がん患者の先端医療に寄せる熱い想いを伝えるために 混合診療解禁の旗振り役として奮闘する財界人・草刈隆郎

取材・文:吉田健城
撮影:板橋雄一
発行:2005年1月
更新:2013年8月

12年前に肺がんを経験

写真:大隅さん

「がん告知を受けたときは目の前が真っ暗になりました。だから少しでもがん患者の役に立つことがしたいと思っているんです」

草刈さんはそんながん患者たちの心情がいたいほどよくわかる。なぜなら12年前に自分自身が肺がんを経験しているからだ。

「私の場合は、肺がんといっても、早いうちに発見されたので、切開手術で肺を一部切りとるだけで済みました。抗がん剤はやっていません。手術のあとの経過も順調で一カ月半で職場に復帰できたので、本当にラッキーだと思っています。でも、これは治ったあとだから言える事なんですね。癌研で主治医の中川先生から肺がんと告知されたときは、これから会社から離れて、長い闘病が始まるんだと思うと、目の前が真っ暗になりました。50代になったばかりで、ポジションも役員ではなく、まだ部長です。多くの部下を持って忙しく働いていたんですが、突然その世界から切り離されたのですから、会社は虚の世界で、実の世界は別にあるのではないかと思ったりもしました。そんな経験があるものですから、がん患者の心情がどういうものか少しは判っているつもりです。いま、混合診療解禁の実現に向けて、頑張っているのも、がん患者さんのために少しでも役にたちたいという気持ちがあるからです」

このように語る草刈さんの言葉の端々には、自分は特別運がよかったんだと言う思いが滲み出ている。

がんになるまでの草刈さんの生活はやり手サラリーマンの典型のような生活で、夜は仕事関係の酒や会食がぎっしりつまり、会社ではタバコが途切れることがなかったという。しかも、高校時代はラグビーでフロントローの重量フォワードで鳴らしたので、自分の体は強いものという思いこみがあり、健康管理には無頓着だった。それが、たまたま会社の定期検診で担当の医師が肺に小さな影があるのに気づき、がんかもしれないので、詳しい検査を受けるように進めてくれたのだという。

「こう言ってはなんですが、検診を担当するお医者さんも様々で、こまめに一つ一つチェックしてくださる方もいれば、会社に来て漫画を読んでいるような方もいるんです。私の幸運の始まりは、検診を担当して下さったのが前者の典型にような先生だった事です。川北病院の小笠原先生という方で、この方が『草刈さん、肺にちょっと気になる部分があるんですよ。ものすごく小さいけど、がんの可能性もあるから、詳しい検査を受けた方がいい。がんは“疑わしきは罰しろ”が原則ですから』とおっしゃるので、癌研に行く事になったんです。そこでがんが見つかったんです。中川先生からは1センチ四方くらいの病巣が肺にあるといわれました。そんな小さい段階では見過ごされることも多いと聞きますから、その点でも自分は本当に運がいいと思います。今思えば、中川先生に言われてタバコをすっぱりやめたのも、あとで大きなプラスになってます。おかげで少し目方が増えましたけどね(笑)」

会話の中で『自分は運がいい』というフレーズを好んで使う人はたくさんいる。しかし、たいていは謙遜で使っているだけなので耳に残らならないものだが、草刈さんが言うと耳に残るのは、それだけ実感がこもっているからだろう。

がんを克服しスピード出世

50代前半でがんになると、比較的軽く済んでも、出世や昇進にブレーキがかかることが多い。ところががんを克服してからの草刈さんの人生は、ブレーキが掛かるどころか、逆にエンジン全開となり、立て続けにトライを決める重量フォワードのような趣で出世街道を驀進して行く。がんから職場に復帰して2年後に取締役に抜擢された草刈さんはその後常務、専務とトントン拍子に昇進し、99年8月に故川村健太郎社長の急逝というアクシデントがあったため、専務在任1年あまりで社長に就任した。

社長に就任した草刈さんは、日本郵船を海と陸と空にネットワークを持つ世界をまたにかけた総合物流企業に生まれ変わらせることに意を注ぐと同時に、会社にいて取引の話を待っているのは仕事ではない。一人一人がどんどん前に出て付加価値のあるビジネスを創造すること、それこそが仕事なんだ」と社員の意識改革を徹底し、収益率の高い新規ビジネスを積極的に推し進めた。それによって日本郵船は、名門企業の凋落傾向が続く中にあって毎年好調な業績をあげ、企業再生のモデルケースに数えられるようになった。

