動かすのではなく、体の内部から動かすことが求められるんです。ところが義父の教えを実践するうちに、だんだん腕の痛みが取れてきたんですね」

人が痛みを感じるとき、体の中では循環不全が起きている。稽古をすると体調がよくなるのは、体内で刺激に対する反作用が起こり、リンパ液の循環がよくなるためだと気がついた。稽古を続ければ続けるほど、踊りと痛みの問題とが体の中で自然にリンクしていく。大木さんにとって踊ることは、自分の体を知る巡礼の旅でもあったようだ。

リンパ浮腫予防のための マーニャサイズを考案

舞踊家・藤間秀曄さん
大木さんが主宰する俳優向けのクラスで
行っている40分間のリハビリエクササイズ。
このエクササイズで丹田が鍛えられる
舞踊家・藤間秀曄さん

リンパ浮腫を本当に改善するには、踊りによるリハビリだけでは不十分かもしれない。そう思って医学書などにもあたったが、当時はリンパ浮腫に関する資料が少なかったこともあって、有効な方法はなかなか見つからない。

なんとかリンパ浮腫治療に詳しい専門家に出会えないものか――その祈りが通じたのか、大木さんはいくつかの出会いを経験することになる。

その中には、本場ドイツで学んだリンパ浮腫治療の専門医がいた。細胞を分子レベルで解析し、患者個人の体質に合ったサプリメントを処方する分子栄養学の専門家がいた。また、リンパの流れをよくする弾性ストッキングや下着の販売業者もいた。

こうした人々の指導を受けるうちに、大木さんの中では新しい青写真ができあがりつつあった。

(1)ダンスを応用したリハビリ体操=マーニャサイズ(marnyacise)と、(2)弾性ストッキングなどのサポート・グッズの着用、(3)必要な栄養を補給するサプリメントの服用。この3つの方法を併用すれば、一般の人でも安全かつ効果的にリンパ浮腫を予防できる。いわば「三位一体でリンパ浮腫対策を行う」という、新たな基本プランができあがったのである。

今、大木さんの“臨床試験”は最終段階に入っている。大木さんが主宰する俳優向けのクラスでも、昨年から通常のダンス・エクササイズに加えて、40分間のリハビリ体操を採用した。体外から圧力を加えてリンパ液の循環を起こすのがリンパ・マッサージや鍼だとすれば、深層筋肉を鍛えることで体の中から循環を促すのが、ピラティスや気功。それをさらにリンパ浮腫用にアレンジしたのが、大木さんのリハビリエクササイズだといってもいい。

舞踊家・藤間秀曄さん
師である義父の藤間秀嘉さんと稽古に励む。
大木さんには常に義父の芸風への憧れがある。
下 藤間秀曄稽古所で子どもたちに
舞踊の指導をする大木さん
舞踊家・藤間秀曄さん
舞踊家・藤間秀曄さん

「これらの方法に共通するのは、体幹、東洋医学で言う丹田を鍛えることです。やっている最中はきついと感じるかもしれませんが、自分の体力のベースさえ作ってしまえば、レベルを引き上げることは簡単にできる。体の外側からも内側からも、自分の体の可能性を引き出せることに気がついてもらえたらいいな、と思います」

過去5年間の経験をもとに、今春には「リンパ浮腫対策委員会」を発足。栄養学や体のしくみについて学びながら、楽しくリハビリを行うプロジェクトを立ち上げた。

このプロジェクトのサポート役には、国立がん研究センター医師の勝俣範之さんやリンパ浮腫専門医の佐藤泰彦さん、後藤学園リンパ浮腫治療室の佐藤佳代子さん、分子栄養学の松尾政治さん、健康管理士の横山和子さん、和歌山県立大学医学部の佐藤恵子さんなど、錚々たるメンバーが名を連ねる。

「なるべく敷居を低くしたいと思うんです。この会では楽しくリハビリしながら、1日も早く健康な状態に戻るための方法を考えたい。そのためのエクササイズを、私のような乳がん患者が自ら試行錯誤して実践することに意味がある。これも私自身の人生の宿題かなあ、と感じているんです」

それにしても、仕事に育児、リンパ浮腫対策委員会の立ち上げと、止まるところを知らない大木さん。そのパワーの源は何なのだろうか。 「健康を取り戻すことに私がここまでこだわるのは、義父の芸風に憧れているからかもしれません。義父のような踊りができたらいいな、という理想像が常に私の中にあり、それゆえにお稽古してしまう自分がいる。厳しい稽古についていくために、どうしたら自分の体のコンディションを整えられるのか――突きつめれば、そこに行き着くのかもしれませんね」

なるほど、と思った。天空に燦然と輝く北極星を追い求めるかぎり、人は苦境にあっても前進することができるのかもしれない。 “Never stop moving ! ”

けっして動きを止めない、けっしてあきらめない。ルイジ・ファチュートのDNAは、「舞踊家・藤間秀曄」の中に脈々と受け継がれているようだ。

丹田=東洋医学で、へその下あたりをいう。全身の精気の集まるところとされる


リンパ浮腫対策委員会
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リンパ浮腫を予防したい方であればどなたでも(乳がん患者以外でも)受講できます。
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