その手腕は政財界からも大いに注目され、昨年経団連副会長に推されたのをはじめ、数々の政府関係や業界団体の役職も兼務する事になる。そして、今年4月、社長在任5年弱で会長に退いたのを機に小泉首相の指名を受けて規制改革・民間開放推進会議のメンバーに就任。混合診療解禁を柱とした医療面での規制改革の方向付けを首相に答申する任務に携わることになったのだ。

がん患者の悲痛な訴え

混合診療の解禁を巡る論議は最近始まったわけではない。平成11年に規制改革・民間開放会議が森内閣のもとで発足した直後から、同会議ではそれを真っ先に撤廃すべき点にあげて厚生労働省にアプローチしてきた。しかし、既得権を手放したくない「官」の側は、最強の圧力団体である医師会と連携して、それに対する明確な意志表示を避けてきた。その後『規制バスター』の小泉内閣が誕生してからも、厚生労働省は高度先端医療については「保険診療と保険外診療の併用については特別療養費制度が設けられている」として、何ら前向きな姿勢を示さず膠着状態が続いていた。こうした状態を打破するため、小泉首相は今年に入って混合診療の解禁に向けた具体的な方向性を早急に打ち出す事に決め、その具体案を答申する役目が規制改革・民間開放会議に委ねられたのだ。

しかし、いくら首相が改革断行を叫んでも、官僚はそう簡単に権力を手放したりはしない。混合診療解禁を巡っては、厚生労働省との意見交換会や関係機間、関係者からのヒアリングが何度か行われたが、明らかになったのは推進会議側と厚生労働省の隔たりがまったく縮まっていないという事だけで、議論はどこまでも平行線をたどった。

草刈さんはこうした膠着状態を打破するため、このテーマに取組み出した当初から「アプローチを変える必要がある」とマスコミに言っていたが、それはがん患者に推進を後押ししてもらうことだった。

突破口が思わぬところから開かれた。

10月22日に行なわれた規制改革民間開放会議と厚生労働省の意見交換会で、議論が噛み合わないことに苛立った男性のがん患者が記者席から手を上げて、患者の気持ちを切々と訴えたのだ。その人はすい臓がんを患っている37歳の患者さんだった。

「最後のところで、がん患者の方が記者席から手を上げて、悲痛な声で訴えられたんです。『いつまでこんな議論をしているんですか。まじめにやってください。同じ話ばかり聞いていると辛くなる。少しは患者のことも考えてください』と。このご発言がどれだけ追い風になったか知れません。私たちも本当に勇気付けられました。患者さんの切実な声にはマスコミの方たちも耳を傾けてくれます。これからは、こうした患者さんたちの声をを議論に反映させて行こうと思っているんです」

患者と組むスクラム

写真:混合診療の解禁についての関係者(患者団体等)からのヒアリング

11月15日のいわゆる混合診療の解禁についての関係者(患者団体等)からのヒアリングでは、患者側の生の声に、多くの関係者やマスコミが耳を傾けた

これを機に草刈さんは患者たちとスクラムを組んで混合診療解禁に向けた世論作りにとりかかった。その手始めに行われたのが11月15日に行われたがん患者団体の代表者らを召集して行われたヒアリングだ。

この会では『癌と共に生きる会』の佐藤均会長ら3人が患者の立場から混合診療の解禁を訴えたほか、現在咽頭がんで闘病生活を送っているため会場にくることが出来ない津田忠久さんというアメリカやオーストラリアで生活した経験のある65歳のビジネスマンからの手紙が紹介された。

その手紙には、混合診療を禁止することへの禁じがたい憤りが箇条書きで何項目もつづられていた。とりわけ、目を引くのは厚生労働省に対する怒りの凄さで「厚労省の職員がガンになり生死をさまよい、保険適用外の治療を医師から進められたらどうするであろうか。(原文)」という部分には、怨念すらこもっている。

今後、草刈さんはこうした患者たちとがんを経験したもの同士、スクラムを組んで前進していくことになるが、これには、草刈さんのキャラクターも大いにプラスになるような気がしてならない。日本郵船の会長で経団連副会長の肩書もある方と聞くと、エリート臭さがただよう人物ではないかと思ってしまうが、草刈さんにはまったくそんなところがない。上野公園の西郷さんが背広を着て出てきたような骨太な印象や、ときどき話に体育的な冗談を交えるところも話しやすい感じを与える。こちらが「ラグビーのフロントローで活躍していたとか?」と水を向けると、「ええ、やってましたけど、あれは壁みたいなもんだから頭は使いませんからねえ。体重さえあればつとまるんですよ」とギャグで返してきたのには思わず笑ってしまったが、こうしたキャラクターは今後がん患者とスクラムを組む上で大いに役立つのではないだろうか。


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